咲来さんは、幼いころから母親によって福岡市博多区の団地の一室に閉じ込められた。留守番中にテレビを勝手に見たという理由で顔や背中などを殴られたのをきっかけに、18歳だった2005年11月、自宅を逃げ出して警察に保護され、母親が傷害容疑で逮捕されたことで事件が公になった。

 講演では、自身が受けた虐待を赤裸々に語った。窓に黒いカーテンが引かれた物置のような一室で寝起きさせられ、ベランダに出るのも許されなかった。食事は1日に1食しか与えられなかったり、腐ったご飯をわざと食べさせられたりした。咲来さんが、当時の食事を再現した写真をプロジェクターに映すと、会場からは思わずため息が漏れた。軟禁されている間、母親から常に存在を否定され続け「『助けて』と言っても誰にも助けてもらえなかった」と振り返り、自殺を図ったことも打ち明けた。

 意を決し、自宅から逃げ出してからの15年は社会になじめず、苦労の連続だった。20歳から生活保護を受け、1人暮らしを始めたが、学校に通わせてもらえず他人と関わった経験がほとんどないためコミュニケーションの取り方が分からず、人間関係に悩んだ。また、家族や保証人がいないことで希望の仕事にも就けなかった。「私の経験を聞くと相手の顔色が変わり、腫れ物のように見られるのがつらかった」と声を詰まらせた。

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