【速報】上杉謙信「戦闘最強です。170万国の大大名です。京から近いです。関東管領の名門です」→こいつが天下統一できなかった理由 [661852521]
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>>683
米所面してるのに40万石しかないって雑魚じゃねえか
やっぱ近江最強だな・・・ >>685
新潟が米どころになったのは第二次大戦後やで >>670
えーまじか
三国志ばっかやってて知らなかった 総大将自ら陣頭指揮してたってほんとなんか?
集中砲火くらって沖田畷みたいになるやろ 進軍速度が速いのは荷駄部隊を最小限にして現地で略奪を行っていたから
そうなると当然進攻後に恨みを買い領土を維持するのは困難になる
関東に電撃的に進攻したのに全部北条に寝返られてしまったのはそのせい
北条の善政に上杉はかなわなかった 上杉軍そのものはレギオンみたいな7-8000人の行動の早い独立グループみたいなモンで、それに遠征先の関東の諸豪族国人が寄り集まって軍勢になってるから基本的に烏合の衆で戦が厳しくなればなる程弱くなってくタイプの軍勢だからね
本気になって戦うのはその時の当事者的な勢力だけであとはもう後ろからついて行くとか火事場で側面や要地を切り取りに行くだけってのが上杉の関東侵攻勢だわな 冬は戦闘行動できない。
兵農分離もできてない。
常備軍も無いのに天下統一できるわけない。 >>694
そもそも謙信は【天下】に興味が無かったように見えるわ >>605
三好長慶は畿内で善政をしいてて
一向宗や法華宗を擁護したので町衆や百姓に人気があって
朝廷とも親密な関係で
逆に義輝は人気がなかった 謙信は美貌の河田長親・鯵坂長実などの近習を重臣に抜擢するなど
衆道を好んだとされることから
越後では武士のみならず庶民にも同性愛が流行したということです 未来人が織田のところにばかり来るんだから天下取れるわけ無いじゃん >>689
鉄砲たくさん持った勢力が関東甲信越にはいない 170万石って、経済力を石高換算した数字だろ?
やっぱ正味の農業生産高が無いと駄目だと思うわ
東北や北陸の大名はそこが弱い 今川の家康成敗失敗したあとを受けて三河成敗
今川と共同で尾張征伐→単独で美濃北伊勢征伐ってコースで進めば天下人の可能性もあったのに 塩っぱいものと酒の摂り杉でポックリって本能寺が燃えるんじゃがのコメント欄で読んだ 武田と戦ってたのが悪い。
武田上杉と連合してれば都は取れてた。 >>704
まず当時、日本最強の三河に勝てるわけ無い
尚且つ、三河出自の足利一族たる今川には臣従するが、尾張の田舎者に臣従するわけない
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250~300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 日本の中心にあって平野も近畿より広かった愛知の連中が勝っただけ
勝負は最初から決まってた 事実と剥離された事言われてもな
三河は作物が取れる平野が狭く、熟国でもないのに勝ち続けているんだが
そして尾張は勝った事ない
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>694
どの大名も常備軍を持っていて一年中戦っているし
兵農分離なんて信長も出来てないよ >>711
三河くん来たね
頼朝軍の主力は坂東武者でしょ
ドラマ見てなかったの? >>713
残念でした
頼朝「坂東の奴らは文字が読めない」
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏親類)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏親類)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) 北条時政の母方祖父は伊豆伴氏と伝えるが
その伊豆伴氏は三河伴氏と同じく祖を伴善男と伝える
東三河出自の安達盛長が、頼朝に政子を紹介した逸話は、その縁故と考えられる
そして義家郎党で有名な伴助兼は、三河伴氏なのである >>714
軍の話をしてるのにどうして関係ないコピペ貼っちゃったの?
ちゃんと自分の言葉で話そうね >>716
精査すれば
主力は三河の母方縁故者だったよな、と言ってんだよ
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>716
主力が三河でなければ
跡取り息子の正室に三河武士の娘を選ばないつーの
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 NGワードを三河に設定の上引き続きスレをお楽しみください 170万石のわけねーだろ
せいぜい10万石の雑魚だよ >なんで上洛しないといけないの?
幕府の権威・後ろ盾って天皇なので
上洛して天皇囲っちまわないと正式な日本の統治者になれない
なので明治維新の際も維新軍は躍起になって天皇囲いに行って
天皇取った時点で官軍になった 攻めっけが無いヘタレ
金持ちだったから現状維持を選んだ
ハングリー精神が足りない 当時は今とは比べ物にならないくらい栄えていて落ちぶれていたけど天皇と仲が良くて遊びに行き来する間柄だったんでしょ?
周りに最上・武田・北条・本願寺と面倒臭い連中が集結していたのに勝率が高くて領土を守り抜いただけでも立派 信玄が一向一揆を後ろ押しして
謙信をずっと抑え込んでた、って漫画で見た >>251
その方面軍に大勝して、謙信は織田は意外に弱いと言ったのですが、、、σ(^_^;)💦
謙信が病で急死して跡目争いで弱体化したあとのことと勘違いしているのかな、、、σ(^_^;)💦 170万石もあったのか
景勝30万まで減らされたんだっけ >>255
織田家オールスターに勝ったんだよな
それで信長は弱いって発言
うろ覚えだが負けて秀吉が勝手に帰還しちゃったからgdって終わり >>732
いや秀吉が独断で勝手に撤退してその後に合戦があった >>602
なんでも勝ち負けだと思っちゃうのはコンプレックスがある人なのかねえ 秀吉は播磨の国主になった辺りから
信長の命令を無視したり
独断で宇喜多直家を傘下に収めたり
半独立大名みたいになってくんだよね
信長は激怒しながらも秀吉の権力が大きくなりすぎて押さえられなくなってた
光秀に至っては隙を見せた瞬間に襲いかかるぐらい織田家の内実もガタガタで
謙信が死なずに関東をまとめてたら
信長の天下統一も頓挫してた可能性も結構高い >>735
主従関係があると思い込んでる人が多いが
戦国時代なんてやるかやられるかで繋がってるだけやからな
下克上なんてみんな狙ってるし、隙あらばってのは全員同じ
会社の縦割りみたいな関係ではなく
外注先が繋がってるだけで、個人個人自己の利益を最大限に考えて信長を使ってるだけの関係 >>730
しょーもない戦いで勝った勝った言ってるだけで
勝家本拠の北ノ庄を落としたりとか戦略的に意味のある勝利は何もしてないだろ
謙信ってだいたいそんなんばっか。ハリボテの軍神 武田とか上杉とか山ばっかの土地は結局今も昔も経済発展しないんだよな 北陸進出すれば京なんて目の前なのに、武田北条とドンパチして機を逃すw 親不知ずあるけど北陸経由で行けないことはないんだよな
結局やる気がなかっただけではという話に >>32
「家臣」って織豊末期ぐらいからの概念じゃないの
それまではごく一部の大名除いて良くて「協力会社」ぐらいな気がする 三河は塩と街道を持っていたから金がたくさん集まった 上杉は日本海交易抑えてたろ
本当は敦賀を抑えたかったんだろうなぁ >>739
織田北陸方面軍は総崩れになったんだけど
、、、σ(^_^;)💦
雪のせいで冬には越後に帰らなければならないから織田は命拾いしただけで、謙信が病死するまで、少なくとも北陸では織田は支配権を失ったよ、、、σ(^_^;)💦 >>658
実際お互い立て合いながらやり取りしてたんだろうけど謙信に対して信長は完全に下からとしか思えないやん 山形の人は自分たちの地域が上杉謙信ゆかりの地だと信じて疑わないらしい どこかの世界線では大陸と貿易しまくって
新潟が首都だったりするのかな >>702
足し蟹🦀
ガソリン失くなって直ぐにアウトだったけどなーw >>739
能登守護の畠山は名門にして北陸に強固な大名領国を築いた戦国大名
神保だって元々長尾家とは同クラスの勢力を誇った守護代家
マイナーだけど全然雑魚じゃないし
短期間で滅ぼした上杉は普通に強い >>727
武田と一向宗は左大臣・三条公頼の娘を通じてつながっていた
長女が細川晴元の嫁 次女が武田信玄の嫁 三女が本願寺顕如の嫁
三条公頼本人は大寧寺の変に巻き込まれて亡くなっているけど >>745
吉良の領地でも製塩をするために日本一の産地の赤穂に教えてもらおうとしたが
赤穂に断られたので嫌がらせをして赤穂事件に発展したという話を聞いたことがあるけど
どうも赤穂事件の後に作られた逸話らしいね 信長の必殺!柵つき鉄砲三段うちを破るんだからビビるだろ… >>738
つまり戦国時代の家臣って傭兵みたいなもんか >>760
それを言ったら信長も秀吉も曹操もみんな女にされとるが・・・
謙信だけ女にしようとかは戦国ランスとかその辺の時代 >>738
そんなことないよ
普通に殉死とかあるし 謙信は仕事が嫌になって家出とか最高にまんさんっぽい >>251
>>739
返事はナシと、、、σ(^_^;)💦 >>764
それは個人への忠義
基本的に家への忠義はない >>730
手取川の戦いはなかった説があるからな
謙信公の話て後で景勝が神話化して話を盛っているのがな
謙信の軍才は凄いけど死なないで生きていたとしても織田軍を倒せなかったと思うよ
あの当時の織田が本気出せば軽く10万を超える兵力を集める事ができるし謙信が上洛するために集められる兵力がせいぜい2万くらいでさらに攻めなければ行けない上に進行ルートもバレバレで勝ち目は一切なし
調略も下手だしさ >>768
合戦の規模が言われてるほど大きくはないというのはあるかもしれんけど、合戦がなかったはないやろ、、、σ(^_^;)💦
その当時は本願寺も北陸豪族も謙信側についていたから、数が足りないから織田に歯が立たないというのは無理があるやろ、、、σ(^_^;)💦 >>768
手取川の戦いの前に七尾城を調略で落としているのですが、、、σ(^_^;)💦
たとえ謙信個人が調略が下手でも調略に長けた家臣がいるのですが、、、σ(^_^;)💦 関東管領という肩書きを山内上杉から引き継いだからその範囲に縛られた
足利義秋が終わったから謙信も西を目指したけど時すでにおすし >>768
多分謙信上洛となると人が集まって相当な兵力になると思うけど >>769
近年の研究でそういうのがあるんだよ
実際手取川の戦いで上杉軍はどれくらいいたのか?正式にはわからんが少なくとも柴田北陸軍の方が兵力は上だった
のは間違いないし
柴田軍の目的は戦いが始まる前に終了しており撤退するしかなかったからな >>738
実際これなんだよな
信長も松永久秀や荒木村重に裏切られているしまさかの浅井にも裏切られていたし最後は光秀にも裏切られて終わっているし
実際信長もいい場所は親族たちで固めていたしな
秀吉みたいに賢明に働く家臣なんて少なかったんだろうよ
佐久間さんなんかは追放されたし >>1
上杉謙信、武田信玄、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉
この5人は、朝鮮人が朝鮮人認定してた 武士の奉公先への忠義の精神ができたのは江戸時代からよね
戦国までは土地や安全を保障をしてくれるなら従うのがほとんどやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています