7世紀に北海道まで遠征した阿倍比羅夫って凄いすよね。東北すら完全平定終わってないのに [237216734]
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斉明天皇4年(658年)
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是歲、越國守阿倍引田臣比羅夫討肅愼、獻生羆二・羆皮七十枚。
この年、越の国守である阿倍引田臣比羅夫(あへのひきたのおみひらふ)が粛慎を討って、生きているヒグマ2匹とヒグマの皮70枚を献上した
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022043000360 >>8
普通に弓だろ、アシリパさんみたいにトリカブトとか塗って どこまでが苗字なのやらえっらい長い名前やな
当時は普通だったのか欲張りすぎだろ
ミドルネームが無い分だけ漢字を多くか
>>8
「あさましや ちしまのえぞの つくるなる 【どくきのや】こそ ひまはもるなれ」
─左京大夫藤原顕輔(1090~1155)作
北海道先住民は毒矢の使い手 ソ連の俳優・作家でシュクシンって人いたよね
肅愼というとつい思い出す 阿倍 比羅夫(あべ の ひらふ、生没年不詳)は、7世紀中期(飛鳥時代)の日本の将軍。氏姓は阿倍引田臣。冠位は大錦上。越国守・後将軍・大宰帥を歴任した。斉明天皇4年(658年)から3年間をかけて日本海側を北へ航海して蝦夷を服属させ、渡嶋を比定する決定的な史料はなく諸説あるが、東北以北にて粛慎と交戦した。 >>7
実際安倍晋三は阿倍比羅夫の末裔を自称してた 古事記とか日本書紀って当時の大本営発表で、
書いてある内容をそのまま信用しない方が良い。
かりに、そこに実在の人間はいたとしても。
たぶん、勝手に家臣あつかいしてる。
帝都物語とかで
当時の実在の人間が登場してても
現実の当人とは小説の内容が関係ない様に。
記紀も、その記述内容の真実性とは
別物と思った方が良い。 >>18
あーそれだありがとう
すぐ出るの頭良くて羨ましい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています