お米、縄文時代から栽培されていたことがほぼ確定。ドングリウホウホとか馬鹿にしてすまんかった [389326466]
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私たちが主食にしている「お米」。
その歴史は古く、古代に中国大陸から国内に伝わったとされていますが、その時期については諸説あります。
そんな中、独自のアプローチで稲作の起源を解き明かそうという研究が発表されました。
稲作にまつわる入試問題
まずは稲作に関する入試問題です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230202/k10013968381000.html 縄文も縄文で旧石器と新石器で色々あるしここら辺の括りは変わるのは仕方ないよ
まあ縄文と弥生の差は平成と令和程度の差なんやろ 中山間地から平野部への定住が可能となって人口拡大に寄与したのが画期的なのであって
古代の貧弱な稲作に頼り切れるわけないやん ソース読んでないがコメは伝来したけど灌漑の技術がないから流行らなかったんじゃなかったっけ?
今の時代区分だと弥生時代ってのは計画的にコメの集約農業が北九州で始まったBC10世紀ぐらいってことになってるし 縄文時代初期から大規模稲作を起こっていたことは常識
稲作と共に日本は発展してきたわけだが、そこに半島や大陸など関係なく、日本だけのオリジナルの歴史2681年 5000年位前から栗の木も植林してたらしいな
ソースは三内丸山遺跡 すげー昔からってわけじゃなくて、弥生に切り替わるちょっと前って話だな
「弥生時代早期よりも50年から80年古かったということが分かりました。粘土の中に入り込んでいますので、当時のものというのは間違いない」
時期的に渡来してきた弥生人とまったく関係ないわけではないのでは?
先駆的な渡来があったのか、渡来後水稲稲作が広がる前に醸成的時期があったとか?
あるいはそれを縄文最晩期と読んでるだけで、実際はプレ弥生とか? 船という文化そのものが西から来たと考えるのが妥当だろ
常識的に考えて
んで快晴でかなり泳いだら島が見える所に天気がいい日にボートで行くとなると
南中国かフィリピンから台湾から沖縄から奄美大島から鹿児島になる >>13
日本列島の稲作は水田と一緒に来てる
というか稲って元々湿地帯の植物じゃん,陸稲の方が大分後 縄文弥生はいきなり変わったんでなく、重なってた時期はかなり長い つまり縄文時代でいうと
日本はボートで台湾や沖縄や奄美大島や鹿児島から行く島だけど
朝鮮は大陸の1番最端っこで
最後に徒歩で人が行くところなんだわ そもそも○○なんかを縄文の相当遅くから栽培してるのにノータリンってホント馬鹿だよなぁ
「ドングリ」たる○○なんかをいまだにありがたがってるのに「昭和のノータリン白痴バカ」って穢多非人以下だよ脳味噌が 笑 やよいは名前にも使えるかわいさがある
縄文はいかにもウホっぽいからしかたない 漆の栽培も縄文まで遡るんだっけ?
そもそも中国や朝鮮が近いんだからそっちから渡って定住した人もいただろうし
縄文時代に樺太方面から沖縄まで交易路があったと考えるのは当たり前 >>17
それもう弥生時代が前倒しになるでいいじゃん 前に論文読んでたら「初期稲作遺跡では完全な弥生遺跡、完全な縄文遺跡などというふうに別れているわけではなく、たいてい両者が混在している」と書いてあったな
縄文集落の一角に弥生が集まってるって感じらしい。で、それがだんだん拡大していくと
最初期に渡来してきた弥生の一群はすげー数が少なくて、水稲稲作も完全にはできてなかったんじゃね。で、そこは縄文最晩期扱いになると、実際縄文土器だろうし >>28
土器の模様で時代決めてたら春のパン祭りどう処理すんだ 皇国史観で野蛮人とされる縄文海人族の集団が大和を中心にハプスブルク方式で当時では先進的な帝国を作ってた
あとから天孫の一族が瀬戸内海、河内経由で大和入り
戦争で敗れるも
文民を賄賂で寝返らせ乗っ取りに成功
都合悪い人物たちは蝦夷として殺害、追放
つまりこういうことだろ >>31
まー、でも集落の大半は縄文だし、出てくるのも縄文土器だから、縄文最晩期の稲作という感じになるんじゃね
すまん、俺もこの辺の論文読んだの2年くらい前でよく覚えてねーわ 縄文時代から水田耕作じゃなくて畑作で稲を栽培してたってのは以前から言われてるよね? >>28
その土器も弥生初期と後期ではまるで違うらしい。つーか弥生時代って括りが大雑把に過ぎるとか まあそりゃそうだわな
稲作先進地域からの移民だからって誰もが何でも知ってて何でもできはしないんだから
書物や地図が当たり前にある時代じゃないしな
この種を蒔いてたくさん増やして料理するとうんめえんだけど自分の故郷の水田というのは一体どうやってたんかな
産まれた時からずっとそこにあって
毎年決まったルーチン繰り返してただけだからこの国の硬い地面のまま貴重な種を蒔いちゃっていいのかわからんわ~なんて事もあったかもしれない 縄文土器から粟が見つかった
からの
だから稲作もしていた
の飛躍で笑う
やっぱこんぐらい強引でないと予算もらえないよな 長江方面から渡ってきた集団は稲の栽培方法を知ってたけど漁労と採集でいくらでも食糧がとれるからわざわざ栽培する必要が無かったってだけ
遺跡が見つからないから技術が存在しない=後の時代の集団により知恵がもたらされたというのが大きな誤謬 >>30
船でとんでもない距離を縦断してたって言うしな 稲作は苦役を伴うものだから
とりあえずやってみっかーでやるようなもんじゃねーんだよ
だいたい、古今東西海賊になるようなやつは荘園から逃げてきた農奴なわけでな
作り方を知らないんじゃない
トラウマを思い出すからやらないんだよ 縄文時代の遺跡の発掘で見つかった米の遺伝子検査で朝鮮半島の米の遺伝子は入っておらず中国の米の遺伝子だったので
朝鮮半島は経由せずに中国→台湾→先島諸島→沖縄→本土というルートで米が持ち込まれて陸稲栽培されてた
その後水稲技術が中国ルートや朝鮮半島ルートから持ち込まれた 栽培ノウハウが確立する前は狩猟採集メインで補助的に栽培してた時代があるはず。
縄文時代にそういう移行期が存在すると考えるのは極めて自然な発想 >>41
どうかな?移民目的で来てる人たちがそんなぬるい旅行感覚ではないんじゃないかな
たまたま流れ着いたわけでなく移民としてそこで生活できるだけの知識と技術持った連中が集団として来たわけだろうし
それこそ航海自体が命懸けの時代に行った先でなんとかなるだろなんて行き当たりばったりやらんと思うわ 弥生早期より50年から80年代早まったって…
そんなピンポイントで縄文と弥生の境目が判ってるの? >>49
自分はそういう何か目的があって移動してきた または何かから逃げてきた人間ばっかりじゃなかったと思ってるんでね
それ以外に飽きた!次行ってみよう!という人達が大勢いたと思ってる
当時は娯楽が全然無いんだからさ 新しい土地で新しい生活をスタートして試行錯誤していくのが楽しみな人達っていうのがね
安定した生活やら損得勘定やらコスパやら糞喰らえ そんなもん何がおもしれえんじゃというのが現代の日本人の気質では全く理解できないと思うが (どーき土器土器土器土器土器土器土器) きみの愛馬が! ずきゅんどきゅん 走り出しー(ふっふ) >>53
わざわざ大陸や半島から舟漕いで来るだけで下手すりゃ数ヶ月かかるわけで十分に食糧用意せずに来ること自体が難しい時代に?なんかボクはこう思うってだけで説得力がないな 栽培のロストテクノロジーがあって栗の実が現代より大きかったらしいな >>55
ポリネシア人が原始的なカヌーでイースター島にまで辿りついてるのには合理的理由が無いよ >>50
縄文時代って1万年くらいあるのにな
誤差だよ ポリネシア人の研究だと台湾から南へ南へと広がっていったというのが定説のようで日本の方向へはまったく矢印が向いてないという不思議さ
黒潮があり物資補給経由地としての小島が点在してるのも好都合なのにな
日本人は大陸や半島から何ヶ月かかけて渡ってくるものとすると閣議決定でもされているんだろうか? >>59
彼らも準備して航海したんだよ。移民のために家畜まで連れてね >>61
縄文系が南方からって説は見たことあるけど弥生系が南方からなんて話聞いたことないな そりゃ中国では1万年前に稲作の痕跡あるからね
あるいは最後の氷河期以前、大陸と日本が陸続きだった頃にまで遡ってもおかしくない ネトウヨは米は日本に自生していたとでも思ってるのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています