八木アンテナ、世界初のポータブル液晶テレビ、リチウムイオン電池、QRコード、iモード、DVDの発明…昔の日本人技術者って凄かったんだな [566475398]
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「日本の半導体産業にとって、今が『最大かつ最後のチャンス』だと考えている」
日本の半導体産業の政策を担当している経済産業省のデバイス・半導体戦略室長である荻野洋平氏は3日、
東京都千代田区にある経産省の事務室で本紙の取材に応じ、現在の日本が直面している現実を率直に説明した。
荻野氏は「半導体技術は構造的な転換期を迎えており、日本にとって大きなチャンス」だとしながらも
「日本が強者だった30〜40年前の優秀な人材が引退を控えているため、最後のチャンスでもある」と述べた。
さらに、「今回推進されている日本の半導体戦略は、単に企業競争力を強化するレベルのものではなく、
『経済安全保障』の観点で半導体が日本で生産されるようにするものだ。そのためにどのような環境を作っていくのかが最も重要だ」と強調した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9401fdc09cd7472de4e984c0a5796986316f6427 チャンス=ハズレ
鉄拳チャンスですら本当はチャンスではないんだよ 今日本が世界に誇れるのって
利益だけ抜いて下に丸投げするビジネスモデルだよね 八木アンテナってアンテナ本体の発明じゃなくて、たくさんあるアンテナの形状のひとつにすぎないぞ >>8
八木アンテナはホントは宇田さんとの共同開発で
「八木宇田アンテナ」が正式名称なんだけど
途中から宇田さんの名前を外して八木アンテナとして特許取得した
戦時中にレーダーの開発にお呼びがかかって大儲けしたが
晩年はおカネを使い果たして困窮した そう思うと今の若者は文句しか言えないクズだらけだよな 電池はすごい固執してるな
太陽電池もこれからはペロブスカイトだけになりそうだし まず官僚の待遇を3分の1に引き下げよう
官僚のような国益に貢献せずとも高待遇で栄誉も得られる道を用意しているから
優秀な人が技術者ではなく官僚を目指してしまう
日本をここまで発展させてくれた功労者は官僚ではなく技術者たちだろうに 青色LEDの発明だって日本人やで。3人な。それによって3人ともノーベル物理学賞を受賞したわ
ttps://led.led-tokyo.co.jp/news/blueled/ 光ファイバーも日本が開発したのだが
特許庁が内容を理解できずごたごたしてるうちに
アメリカに取られてしまったという悲惨な歴史がある イマイチよくわからないのが
「テレビを発明した人」
文献によって国も人種も全然違うし
日本人が発明したと言うサイトもあるし
同時多発的に各国で開発競争してたから特定の発明者はいない、みたいなことも言ってるし iモードは技術的には大したことない
キャリアが課金も囲い込めたからビッグビジネスになれただけ 高卒ケンモジは日本sageばかりしてるけど頑張ってる人の足を引っ張るのはやめた方がいいよ
みっともないから どっちにしろ日本という国にいる人は競争できる実力者はいない
居ても投資されないし、交換ソフトみたいに悪用されたのはお前のせいだとして検挙される
日本で技術うんぬんが時代遅れで手遅れ >>21
日本全盛期の方が日本sage凄いよ
https://i.imgur.com/U8Em3VL.jpg
日本アゲなんてもんは向上する努力をなまけるための言い訳だからな
足を引っ張ってるのは日本を甘やかしてるネトウヨなんだよ >>20
ビジネルモデルという言葉を知らないケンモメン…
ジョブスがうらやましくてiモードのビジネスモデルを真似したのがiPhone >>24
日本のようにキャリアが携帯電話の細かい仕様まで決める国なんて他になかったから真似しようがない 全ての携帯にiモード機能実装させる強制力がなければiモードが立ち上がるわけないだろ >>4
みんな一回は思い付いたけど副作用やばすぎてやらなかったビジネスモデル >>19
高柳健次郎は全電子式テレビの受像機用のブラウン管を発明した人
そのブラウン管に世界で初めて(イ)の字を映し出す
カメラの特許も取得していたが実機開発に成功したのはRCA のツボルイキン
高柳はニューヨークのツボルイキンを発明品を持って訪ね情報交換
帰国後NHKで開発体制を強化
昭和14年から本放送に近い実験放送を始める
落語などの演芸やホームドラマ「ゆうげ前」などが放送されていた それってほぼすべて日本お得意の「改良」「量産化」じゃないか
もちろん今はその能力も落ちた iモードなんて、インターネットに制限かけまくっただけの糞劣化物だろ
ジャップのみがありがたがってた、ゴミの中のゴミ >>31
そのあたりから日本がダメになって行ったな 昭和17(1942)年4月。シンガポールを攻略した日本軍は、イギリス軍基地から電探(レーダー)
二基を押収した。この時、ゴミ焼却炉の燃えかすの中から、偶然、一冊のノートが発見される。
表紙には、レーダー技師のニューマン伍長のサインがあり、中には詳細なメモが記されている。
もしかするとレーダーのマニュアルなのではないか? ノートは直ちに南方軍兵器技術斑で翻訳され、
秘密裏に内地に輸送。兵器本部の技術将校たちは、ノドから手が出るほど欲しい敵の電波兵器に
関する資料を、目を皿のようにして熟読した。
ところが、そのニューマン・ノートには、“YAGI”という意味不明の単語が頻繁に出てくる。例えば
「送信アンテナはYAGI空中線列よりなり、受信アンテナは4つのYAGIよりなる」と行った具合だ。
どうやらアンテナの形を指しているらしいのだが、「ヤギ」なのか「ヤジ」なのか、読み方すら分からない。
そこでシンガポールの収容所に捕虜として捕えられていたニューマン伍長を探し出し、“YAGI”とは何かを
尋ねる。するとニューマンは、キョトンとした顔をして「あなたは、本当にその言葉を知らないのか。
YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ」。尋問に当たった技術将校は、絶句した。
それもそのはず、それはわが国電気通信工学の第一人者で、当時東京工業大学の学長でもあった、
あの高名な八木博士の名だったのだから。 ぶっちゃけ戦後の戦争世代がいたのは大きかった
戦争の通信機作ってた技術者の連中が民生品作るようになったからな家電メーカーとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています