【衝撃】「ごんぎつね」のラスト、実は書き換えられたものだった [597533159]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
@38410ra
#ごんぎつね
のラストが童話雑誌『赤い鳥』に掲載された際、鈴木三重吉に書き換えられたことは、南吉好きの間では有名だけど南吉が書いた最初のごんぎつねのラストを読むと
ごんは、『うれしく』なったことがわかるんだよね。
なんでわざわざごんの描写をカットしたのだろう。
私は草稿の方が好きです
https://pbs.twimg.com/media/FlcDZJlaUAAwyB5.jpg
午後0:50 · 2023年1月2日 赤い鳥
鈴木三重吉
大学時代に児童文学の研究授業とってたから、久々にこの辺の名前見て懐かしくなったわ そもそもキツネとかタヌキとか見たこともなかったから
知ってて当然ですよねみたいな前提やめろ 猿かに合戦も昔は蟹が惨殺されて猿をボッコボコにミンチにする話なのに今では蟹も軽傷で猿も軽傷で最後は仲直りだからなあ ただでさえ悲しいのに、これじゃよけいに切なくなるやんか >>13
そうか?
ゴンは幸せだったんだって今分かってやっと安心できたわ 「山椒魚」でラストが大幅カットとなったのは、是か否か(?_?) >>12
テーマは報復だからな
カチカチ山とかでも今ではみんなで仲良く飯食って終わりだし
そんな事で中国と戦争できる人間が育つのかと >>15
お前いきなりジジイに銃で撃たれても幸せなんか? >>12
ダーウィンできたでやってたけど
奥多摩でサルが落とした柿をカニが食ってた
単純な事実に尾鰭つけて話にしただけでなにかのシンボルではない >>20
いきなりじゃねーだろ
会ったら殺される事も承知の上で償いをしてたんだから
これだから底辺は 知らずに人を不幸にしたんだから
償いを認められる前に殺されるのが筋でしょ
死後すぐにお前だったのかと理解される時点で譲歩されてる 星野くんの二塁打も監督が少年をレイプして逮捕された後日談はカットされてるからな >>2
小学校の頃読んでオチが意味不明で何にもひっかかりがないなって不思議だったけどそういうことだったのか
ようやく納得いった、神様に手柄とられたごんぎつねが死んじゃうけどお前だったのかでうれしくなったお話だったらキレイに落ちてる どう転んでも救いようのない話だから子供の頃から好きじゃなかったわ
キツネの話は手袋買う方がいい >>32
この話は子供が読んで「救いようのない話だ」と思うための話だと思っている
そして自分ならどうするかと色々考える 無法松だって貰ったお金に手を付けないでボンの為に口座を作っていたからな
そして思慕の念は胸にしまって黙って死んでいくのが日本男児の美学なのよ ヘイジューが後悔している姿を見てざまあみろと思ったんだろうな いたずらくらいで射殺しなくてもいいだろ
罪と罰が釣り合わない きつねダンスを見ると、いつもゴンぎつねを思い出してるわ むしろ兵十の最後のセリフの前に事切れたほうがよかったように思う
兵十の言葉のあとに「うれしくなった」って完全に聞こえてたってことじゃねえか
きつねやきつねを思う読者にとっては救いなのかもしれないが、全く報われないことにこの作品の良さがあると思う >>37
一生懸命貶めようとしているその努力は認めますよ
しかしですね、しかしはっきり申し上げて、はっきり申し上げて、日本は脅しにあっても安全な国なんですよ
まるで日本が危険な国であるかのように言うのはおかしいですよ >>15
そうだね、同じ気持ちだわ
今も昔も国語の教科書に載ってるけど今のは「うれしくなりました」ってハッキリ書いてない点が教材に最適なんだろうな
子供それぞれにごんはどんな気持ちだったのか想像させて話し合えるから >>44
俺も教材としてならその一文はない方がいいと思った うなぎ取りの妨害をしたくらいで相手から殺害されて喜べと
なら安部暗殺は正当だね >>2
鈴木という人は何で書き換えたんだろうか?
個人的には書き換えてよくなったと思うけど 今朝Eテレで放映されてたのを見て泣いたところだったわ
そうか理解して貰えたのが嬉しかったのか…(´;ω;`) 大人にしか分からない感情だと思う
報われるという事の意味を自分で探させる為にはカットが妥当だろうな >>51
今考えると上級存在(人間)には命を投げ捨てて尽くすのが真の幸福ですみたいな話ばっかりだったな‥ うれしくなったは正直ファンタジー過ぎるよね
撃たれて苦しんでるとき現実的にはそうはならんやろっていうのはある
風邪ひいて頭痛するだけでこの世のすべてが糞ったれに感じるのに 名作って、はっきりこうだと言わない方がいいんだよ
ぼやかした方がいい
どうとでも受け取れる解釈 あいまいな描写
羅生門のラスト、作者は何も考えてないかもしれない
でも意味深に『何かありそうな感じ』にぼやかして描くと、
読者は何かあるかもしれないと想像を膨らましてしまう
いろんな解釈が生まれる それ自体を楽しむ 兵十へアプローチするも気付いてもらえず相手の手にかかることで最期に自分を見てもらえたっていうごんにとってのハッピーエンド お前らもう一度ごんぎつね読み返せ
ごんがうれしくなったのは償いができたからじゃなくて自分の存在を証明できたからだよ
償いの気持ちはくりを持っていく段階で既に昇華されてしまってる
途中から手柄を横取りした神様に嫉妬してる描写があるだろ
どんだけ感受性ないんだ >>52
償いはある種の口実
ごんは自分と同じく一人ぼっちになってしまった兵十に親近感を持ってお近づきになりたかった、自分に気付いてほしかった
だから神様に手柄がいったときには面白くないと思った そもそも最後にごんがうなづくのも変だと思ってた
ぐったりしたまま動かない方がいいと思うが こっちだったら最悪だったわ
ヘイジューの感情は言葉と行動ではっきり分かるのに、ゴンのは描写がないのが素晴らしいのに
嬉しくなりましたってw 疑い深くて器量がない人間はぼっちのままってわけだな あ~あ、兵十は動物射殺の罪で捕まってしまうのかぁ。
酷いなゴン。 >>32
手袋を買いにも元は
キツネの手を出してバレて手袋は片方しかもらえず
それでも嬉しかったキツネが神社の裏で喜んでる所を
お店の人の通報でやって来た猟友会みたいなのに撃ち殺されて終わり >>62
だからこそ切ないんだよ…こんなに悲しい「うれしい」があるか?他に知らないわ… >>75
悲しい嬉しいか
高瀬舟も悲しい嬉しいだな 狐からもらったもの食べたらエキノコックスに感染しそう >>62
そう聞くとカオナシがスパチャするのに通ずるものがあって切なくなるわ 兵十で豊崎愛生のカバー思い出した
あれ流行ったの11年前なのに 何で新美南吉って教科書に2作品もねじこんできてんの? ごん狐ってキリスト教をモチーフにしてんのかな
日本人の伝統的な感性とは違うよね
神による救済みたいなのを前提にしてると思う
でなきゃ救いがなさすぎる 人間さまに贈り物を捧げて満足そうに死んでいく
まるで戦時中、お国のため天皇のために喜んで死んで行った兵士を彷彿とさせるじゃないですか
そりゃニッキョーソさん怒りますよ >>26
なんぞそれ?と思ってググッちまったじゃねーか 広島県比婆郡の桃太郎
桃から生まれた桃太郎が黍団子を携え鬼退治に出発すると、
犬と猿と雉、さらに「栗」「臼」「腐れ縄」「蜂」「蟹」がお供に加わる。
鬼が島の門は猿が塀を越えて開ければ鬼は昼寝の真っ最中、
栗が火の中で弾けて火傷した鬼は蜂にも刺され、
治療に味噌を塗ろうと味噌部屋に行けば蟹に手を挟まれる。
戸口から逃げ出そうとすれば、腐れ縄に繋がれていた臼が落ちて鬼を押しつぶす。
鬼が降参して宝物を差し出し、犬、猿、雉が宝物の車を牽き、臼や蜂たちにも褒美を分けて凱旋する。 >>3
イギップ「おい、ここにいるぞ、犬を放て!」 いいことした時は積極的にアピールしないとAO入試で使えないよって話しだと思う 原作をこっそり変えるのはよくないが
感情を書き出すのは野暮だな ラストのラストまで狐の感情表現が無かったとか?
それともあったの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています