大江健三郎、坂本龍一・・・大物サヨクがどんどん死んでいく・・・このままでは日本はウヨク国家になってしまうぞ!! [384458188]
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坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c170a5cc79afd9f79eb542edd5f8b51b3b33fe7
あとは宮崎駿が死んだら嫌儲民としてどうにもならなくなるぞ 資本主義が必要としたのはプロレタリアートである。そして、【黒人奴隷こそ】、言わば、【純粋なプロレタリアートだった】のだ。それは、次のような趣旨である。前節で述べたように、「ブルジョワジー/プロレタリアート」という対立は、社会の内部と外部の対立である。アフリカに由来する黒人は、当時のヨーロッパの入植者にとって、文字通りの「外部」であった。黒人たちは、「われわれ」の外にいたのだ。普通の(ヨーロッパの)プロレタリアートは、この「外部」的なポジションの内部化の産物である。しかし、黒人奴隷は、外部としての外部、内部化されていない外部である。その意味で、彼らは、プロレタリアートとして純粋状態にある。
新大陸のヨーロッパの商人たちは、自分たちの同胞を、純粋なプロレタリアートとして扱うことには強い躊躇があった。そのような扱いは、支持されなかったのだ。だが、アフリカの黒人は違う。彼らは、当時のヨーロッパ人にとって純粋な「外部」である。「内部」を最も広く解釈した場合でさえも包摂されない「外部」、つまり「人間」というカテゴリーの中にも入らない「外部」だった。 ハンナ・アーレントは、近代的な人種主義、奴隷制と表裏一体となっている人種主義について、こう述べている。それは、「ヨーロッパ人が理解することはおろか自分たちと同じ人間と認める用意さえできていなかった種族の人間」に対して対応するための「非常手段」だったのだ、と。近代の人種思想は、「人間とも動物ともつかぬ存在に対する恐怖から出たもの」であり、「このような存在でも人間であり得るという驚愕からは、同一種の生物としてこんな人間と一緒にされるのは絶対に御免こうむるという決心が生れた」と、アーレントは論ずる。彼女の論述は、ブーア人(アフリカ南部に居住したオランダ人等の白人)の体験を念頭においたものだが、これと同じことは、もちろん、近代のヨーロッパ人がアフリカの黒人に対したときの経験の一般に関して成り立つ。
だから、新大陸の黒人奴隷は、言わば、資本主義の社会システムに内部化される前のプロレタリアートである。真に資本主義の中で持続的に機能するものになるためには、プロレタリアートは、最終的には内部化されなくてはならない。具体的には、奴隷制は廃止され、すべて賃労働にとって代わられなくてはならない。実際、歴史はそのように経過したのだ。 大物?ロシアに北方領土献上した人に比べたらしょぼない? ということで、非人道的な問題が解決し、めでたいことだ、と言いたくなるが、ここで立ち止まって考えてみよう。奴隷制と賃労働とは何が違うのか。両者の本質的な違いは、単なる量的な違いではない決定的な質的相違は、どこにあるのか。奴隷制と賃労働とは全然違う、前者は奴隷の人権を否定し、正義に反しているが、後者はそんなことはない、というのが標準的な見解であろう。しかし、ほんとうにそうなのか。賃労働に従事するということは、ほとんどの人にとって、目覚めている時間の大半を他人の命令によって働くことで費やす、ということを意味している。神の呼びかけ(ベルーフ)ではなく、上司や経営者や資本所有者の呼びかけに応え続けることに、人生の多くの時間を使うのが、賃労働者だ。 こう考えると、奴隷制と賃労働には思ったほどの差異がないことに気づく。両者の違いは、わかりやすく言えば、所有とレンタルの違いである。奴隷の身体はまるごと誰かに所有されている。それに対して、賃労働者は、労働する自分の身体を資本家にレンタルしているのである。言い換えれば、賃労働者はレンタル奴隷である。これこそ、資本主義という社会システムに内部化されたプロレタリア――純粋な「外部」のプロレタリアとしての奴隷に対比される内部化されたプロレタリアである。
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おしまい…いま電車で読んでる社畜、こんなん読ませてごめんよ~😭 で、こんな長々引用したのは、
その前に引用したのも合わせて考えたいのだけれど、
【資本主義社会というものは、内部と外部の差異を、
自らの内部に不断に再生産することを通じて、自らを維持しているのである。】
というとき、
俺らが良かれ、正しいと思ってやっているまさにそれが、
実は敵の「再生産維持」になってはいまいかと それでもやらなくちゃならない
でもやれば「再生産維持」になる
やらなければ「奴隷」のまま
さて、どうする まあ実際には労働する資本家はたくさんいるし投資する労働者もたくさんいるし
資本家と労働者は対立するものではなくお互いに連続したものなんだよね いまの引用にも出てきた「包摂」
最近は横文字のインクルージョン含めよく聞くし
その延長にかのSDGsもあるわけだ
さて、どうする…7時
俺はこのへんで >>1
敗戦後の日本は右も左も無い、アメリカの植民地
アメリカが中国に対し土下座しろと命じたら土下座するし、中国と戦争しろと命じたら戦争するだけ
坂本も大江もアメリカの精神的奴隷から卒業できなかった あとは誤字なさそ…われながらスマホフリックよくがんばった どうするか考えるのは ID:YhuSybwx0 自身の宿題ってことだね
解くためのヒントは与えたし ウヨは
すぎやまこういち
石原慎太郎
葛西敬三
安倍晋三
加瀬英明
か 学生運動してた連中はあるいみインテリヤクザだぞ
あとはロリコンレイパーとかもな
何故かというと、頭いいやつほど、無性に衝動を抑えられない傾向がある
だから腹が立ってゲバ棒で殴りつけたやつほど出世しやすい
ただ、そのまま犯罪者になる人も多いけどな
へずまりゅうなんてのがいい例で、あいつは犯罪者からエンターテイナーに路線変更できた 「うたばん」の『undercooled』生演奏動画を見てた
令和の今、こんな歌詞をゴールデンタイムで放映しようものなら
プロデューサー更迭ものの大炎上だろうなw 山神は動いて誅殺を遂げたもんな
>>56
み、宮崎哲弥…。左右はともかく評論家としてなら……と思ったけどこれももう60歳で宮台とそんなに変わらんのな。ほんとにもう年寄りばっかだな
>>118
高須「YES!そのとおり!」
>>122
これよねえ。統一教会報道で韓鶴子の名前がほとんど出てこないのによく似てる >>129
かつては親中家ながらうしおそうじがいた
>>135
筒井御大は民主主義の議論には対立軸が必要だとの観点(ただの天邪鬼ともいう)からネタ半分でやってるファッション左翼/右翼風の「芸」だよ
言葉面だけ見たら橋下みたいだけどw まあこれを尖鋭化させたものが鳥肌実と思え
あえて規定するならダダイズムとかアナーキズムが近い。戦争賛成!をずっと唱えてるけど全陣営からスルーされてるw >>174 >>175
シャンパン開けてるチャンスさん!? 電車で帰宅の社畜さんのためにageとこ
でも疲れ果てて長文読めないか😭 やっぱり世界ではリベラルが正義なんだろうね
右翼なんてみんなから嫌われる
これが現実なんだよ
今の右翼日本で世界で評価される人間が居ないのがその証拠 >>194
普通そうだよな。
>>195
お前が出て行け、ゴミが。 たとえ相手がネトウヨだろうと
人をゴミ呼ばわりするとき
深淵の方もおまえを覗いてるぞ
プロレタリアートとは要するに「ゴミ」のこと
(対してブルジョアジーとは「商品」のこと) >>129
一人思い当たった。大物かはさておき、細田守
たぶん本人に思想や政治性はなく宮崎駿(と高畑勲)へのカウンターとしての要素も大きいんだろうけど作風は右派
ただ、『未来のミライ』なんてまさに保守思想映画だからウヨたちはホルホルするのかと思ったらもっぱら評判はよろしくないw
まあそもそも連中に作品読み解く知性を求めるのが間違いなのはいうまでもない
あと、範囲をアメリカまで広げるとクリント・イーストウッドがいる。保守右翼というよりは正統マッチョイズムとでも呼ぶのが適確だけど
>>141
コオロギでしょ いや、大江健三郎って読んでるやつ右翼だぞ
少なくともあいつの文体好きなやつってお経、聖書、右翼作家が好きで
石原慎太郎と似てるんだよな 細田守と新海誠はたぶんADHD系作家なのだけど
新海誠が売れまくってるのはADHD丸出しで書いてるからだよ
逆に細田守ってつまらんって言われるんだけど、彼はADHD丸出しで書いてない
作ってる本人もつまらんて分かってるから売れない
あいつに似合うのは何か分からんけど、ひぐらしのなく頃にとかの監督やれば合ってるかもしれない 別に死ななくても順調になっていってるやん
行くどこまで行くぞ多分 パヨちんは支持者も団塊しかいないからちょうどいいじゃんw >>10
確かに
戦中、戦後すぐ世代あたりの上の世代の反戦平和主義に対して
ファッション的に反発してるのが多い気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています