【岩田明子 さくらリポート】

東京・永田町の衆院第1議員会館。その12階の1212号室に、安倍晋三元首相の事務所があった。近くを通ると、必ず顔を上げて12階に目をやってしまう。事務所だけでなく、安倍氏が頻繁に利用していた飲食店や、永田町のホテルなどを訪れるたびに、同じ行動を取る。

「やあ、どうも!」

手を挙げて、何食わぬ顔で現れるのではないかと期待してしまうからだ。

しかし、そこに安倍氏の姿はない。不慮の死から間もなく9カ月になろうとしているが、安倍氏の不在による「穴」は埋まらないどころか、さらに大きくなっている。

安倍氏を20年以上取材してきた私だけでなく、立場の異なる人々も、さまざまな場面で同じような喪失感を覚えているのではないだろうか。

安倍氏に対する計36時間のインタビューをまとめた『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)が、ベストセラーとなっている。安倍氏の軌跡をたどる月刊「正論」主催の「不屈の政治家 安倍晋三写真展~産経新聞カメラマンがとらえた勇姿~」は、東京や大阪、地元・下関の会場に多くの人々が訪れた。現在は海を越えた台湾で開かれている。

それだけ多くの人が、今は亡き安倍氏の声や姿を追い求めているのかもしれない。

野田佳彦元首相は昨年10月、衆院本会議で行われた追悼演説で、安倍氏を「強烈な光」と表現した。その言葉通り、人間としての安倍氏はまさに「光の人」であった。

とにかく、人を笑わせることが好きだった。会合では冗談を言うのが常で、外交の場でもウイットに富む発言で各国の首脳を笑顔にした。

ドナルド・トランプ米大統領との会談では、シビアな在日米軍駐留経費や貿易交渉についても冗談を織り交ぜながら交渉をしたり、北京で開催された日中首脳会談後の晩餐(ばんさん)会では、習近平国家主席にも冗談を言わせ、中国側の同席者を驚かせた。

他方、永田町で常とされる「嫉妬の海」からくる感情とは無縁で、稀有(けう)な存在だった。政界に限らず、スポーツ、文化、芸能とジャンルを問わず、誰がブレークしても「これでスターになったね」とよく喜んでいた。

「晴れ男」だったことも、「光の人」だった安倍氏を象徴している。

2013年にモンゴルを訪問した際、同国政府の計らいで、郊外に星を見に行くことになった。雨が降りがちな地域で予報も雨だったが、安倍氏が現地に到着した瞬間、雲が切れて夜空に満天の星が広がった。梅雨のシーズンに開催された伊勢志摩サミットや、ほかの外遊でも同様のシーンがよく見られた。

これだけ「ツキのいい」安倍氏がなぜ、あのような亡くなり方をしたのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eeab7b44d83f56a84bc6109e275feb5d514eddba