そもそも残ってる記録がないのもあるが織田家も含めほとんどの戦国大名は兵種別の動員なんてかけてないからな
織田陣営で細かい兵種の指定や陣形に対する指示が書かれた最初の陣立書が出てくるのは小牧長久手の秀吉から
それまでは陣形なんて概念も兵種別に効率よく運営するなんて発想はなく家臣の各家毎に適当に動員してバラバラに戦ってた

ただそんな時代に上杉家軍役帳と甲州軍艦と小田原衆所領役帳にははっきりと兵種の指定があって
この3家だけは兵種ごとに明確に役割を定めて運営してて他の大名家がまだ各家ごとにバラバラでやってた合戦を
一つの軍勢としてまとめてた可能性が高いのがわかってる
槍衾なんてのも村上義清が初めてやって武田を撃退したんだけどその後上杉家に亡命して重臣になってるので
その村上義清のノウハウを取り入れたのが謙信って乃至先生は言ってるな

まあ確実に当時の時代に先進性があったのが上杉家と北条家と武田家で
後にそれを参考にした陣立書が日本中に広まったのでこの3家が当時他より合戦に強かった根拠はある
徳川家康なんて石川数正出奔後に軍制を武田流に改めてるくらいだしな