ではそれは、なぜ「ダメな人のためのネオリベラリズム」であり、「リベラリズム」ではないのだろうか。本来はむしろリベラリズムこそが「弱者の論理」として持ち出されるべきものだろう。それなのにひろゆきは、そしてその支持者はリベラル派を嫌い、さまざまな局面でその立場に反対している。それはなぜなのだろうか。

 その背景にあるのは、とくに「弱者観」の違いという問題だろう。弱者とは誰か、そしてどうあるべきかという見方に関わる問題だ。それぞれについて考えてみよう。

https://websekai.iwanami.co.jp/posts/7067