かなりの高齢で、その社主の姿勢は「荷主は絶対」とのこと。

「それで仕事はとってこれても、結局やりくりで終わっちゃいますよね。昔は金額も大きかったから「これくらいはサービスで」なんてできたのかもしれませんが、いまの安さじゃ割にあいません」

 こうした過剰なサービスと、そのしわ寄せをドライバーに押しつける状況がこの国の物流を支えてしまった。当たり前に運ばれ、当たり前に届くその「当たり前」は誰かの努力で「当たり前」になっている。

 それだけでもありがたい話なのに、その「当たり前」に正当な賃金も払われず、本来は他人がすべき仕事まで、お金を別に払ってさせるべき仕事までドライバーに押しつけている。インターネット通販に顕著な「送料無料」も同じようなものか。

 さかのぼれば1990(平成2)年の「物流二法」から徐々に広がり、2000年前後の小泉純一郎首相と竹中平蔵経済財政相による一連の「聖域なき構造改革」を経て、これらはあしき「当たり前」としても定着してしまった。


やはり自民のせいだね