【三国志】イケメンでお馴染みの「周瑜」、実は正史にも演義にも「美周郎」という記述は一切無し。「美周郎」の名付け親は意外な人物… [126099962]
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諸葛孔明のライバルとして有名な周瑜は、一度も「美周郎」とは呼ばれていなかった?
三国志を題材にした映画『レッドクリフ』(2008年)で、実質的な主人公として描かれた周瑜(しゅうゆ/175~210年)。
赤壁(せきへき)の戦いを勝利に導いた孫権(そんけん)軍の指揮官で、音楽にも精通した文化人だ。
容姿端麗ともいわれ「美周郎」と呼び親しむ人も多い。ところが、そのあだ名やイメージは最初からあったものではなかった。
今回はなぜ、それらがファンの間に定着したのかを解説したい。
「容貌が立派」ではあるが「美」とは描かれていなかった
正史でも、物語『三国志演義』でも、周瑜のデビューは実に華麗だ。名門・周家の御曹司(おんぞうし)である彼は、
義兄の孫策(そんさく)が旗揚げしたと聞くや、兵を率いて颯爽と馳せ参じる。
2人は幼なじみで、断金(だんきん=金属も断ち切る)の交わりを結んだ仲だった。
のちに江東地方の美人姉妹、大喬(だいきょう)を孫策が、小喬(しょうきょう)を周瑜が妻に迎え、本当の義兄弟にまでなる。
周瑜は義兄・孫策の期待に応えて軍才を発揮し、孫策の勢力拡大に貢献する。
正史では「瑜長壮有姿貌」(長じて立派な容貌になった)と周瑜の容貌を記し、呉の人々はみな彼を「周郎」と呼び称えたとも書き添える。
さらには、周瑜は音楽に精通していたとも紹介される。「演奏に間違いがあると周郎が振り向くぞ」と噂されたエピソードは「演義」にも流用される。
まさしく完全無欠のイケメンを連想させるが、注意したいのは「美」とは一言も書かれていないことだ。
正史の表記では「容貌が立派な周郎」であって「美周郎」ではない。
固定概念で、ついそう思いたくなるが、少なくとも生前に「美周郎」と呼ばれたことはなかったのではないか。
1000年後に成立した小説『三国志演義』ではどうか。第15回で周瑜が旗揚げした孫策のもとへやってくるのは史実どおりで、
そこに「姿質風流、儀容秀麗」(風流で秀麗)と彼の容貌が紹介される。
「三国志」の物語が語り継がれるなかで、周瑜はすっかり「イケメン」化していったに違いない。
「演義」の周瑜といえば、激怒のあまり吐血するシーンもあるなど、いつも諸葛亮にやり込められる損な役回りだ。
その一方で、デビューしたばかりの諸葛亮の「好敵手」にふさわしい風采(ふうさい)と才覚(さいかく)を併せ持っている。
「悔しさに顔をゆがめるイケメン」扱いなのは救いといえようか。
ただし、ここでも「美周郎」のあだ名は出てこない。中国発の「演義」には美周郎は無いことは覚えておきたい。
そして『三国志演義』は江戸時代の日本に入ってきた。しかし、それを読んだ日本人の画家は、どうやら周瑜を色男とは捉えなかったようだ。
当時、大流行した『絵本通俗三国志』の挿絵に描かれた周瑜の姿は、美周郎どころかヒゲ面で厳めしい。
同じヒゲ面でも、どこか飄々とした雰囲気がある諸葛孔明(しょかつこうめい)とは対照的だ。
もっとも、同書ではほとんどの人物が同じような姿に描かれ、名前がなければ見分けがつかない。
三国志に限らず当時の軍記物の絵は似たようなものだ。
では、周瑜を容姿端麗に描いたのは誰か。これほど広まっている「美周郎」の名付け親は誰なのか。
https://www.rekishijin.com/25236 人形劇の周瑜はそんな印象に残ってないなぁ
やっぱり孔明に強いコンプレックスを持っていて
勝ったと思ったのに結局掌の上だっショックで吐血して死ぬ方がイメージ強いわ >>17
チクビが浮いてるのかそういうデザインの鎧なのか分からん 吉川英治は若い男を美男子にするの好きだよな
姜維も美少年にされてたし 完全オリキャラ周倉が関羽像の横に必ず並んでるくらいだし適当でいいんだよ 当時の美男子って多分ひげもじゃで筋肉質なタイプだろ 張飛もいつの間にか字が変わったり虎髭が生えるようになったりしていったし 袁紹が十常侍を襲撃したとき髭がないものは宦官に間違われ殺されたと書かれてたな >>24
え?あるかそんなイメージ?
何処かに書いてあったっけ? >>13
基本当時の史書には人物の容姿の美醜とかの記述は、よっぽどな人を除いてかなり少ない
ほんで正史でも信憑性の高い陳寿の本文では趙雲は記述が極端に少ない空気武将
ただ、「信憑性が低い話も出典付きで載せてるから真偽は自分で確認してね」
って注意書き付きで書かれてる裴松之の注釈部分には「趙雲はイケメン」って書かれてる
ってかその容姿描写だけじゃなく軍事に長け政治感や外交的戦略眼も持ち合わせ
劉備や諸葛亮からも愛され全幅の信頼を得てた的な完璧超人的描写まで
ほぼ全部「趙雲別伝」って書物のみからの引用話なんだけど
実は趙雲別伝は史書ですらない、趙雲の子孫がご先祖をageるために書いた家伝で
同様の記述が他の史書にもないし、限りなくウソっぽいのよな
裴松之の推しが趙雲と荀彧だったらしく、荀彧も何か怪しげなageられ方してるよのな注釈で 賈南風とか色黒でロリ体型でドスケベって現代ではかなり人気出そうな外見してるよな >>46
荀彧は西晋時代には既にイケメンと言及されてるな 禰衡が曹操配下をことごとくこき下ろす謎場面でも荀彧の顔だけは評価されてるのが面白い >>50
シンデレラ・ハネムーンのモノマネ得意そう 神火計と侵略荒廃で拠点も府もボロボロなるわ
敵だとうざいことこの上無し >>10
そこはわからん
武人だと醜いのがプラスになってる例もあるし 美髯公みたいに美を足してみたのか周郎じゃなんか雑魚っぽいし 中国の三国演義連環画だと陸遜がそのへんのおっさんみたいなやつ
横山光輝はそれを真似して描いたから同じ顔
光栄の初代三國志ではなぜか陸遜ひとりだけ場違いな美少年顔だった ちなみに龐統は容姿が悪かったって史実にも書かれてる 吉川英治とか司馬遼太郎って普通に絵のない漫画だからワクワクしておもしろいんだよね
進撃の巨人とか読んでるのと同じ感覚
あれを史観にしちゃうのってどんだけ昔の人情報すくないの?
って思っちゃう 沖田総司な佐々木小次郎の美少年描写とか
今でも腐女子が飛びつくもんね >>63
史料の読み込みなんかはここ50年くらいで飛躍的に研究が進んだ分野
昔は創作と一次史料も区別ついてなかったし
なんせ神武天皇とか万世一系とかが公式だったからな ・イケメン
・天才
・美人嫁
・名家
・金持ち
・文武両道
歴史上、こいつを超える人物おるか? >>56
実は正史に、ほぼひげが無かったか
それと同じレベルに薄いひげしかなかったって逸話が残ってるのが
意外にも劉備なんだよな
赤壁後荊州に居た劉備が、対張魯戦で苦戦してた劉璋の援軍として益州に入った時の宴席で
当時劉璋の部下に張裕っていう豊かな口ひげを蓄えた人物がいたんだけど
劉備がジョークで「あんた口の周りが毛だらけやな」ってからかったら
張裕も即ジョークで「あなたはお口が丸見えですね」ってやり返したって話があって
口ひげが生えてないのがコンプレックスだった劉備はこの一件で激しく張裕を恨んで
劉備が劉璋を倒して蜀の主になった後、最終的に張裕を処刑しちゃったんだよな
ひげが薄いのがコンプレックスだったり部下に美髯公がいるのに他人の口ひげイジるとか謎だけど
劉璋が劉備を歓待する宴は百日に及んだと言うし、自分は援軍連れてきた君主で
相手は援軍を請うた側の一臣下って立場もあって、悪ふざけが過ぎちゃったのかもな 日本も江戸時代に入ってひげをそるようになる前は
ひげがない、薄いことをからかうと殺し合いに発展しかねなかったというし
秀吉は付け髭をつけていた説があるな。 >>38
そもそも暴虐無比で残忍で知恵だけは回る奴がなんで庶民の人気者なったか言う事やな >>66
光武帝とかムスタファ・ケマル辺りなら余裕で超える
なろう主人公みたいな人生だぞ >>71
水滸伝を更に酷くしたような張飛の活劇が人気だったとか聞いたことはあるがホントかは知らない ホウ統なんかは風采が上がらなかったってあるけど
風采って容姿って意味だけじゃなくて
服装や身だしなみ、立ち居振る舞いって意味もあるから
単純な見てくれ云々以外でも、身なりや身だしなみがパッとしない
態度やなんかが野暮ったく田舎臭いとかって感じだったりしたのかな 中国でも若い層はKOEIイメージの逆輸入で洗脳されてそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています