GTOになれなかった話

僕は学校に馴染めない子供でした。
小4のときに不登校になり、フリースクールや通信制高校を経て大学に進学しましたが、
大学のコミュニティーにもあまり上手く順応できていたとは言えません。
大学の同期で今でも交友のある人間は2人だけです。
典型的なコミュ障です。

人間が大勢で盛り上がっているときにはどうやって話題に入っていけば良いかわからず、
少人数で一緒にいる時には場の空気とズレたことを言って煙たがられてしまう。

いわゆる「空気が読めない」という状況ではありますが、
おそらく読めていないのは空気、という曖昧な概念ではなく、
他人の表情や適切な距離感のような物理的な情報なのではないかとも思っています。
自分が話しているときにはそれを聞いている人間がそこにいるのだ、という事実を実感できるようになったのが20代半ばくらいのことだったように思います。

そういう人間が学校に馴染めないのは極めて当然のことですが、
僕は僕で自分が何か間違ったことをしているとは思っていなかったものですから
(今でも当時の自分を「間違っていた」とは特に考えていない)、
僕の学校なるものへの反発は大変なものでした。

今になって考えてみると、僕が順応できなかったのは「社会」であって「学校」ではなかったのでした。

大学を卒業して、不登校支援で有名なサポート校で働くことになりました。そこで僕はこれまで所属したどのコミュニティーよりも強い不適応を起こし、1年と経たないうちに心と身体を壊して、3年目の途中で退職することになります。

なぜ自分は最初の職場に適応できなかったのか。
僕の社会性とかコミュニケーション能力の問題であった、とは思います。
というよりも、そのコミュニティーに所属するための努力をする必要性をまるで理解していなかったというところに根本的な原因があったのだろうと、今では思います。

ここまで思考を進めた結果、僕が抵抗すべきものは社会であって学校ではなく、学校を批判するとすれば、学校が社会と切り離されていることではなく、
むしろ学校が社会でありすぎることを批判しなければならない、という結論が導きだされました。
学校は社会であってはならない。社会に出て必要とされる知識や技術は社会が教えれば良いのであって、
学校は子供が社会に貢献するためのものではなく、むしろ社会と対峙するために必要なことを教える場であるべきだ。

このような認識に達したとき、僕は(不本意ではあるにせよ)
自分が決して鬼塚英吉やヤンクミにはなれないのだということを理解しました。
学校に敵対するには、僕は余りにも学校の恩恵に与りすぎている。
不登校から大学に進んだ僕は、ある意味で日本の学校教育を最も有効に活用した人間だと言えます。
不登校などにならず、どのようなコミュニティーにも柔軟に適応していく力のある人間は、
学校教育という仕組みが無くてもそれこそ社会の中でそれなりにやっていけるのでしょう。
しかし、僕には学校というモラトリアムがどうしても必要だったし、学歴が価値とされる社会でなければ僕の居場所はこの国のどこにも無かったに違いないのです。
そういう人間がGTOでありえようはずがない。

大学を卒業したばかりの頃、自分は鬼塚になるのだと思っていました。
不良ではないにせよ、方向性としては学校の権力に対抗して生徒を守って戦う教師になるのだと。しかしそれは自分にはできない。
自分は鬼塚英吉に回し蹴りを食らう側の人間であって、学校への反発を自分の軸にすることはできない。
そんなふうに心が整理された今、自分は鬼塚ではなく内山田教頭を目指していきたいななどと考えながら、自分に出来ることをやりつづけるのです。
https://note.com/r_kakiuchi_0921/n/n74325be21437