90年代から既にインターネットやってた奴www [851834166]
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東京ゲームショウのビジネスデイで
ドリームキャストのインターネット体験やったな >>269
それどうやって落ちるんだろう?
IBM PC系だとansi.sysという1.5kbyteくらいのアセンブラ記述のデバイスドライバでエスケープシーケンスの処理をしていて画面アクセス周りもBIOS経由で安全にできたから
PCを落とすような要素は何もなかった
一応逆アセンブルして改造とかした
98の方はあんま詳しく見てないけど、エスケープシーケンス周りがIO.sysっぽかったり、画面アクセス周りもBIOS本を覗くとハードを直接叩かないとできない事だらけだったり
バグが入りやすい設計なのかな、と思った alt.binary.pictures でPGF画像を漁ってた思い出 >>459
付録目的でUNIX USER買ってたから この時代は情報が無料に限りなく近づくことから
プロのクリエーターや芸能人の価値が下がると思われていたけど
むしろインターネットでお金稼ぎしようとする人が増えた >>471
N88ベーシック時代に廃止されたはずだが >>473
当時は Unix User の付録 CD-ROM と秋月とかで
売られていた Walnut Creek の CD-ROM が
FreeBSD とかを入手するためのライフライン
だったよね。
anonymous ftp から text で binary を落として、
ラスト 1 マイル(通学経路ともいう)を経てから、
展開しようとしたら壊れていて何も出来ず、次の
日にもう 1 回とか懐かしいな。 >>465
Unix Magazine は、kernel 周りとかは確かに
記述は少なかったかな、自分も記憶に無い。その
あたりは 95 年頃だったら Software Design の
ほうがよく書かれていた感じ。
ネットワーク絡みではユニマガが IPv6 の話を含めて
Frontier だったわけで、棲み分けの話と自分は理解。 >>471
PC-9801 を使っていたけれど、エスケープ
シーケンスで何かの調子が狂ったりすると
2bytes 文字含めて画面が暴れて、どうしようも
なくなったことがあったような微かな記憶がある。 ああなんとなく現象を思い出した、画面乱れね
98のテキストVRAMは
画面用文字コードをハードが読み取って
キャラクタージェネレータが文字表示する方式で
その表示コードの範囲外の値を入れると乱れるか
あるいはN88やIO.sysが矛盾状態になって乱れる
ような話かな
その辺、IBM PCはBIOS経由で文字コードを設定して、
矛盾状態の排除や画面乱れの除外は
BIOS側責任だったから
ある程度デタラメなバイト並びを表示しても
画面が乱れにくかったのかな。
でも初期の日本語対応版だとやっぱり何かあって
Clsコマンドで画面クリアが必要になる場面もあったような もっと単純にモデム落とせたはずなんだよ
無限に電話料金かかる時代だから寝落ちした馬鹿とかも落とせてやれた 年の離れた従兄弟がお下がりのWin95くれた中2位だったかな?
悪いオタ友がエロゲ割レ詰まったCDRくれて、試行錯誤しながら学んだなエロ見たさに
両親説得して自室に回線引いて貰ってテレホーダイ
何度もウィルス貰ってPCリカバリしたけどダイヤルq2には引っ掛からなんだな >>476
型落ちのソーテックWinBook S 486SX 33MHz、Win95を動かすには非力だったのでUNIX USERに付いてたFreeBSD2.0.5で使わざるを得なかった インターネットでだれでも情報発信できるようになったら
まずいことが起きるのではないかと想像した人はいるかな
メディア関係者にはいたはず 大学は既に光完備だったからなあ
自宅ではテレホタイムにダウンロードリストだけ作って
研究室に着いて最初にやる仕事がそのリストをダウンローダーに流し込む作業だった思い出 >>198
限定でLinux出してたね
なんか平日朝の電話申し込み方式で
学生か自由業じゃないと予約しようのない謎配布だった 98年頃にWindowsパソコン買ってもらってダイアルアップ、PHS、ADSL、光と一通り使ってきた
さすがに電話機のマイクに被せるやつは使ったことがない 今月、20年つこーてきたADSLからとーとーそつぎょーするは 98年から始めたわ。1日1時間半ぐらだったかまでは定額制で、それを超えると従量制。
メンドくせー料金設定だったわ インターネットは93年頃大学でやってたなぁ
Linuxは92年頃にtownsに入れていじってた >>483
1990年代には当たり前のように危惧されてたよ
少なくとも上の方では >>492
インターネット雑誌やパソコン雑誌が編集者のいるメディアの重要性を
きちんと説くべきだったと思う >>49
meshが15時間2000円のインターネット接続サービス始めたのが1996年の夏頃で、それが俺の本格的なインターネット接続だった
それ以前はNiftyが3分20円とかのサービス提供してたと思う >>483
ASCIIネット実験ホストに繋いでた頃から危惧してたわ
実体のない文書が秒で移動する世界に変わると分かったから 直撃世代なのに全くやっていなかった話題に入れなくて後悔してる >>495
junk.testがカオスだったね
まるで…5chの嫌儲板以上にカオスの記憶がある 初めてのインターネットはドリームキャストだからギリギリ滑り込みだったかもしれない インターネットに初めて触れたのは2003~2004年辺りだ
当時はハボホテルとかにハマっていた
今の若い子でもハマリそうなオンラインサービスだったが、残念ながら日本撤退した >>497
そう、あそこがすべての始まりだった
伝道師とかいう統一教会原理研の尖兵も居たし金持ちしかいない当時のネット社会でも異臭を放っていた >>498
なんでモデムだったんだろって思ったな
速攻でBBアダプター付けたんだけどこのドリキャスがのちに友達にめちゃくちゃ感謝された思い出がある。
買ったら高かろうが要らないものは要らないのでタダでやったけど 今35歳くらいの人間だと小学校でパソコン触る機会あったと思う >>502
なんでもなにも当時ADSLは田舎じゃまだ引けなかったし全国で繋げられるように売るにはモデムにするしか無い
ヤフーがモデム配ってたのも2001年頃ぐらいからだし >>503
38だけどあった
たぶんMS-DOSだったけど Win95からそろそろ三十年とかいう事実に戦慄する 90年代前半からパソコン通信ならやってたな
PC-8801TRとかもあったな
インターネットは大学の研究室にワークステーションがあってそれで使ってた
1996年くらいにNTTがocnを発表して衝撃だった
NTTがインターネットの接続サービスはじめるのかって >>504
Yahooブロードバンドの無料配布モデムってADSL用だろ
ISDNならTA >>509
衝撃はないけど
ISDNの負けを認めたようなイベントだね
むしろ一般開放がとんとん拍子で決まった1993年段階で
名乗りを上げたのが富士通とIIJだった方が意外だった >>15
商用ISPは94年から開始、Win95に「インターネット」なるアイコンが搭載されて
契約者増えたのが96年くらいからだからね
それ以前のインターネッツは 安倍@東京大学大学院 と 晋三@沖電気工業 がMLで実名バトルしてた >>512
実名だったねそしてなぜか所属書いてた
98年頃オンラインゲームの掲示板を生IPで荒らすキチガイがいたんだけどそいつに管理者の実名時代のMLログが残るサイトを教えてあげた
「そんなにカリカリしないで昔の良いところを思い出せよ」とかそんな事書いた
見事誘導されて突撃した >>511
ISDNとocnはまったく土俵がちがうぞ
アクセス回線の話とプロバイダーの話だからね
アクセス回線はISDNとかADSLとか光回線とか専用線
プロバイダーはocnとかニフティとかbiglobeとかドルフィンネットとか niftyのNIFは日商岩井と富士通の略だったのに
まさか相模原の田舎の電気屋に身売りされるとは…
KDDIが引き取ったBIGLOBE(PC-VAN)と、どこで差がついたのか インターネットが真の意味での社会インフラになってまだ10年しか経っていないのだよね
ほとんどの人はインターネットがなくてもじゅうぶん生活できていた >>518
一般の人がインターネットというものを本格的に使うようになったのはスマートフォンの普及からだと思う
その前にも携帯電話によるインターネットサービスはあったけど NG済みの人がピクピク反応していてワロタ
NGされてるから読めないw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています