【衝撃】「ごんぎつね」のラスト、実は書き換えられたものだった [597533159]
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>>51
今考えると上級存在(人間)には命を投げ捨てて尽くすのが真の幸福ですみたいな話ばっかりだったな‥ うれしくなったは正直ファンタジー過ぎるよね
撃たれて苦しんでるとき現実的にはそうはならんやろっていうのはある
風邪ひいて頭痛するだけでこの世のすべてが糞ったれに感じるのに 名作って、はっきりこうだと言わない方がいいんだよ
ぼやかした方がいい
どうとでも受け取れる解釈 あいまいな描写
羅生門のラスト、作者は何も考えてないかもしれない
でも意味深に『何かありそうな感じ』にぼやかして描くと、
読者は何かあるかもしれないと想像を膨らましてしまう
いろんな解釈が生まれる それ自体を楽しむ 兵十へアプローチするも気付いてもらえず相手の手にかかることで最期に自分を見てもらえたっていうごんにとってのハッピーエンド お前らもう一度ごんぎつね読み返せ
ごんがうれしくなったのは償いができたからじゃなくて自分の存在を証明できたからだよ
償いの気持ちはくりを持っていく段階で既に昇華されてしまってる
途中から手柄を横取りした神様に嫉妬してる描写があるだろ
どんだけ感受性ないんだ >>52
償いはある種の口実
ごんは自分と同じく一人ぼっちになってしまった兵十に親近感を持ってお近づきになりたかった、自分に気付いてほしかった
だから神様に手柄がいったときには面白くないと思った そもそも最後にごんがうなづくのも変だと思ってた
ぐったりしたまま動かない方がいいと思うが こっちだったら最悪だったわ
ヘイジューの感情は言葉と行動ではっきり分かるのに、ゴンのは描写がないのが素晴らしいのに
嬉しくなりましたってw 疑い深くて器量がない人間はぼっちのままってわけだな あ~あ、兵十は動物射殺の罪で捕まってしまうのかぁ。
酷いなゴン。 >>32
手袋を買いにも元は
キツネの手を出してバレて手袋は片方しかもらえず
それでも嬉しかったキツネが神社の裏で喜んでる所を
お店の人の通報でやって来た猟友会みたいなのに撃ち殺されて終わり >>62
だからこそ切ないんだよ…こんなに悲しい「うれしい」があるか?他に知らないわ… >>75
悲しい嬉しいか
高瀬舟も悲しい嬉しいだな 狐からもらったもの食べたらエキノコックスに感染しそう >>62
そう聞くとカオナシがスパチャするのに通ずるものがあって切なくなるわ 兵十で豊崎愛生のカバー思い出した
あれ流行ったの11年前なのに 何で新美南吉って教科書に2作品もねじこんできてんの? ごん狐ってキリスト教をモチーフにしてんのかな
日本人の伝統的な感性とは違うよね
神による救済みたいなのを前提にしてると思う
でなきゃ救いがなさすぎる 人間さまに贈り物を捧げて満足そうに死んでいく
まるで戦時中、お国のため天皇のために喜んで死んで行った兵士を彷彿とさせるじゃないですか
そりゃニッキョーソさん怒りますよ >>26
なんぞそれ?と思ってググッちまったじゃねーか 広島県比婆郡の桃太郎
桃から生まれた桃太郎が黍団子を携え鬼退治に出発すると、
犬と猿と雉、さらに「栗」「臼」「腐れ縄」「蜂」「蟹」がお供に加わる。
鬼が島の門は猿が塀を越えて開ければ鬼は昼寝の真っ最中、
栗が火の中で弾けて火傷した鬼は蜂にも刺され、
治療に味噌を塗ろうと味噌部屋に行けば蟹に手を挟まれる。
戸口から逃げ出そうとすれば、腐れ縄に繋がれていた臼が落ちて鬼を押しつぶす。
鬼が降参して宝物を差し出し、犬、猿、雉が宝物の車を牽き、臼や蜂たちにも褒美を分けて凱旋する。 >>3
イギップ「おい、ここにいるぞ、犬を放て!」 いいことした時は積極的にアピールしないとAO入試で使えないよって話しだと思う 原作をこっそり変えるのはよくないが
感情を書き出すのは野暮だな ラストのラストまで狐の感情表現が無かったとか?
それともあったの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています