「パン、パン」。沖永良部高校の空き教室のリングに乾いた音が響く。
1人だけのボクシング部員がコーチのミットに小気味よくパンチを打ち込む。長く休部していたが、昨春活動を再開した。

知名町出身の故・武元前川さんも沖高ボクシング部OBだ。3年時にインターハイに出場し、強豪の日本大学でも活躍した。
卒業後は指導者として南京都高(現京都広学館高)の監督を務め、数々の名ボクサーを育て上げた。

その一人に村田諒太さんがいる。日本人で初めて五輪とプロの両方で頂点に立った。破壊力のある右ストレートを武器に強敵がひしめくミドル級で戦ってきた。

武元さんに「お前の拳には可能性がある」と声をかけられ、「苦しい時こそ前に出ろ」との教えが支えになった。
2人の結びつきの強さは「遺(のこ)されたもの〜南京都高校ボクシング部の物語〜」(後藤創平著)に詳しい。

武元さんが2010年に急死した後のロンドン五輪では「先生、行ってきます」と手を合わせてリングへ向かった。
金メダルを手にする姿を見てもらいたかったに違いない。

現役引退を発表した先日の会見で恩師への思いを問われ、「健康なままで引退する約束は守れたと伝えたい」と
晴れやかな表情を浮かべた。パンチを受けた際のダメージをためないように注意されてきたという。
完全燃焼した教え子に武元さんも目を細めているだろう。
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