嫌儲君は晋の公子である
日頃から「安倍晋三(どうして晋国が3つに増えないのだろうか?いや増える)」と国家の分裂を危惧していたが、国政に関与したという記録は殆ど無い
 隣人や兄弟を貶める謀略を練るがどれも実行はせず、死後にその計画が公に晒され余りの情けなさに両親は遺体の頬を叩いたという

 弱小国「安」の公族・嫌儲君は、つねづね「三晋倍安」と唱えていた。
三晋(韓・魏・趙)の力は「安」の国に倍すると脅威を訴えたのであるが
服従するべきなのか対抗するべきなのかの具体策はなかった上、
 そもそも「倍」程度の国力差であるはずもないという点で状況分析もいい加減であった。
 「安」という国は歴史の中に消え、その終焉がどのようであったかを知る記録もない。
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