https://www.cinra.net/article/202302-ayumihamasaki
ちなみにぼくは10代後半から徐々に自分のセクシュアリティーを受け入れ始め、ゲイコミュニティーにも積極的に出入りするようになったのだが、そのときに実感したのが彼女のゲイ人気の高さである。
ゲイバーであゆが流れていたり、誰かがあゆを歌っていたり、みんなであゆについて語ったり、そういう光景を頻繁に目にした。またゲイに限らず、当時仲のよかったレズビアンの友達ともカラオケで一緒にあゆを歌いながら、<居場所がなかった>という歌詞に共感し合ったことを覚えている。
浜崎あゆみの曲はぼくたちの人生のBGMだったのだ。ほかの性的少数者の方々の内情を決めつけることはできないが、彼女の歌う寄る辺ない孤独に自分の気持ちを代弁してもらったと感じる人は少なくなかったように思う。
自身の内面に視線を向けながら個人的な出来事を歌いつつも、それを大勢の人に共鳴させていた代弁者としての浜崎あゆみにぼくたちは救われてきた。そして個人的な出来事を歌いつつも、その視線が大勢の人に向かっている現在の彼女には、時代の伴走者としての姿をぼくは見いだしている。
また、その背景を語るうえで触れておきたいものが彼女自身のマイノリティー性だ。彼女の発言の数々からそれが垣間見える。