古代中国の晋の公子「嫌儲君」にありがちなこと [782112767]
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嫌儲君は晋の公子である
日頃から「安倍晋三(どうして晋国が3つに増えないのだろうか?いや増える)」と国家の分裂を危惧していたが、国政に関与したという記録は殆ど無い
隣人や兄弟を貶める謀略を練るがどれも実行はせず、死後にその計画が公に晒され余りの情けなさに両親は遺体の頬を叩いたという
弱小国「安」の公族・嫌儲君は、つねづね「三晋倍安」と唱えていた。
三晋(韓・魏・趙)の力は「安」の国に倍すると脅威を訴えたのであるが
服従するべきなのか対抗するべきなのかの具体策はなかった上、
そもそも「倍」程度の国力差であるはずもないという点で状況分析もいい加減であった。
「安」という国は歴史の中に消え、その終焉がどのようであったかを知る記録もない。
http://Jamai.com 優秀な軍師を自認してるけど、誰も招聘してくれないから世に出られずにいる 「お前変な肋骨してるらしいな、脱いで見せてみろ」
と変態諸侯に迫られる 趙は、紙上に兵を談じた
一方嫌儲軍師は、春画につかった >>11
阿保だったら由緒ある言葉なんだけどなあ
阿保氏・・・息速別命(実質初代天皇の垂仁天皇の皇子)の末裔
阿保親王・・・平城天皇の第一皇子。在原行平・在原業平の父 晋の始皇帝と戦うも惨敗。
始皇帝が暗殺されると自らの手柄であると誇ったという。 めんどくさいから有能なやつを重用して禅譲したいのに韓非に怒られる
影武者に任せて旅に出る 人の面白い体験や創作話をさも自分の体験のように話し日銭を得ていたため人々から「儲佞(もうね)」と呼ばれ忌避されていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています