警察庁長官狙撃事件「実行犯逃走手助け」 当時参考人の元自衛官新証言
スクープ 遠藤浩二
2023/3/20 05:00(最終更新 3/20 05:15)

 1995年に起きた国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁の特命捜査班が事件の時効約1カ月前の2010年2月から複数回、参考人として事情聴取した元自衛官の男性(49)が毎日新聞の取材に応じ「事件当日、『狙撃犯』を名乗る知人の逃走を手伝ってしまった」と証言した。男性は当時の聴取に事件への関与を否定したが、昨春以降、取材に応じる中で「狙撃犯」の死期が迫っているとして口を開いた。今月で事件発生から28年。多くの謎を残す未解決事件の新証言となる。

 長官狙撃事件は、オウム真理教の信者による地下鉄サリン事件から10日後の95年3月30日朝に発生。警視庁は公安部主体の捜査本部を設置し、教団による組織的テロとみて捜査を進めた。これに対し、捜査1課を中心とした刑事部は、01~02年に大阪市と名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で逮捕され、強盗殺人未遂罪で無期懲役が確定した中村泰(ひろし)受刑者(92)の関与を疑った。しかし、立件には至らず、10年3月30日に当時の殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた。

 複数の捜査関係者によると、警視庁は長官狙撃事件の時効まで2年を切った08年5月、中村受刑者を本格的に取り調べるため、刑事部と公安部から捜査員を集め10人程度の特命捜査班を発足。受刑者は任意の事情聴取に「国松元長官を銃撃した」と「自白」し、特命班は事件に使われたとみられる拳銃と同型のものを受刑者が87年に米国で購入していたことなどを裏付けた。

 一方、中村受刑者は「現場の下見や逃走などで支援役がいた」とも供述したが、支援役が誰かは「同志を売ることはできない」と明かさなかった。受刑者にはオウム真理教との接点はなく、教団によるテロとの見立てを維持する捜査本部からは特命班に「支援役の割り出しができなければ受刑者の逮捕は認められない」との条件が出された。

 特命班は受刑者の交友関係を洗い出す中で元自衛官の男性を割り出し、10年2~3月、男性から複数回任意で事情を聴いた。男性は逃走支援を含む一切の関与を否定し、特命班は時効までに支援役を特定できなかった。

 毎日新聞は19年9月、記者が別事件の取材で知り合った元自衛官の男性から、かつて長官狙撃事件に関連して警視庁の聴取を受けたことを明かされたことから狙撃事件の取材を開始。男性は22年4月、初めて中村受刑者を「狙撃犯」とした上で「5万円で運転を頼まれた」などと具体的な証言をした。

 証言によると、男性は高校中退後に入隊した自衛隊を約10カ月で辞め、93年6月に旅行で米国に渡航。ロサンゼルスで受刑者と知り合って連絡先を交換し、同年8月に帰国した後も日本で親交を続けた。

 95年3月、受刑者と連絡を取り合う中で「3月30日に5万円で運転を手伝ってほしい」と頼まれ、当日朝にJR西日暮里駅で合流して5万円を受領。受刑者が準備した軽乗用車で狙撃事件の現場から南西に約700メートルのNTT荒川支店の駐車場に移動した。受刑者は「人と話をしてくる」と言って車を降り、約1時間後に戻ってきたという。その後、車で西日暮里駅まで受刑者を送って同駅近くの駐車場に止め、その日の夜に新宿で再び受刑者と会って車の鍵を返したと話した。

 男性は当時、何のための運転なのか知らされず、約1年8カ月後の96年11月ごろ、中村受刑者から「あの時に警察庁長官を撃った」と伝えられたという。受刑者も男性もオウム真理教とは無関係としている。受刑者はかつて56年に警察官を殺害した殺人罪で約18年間、刑務所に服役した経歴がある。受刑者は男性に長官狙撃の動機として「警察に恨みがあった」と語ったという。

※略※

https://mainichi.jp/articles/20230319/k00/00m/040/213000c



警察庁長官狙撃事件 900ページの捜査文書入手 新証言と矛盾も
https://mainichi.jp/articles/20230319/k00/00m/040/223000c