徳川家康⇦三河の田舎侍が日本全国を支配し天皇すら従えて200年以上続く王朝を打ち立てたという事実。コイツ何もんだよ [535650357]
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普通に信長や秀吉よりヤバいだろ
http://jap.com 頼朝だって姓も無いような北条政子と縁結びしたんだから
武士の出自なんて怪しいとしか言いようが無いよな
元は公家の地頭から成り上がっただけんだから只の使用人だし
単なる半グレだったんだろう どんなにピンチでも信長の小判鮫をやめなかっただけで天下を取った男 人質時代に植え付けられたトラウマが生きる力を洗練させたんだろ。抜かりなく詰める性格になったと言うか >>94
物を知らない田舎者だな
松平は最大の皇室領荘園内にあった
つまり、コテコテの親皇室の土地柄
そしてこの荘園は、源頼朝、足利尊氏の先祖が開発した
皇室を滅ぼす発想すらない
最大の皇室領荘園だった豊田市に繋がる鎌倉将軍家、足利将軍家、徳川将軍家、トヨタグループが、今も昔も、皇室を庇護する日本の番長
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期~戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>99
その発想がないからダメなんだよ
天皇を皆殺しにすれば三河が日本のトップに立つ
二番手に甘んじるその煮え切らなさがその後日本をも巻き込んで世界大戦の敗戦を招いてしまった
今度は間違えてはならない
確実に皇室は途絶えさせねばならない
それが日本を背負って立つ三河の使命ってものだろう >>100
物を知らない田舎者だな
何故現代社会においても、国体を三河が守護しているのか考えよ
八咫鏡
伊勢神宮崇敬会
http://www.jingukaikan.jp/sukeikai/yakuin.html
>会長 豊田章一郎(三河吉田藩山口村、トヨタ自動車(三河県豊田市))
草薙剣
大宮司家
千秋家(三河国設楽郡千秋、三河県新城市) >>101
そんなもの守護した結果がボロ負けだろうが
三河は守るものを間違えたんだよ
天皇などと言うゴミクズの虚栄の権威でなく、自分の力をこそ信じるべきだった そこが三河の惜しいところだ
天皇こそ日本の敵でり、その力もあるのに天皇を排除できない
まぁ、三河に限らないが
三河を誇るのは良い
しかし、ついに天皇屠ることがなかった三河の失敗から目を逸らしてはならんよ >>102
物を知らない田舎者だな
本当は、剣と鏡は三河の王の神宝だった可能性が高いと言ってんだよ
皇室を滅ぼす事はつまり、三河の王を滅ぼすと同じ事なんだよ
何で三河人が三河の王を滅ぼすんだよ
アホか
日本の最初の王(ニギハヤヒ?事代主?)は三河国出身の可能性が高い
三河県豊橋市石巻小野田の石巻山は三輪山の奥院であると大神神社の社伝に書いてあり
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
纒向遺跡の東海色はよく知られているが、纒向は追い出されたが、時代を下り源頼朝、足利尊氏、徳川家康と三河は関東関西を圧倒した
グーグルマップで見るとよく分かるが、大神神社の鳥居と拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥院、三河の神山(石巻山)に向いているわけだな >>104
だったら皇居三河に作れやボケェ
なんで関東などに日本の首都という栄誉を横流ししてんだよ
ほんと天皇はクズ野郎だわ
日本の王の土地無視してんだからな そんな恩知らず天皇クソ野郎担いでるから歴史もないポっと出アメリカなんぞにボロ負けすんだろうが
マジ天皇だけは絶滅させとけ 大河期待してなかったけどけっこうおもしろい 三河土人がいっぱい出てくる こりゃ戦争強そうだわ >>105
頭が悪い田舎者だな
昭和天皇が終戦を遅らせてしまったのは、伊勢湾に米軍が侵略してきて、三種の神器を奪う危険性があったからだ
つまり、三種の神器から離れた場所に武家政権や公家社会をおいて、三種の神器を政争に巻き込まないようにしていた
三河に三種の神器の守護を任せてな 太平洋戦争の時代に尊王勢力でなく三河が日本の主導権握ってりゃ、
勝てないまでものらりくらり戦争かわして敗戦国になることだけは避けられただろうさ
さながら豊臣に相対した神君家康公のように
天皇如きに膝を屈するからその後1000年の日本の名誉を逸することになる >>108
んなもん天皇につっかえして御所ごと燃やしてやればよかったんだよ
それができなかったのが三河の限界だな >>110
勝ち組で有り続けるなら問題ないんだが
【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。
総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市~鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区~武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区~神奈川県横浜市)
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区~神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市~神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区~神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(三河県安城市~西尾市)
10位 名鉄豊田線(三河県みよし市~豊田市)
11位 東急大井町線(東京都品川区~神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区~神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(三河県豊田市~碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区~大田区)
ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html >>111
日本内部での勝ち組であり続けたって意味ねぇんだよ
北センチネル土人の酋長になって何が嬉しいんだ
日本自体が世界に冠たる国となり、さらにその中での勝ち組になることこそ目指すべきであって、
天皇なんぞ担いでたら日本という国は負け続けるだけだ >>111
だいたいそれも本来なら三河が上位独占してるはずだろうがよ
天皇のせいで東京なんぞガチ土人の土地に富が横流しされるんだぞ >>111
結局お前は三河三河いいながら三河が天皇の風下に甘んじてることに憤りを感じられないエセ三河なんだよボケ
お前のようなのを天皇信者という >>53
役職を発行したところで偉いわけではないということで
建前上でも天皇に上座を与えなかったのは日本史全体でも江戸幕府だけ。
天皇の勅使に対して家光以降は、将軍が上座、勅使が下座、この儀礼は幕末まで続いたからな
家光は天皇と二条城で対面しているけど、そのときも上座をあたえず曖昧にしたし >>57
豆知識だが
一見して、三河とは関係ないと思われる源義国と源義重だが、義重の祖母は三河物部氏の娘
中原季成(三河物部氏)→女→女→源義重→世良田義季→頼氏(三河守、三河守護代)
中原氏は、三河物部氏の興原氏から分かれた中原氏
新田流は三河物部氏と縁故があったのは確かだわな 石田三成と言う男が日本国の未来を考えて天下を取らせて上げたんだよ
あの家康の屋敷に匿った時に家康なら日の国を任せられると感じてな >>10
北条は三河の足利氏を恐れ、自らの安全保障の為に姻戚関係を結んだが
結局は源頼朝と母方で繋がる足利氏には勝てなかったな
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したんだよ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
・金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています