第一次世界大戦が「クラシック音楽」に与えた「意外なダメージ」をご存じですか…? (現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/80e7848d758656a7682f96659953358d113f327a
(前略
クラシックというとまっさきに連想されるのは、19世紀のベートーヴェンやショパンのような作曲家です。あるいはおおげさなかつらをつけた18世紀のバッハのような作曲家です。どうしたって、昔の音楽という感じがします。
現在もっとも人気がある作曲家のマーラーやリヒャルト・シュトラウスの全盛期は20世紀初頭でした。このあたりの作曲家は、いわば応用問題の極致をやっているようなものです。ベートーヴェンなどが打ち立てた基本的な発想を、限界までやり尽くしていたという感じ。
ところが、ちょうどそのころのヨーロッパで決定的な大事件が起きてしまいました。第一次世界大戦です。1914年に始まった人類史上初めての大量の殺人兵器による戦争によって、それまでの常識がひっくり返ってしまいました。
シリアスに人生を考え、理想美に憧れたり、上品なきれいさを好んだりすることが、馬鹿らしくなってしまったのです。大量生産、大量殺戮、あっという間に普及した飛行機……。野蛮人の戦争ではありません。文明や技術が引きおこした戦争なのです。感性が変わらないほうがおかしいのです。
第一次世界大戦が終わった1920年代あたりには、妙に軽薄でふざけたような作品、逆に不安にさいなまれる心中を吐露したような作品など、それまでとは趣を変えた音楽が増えました。さらには、ジャズを取り入れたり、機械のような現代的な美を表現したり。もはや理想美などありやしません。
そして、さして間を置かずして1939年に第二次世界大戦が始まると、激しい爆撃によってホールやオペラハウスは破壊され、才能あるユダヤ人は虐殺され、文化をめぐる状況は一変してしまいました。もはやモーツァルトのような音楽を書けるわけがありません。
さらには、社会主義国における自由な芸術活動への弾圧。世界的企業による(必ずしも意図的ではないかもしれないが、結果的には)文化の均一化。その一方で、権威となった芸術家は文化産業の成功者となって、途方もない富を得るようになりました。
このような時代の変化を見ていると、おのずと第一次世界大戦が始まるあたりまでがクラシックの全盛期だったのではないかと想像できるでしょう。そして、それまでのいわば楽観的な芸術観の枠組みを踏み越えた作品がその後は作られたことも想像できるでしょう。
ですが、楽観的な芸術観、というのはつまり、「芸術とは美しいものだ」ということですけれど、この外側に一歩を踏み出せば、それは時代のリアリティを表現するという点では間違っていないけれど、ごく普通のきれいな音楽を聴きたい人が求めるものとは違うものを作るということになるのは自明です。
きれいでないもの、わけがわからないものを弾いたり聴こうとするのはよほどの変人です。ですので、ごく簡単にまとめると、普通のクラシック愛好家が聴く作品は、1910年代までがほとんどです。それ以降のものもいくらかはありますが。
第二次世界大戦後は、さまざまな実験音楽が作られ、後述する「現代音楽」が確立されました。もはや聴衆がどう反応するかはほとんど眼中にありません。純粋に、音楽の新たなあり方を問うのです。また、理解されようがされまいが、作曲家は自身の信念を貫こうとします。どうせ、大勢の人が喜んで聴いてくれるようにはなりませんから。
となると、気づきます。クラシックとは、作品も演奏家も大事ですが、聴衆も大事だったのだと。すばらしい作品、それを魅力的に奏でる演奏者、それを喜んで聴く聴衆。この三つが揃って、いわゆる「クラシック」の世界は成り立っていたのです。