家系図作るために祖先調べたんだが明治以前遡れなかった。なんで? [237216734]
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うちは江戸の終わりからやってる商店の末裔なので江戸末期までは辿れる 小学生の頃に婆ちゃんが家系図持ち出してうちは源氏の血を引いてるんだよとか言うから無垢な婆ちゃんがこんな怪しいもんに縋ってるのが可哀想で凄いねえって相槌打った覚えがある うちは本家に当家の略譜なるものが残ってて江戸の初期まではハッキリした 明治で一発当てようと越してきた組かもな
俺の祖先はそういう事になってて中部地方の下級武士としてやってきたらしいけど本当なんだか… >>13
うちにもあるけど逆に手の込んだ朝鮮人の設定なんじゃないかと思える
ちなみに本家 江戸時代の人口構成
百姓 85%
武士 7%
町人 5%
その他 3%
https://i.imgur.com/ACtFk4Q.png
つまり江戸時代まで日本人の93%は「武士ではなかった」となる その上で武士や公家、皇族ではなくとも
名字が許される特別制度があった
> みょうじたいとう【名字帯刀】
> 江戸時代、血筋をあらわす家の名称(姓・名字)を名乗り、
> 太刀を腰に差す武士の特権が、平民の身分でも庄屋や
> 御用商人などの一部に特例として許されたこと。名字帯刀御免。 名字帯刀の値段
一代苗字御免 300両
永久苗字帯刀御免 5000両 まあ名字帯刀なんてのは
余程の大庄屋の家や
越後屋のように極一部の限られた商人だけの話のため
名字を許されていた比率が変わるほどのものではない
よって日本では
明治に入るまでその殆どである93%の人間に「名字がなかった」としてよい >>1
明治時代の家系図屋が適当な先祖を捏造してたからだろ
明治時代には家系図を作成する商売があった 元和辺りからは地域のアレに乗ってるからたぶん正しいんじゃないかなって思うけど
墓の横の石に彫ってある弘治~天正辺りは怪しい 明治政府は朝鮮部落であり
えた・非人であるため
全て封印へ > 平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい、平民苗字必唱義務令)は、日本の法令である(明治8年太政官布告第22号)。
> 1875年(明治8年)2月13日公布。 すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けた。
それより前は一般国民の名前なんて適当だったからじゃね? 江戸時代末期以前は墓を作るのを許されたのは名字がある階級だけ >>18
足軽が百姓に入ってそうだな・・
公家とかが侍に入ってそう >>18
今の公務員比率と似たようなもんだな
百姓って別に農民だけじゃなくいろんな職業まとめてだから民間就職者的な感じだし >>23
名字はあったし刀も持ってるけど公的な場や文章で名乗ったり2本差しをすることが許されなかっただけなのは残された文書の類から解明されてるだろ
道中差しやら2尺を超えない脇差し一本なら武士階級でなくても差しておK そういうの檀家のお坊さんが知ってるぞ
赤の他人の一族のことなのにめちゃくちゃ詳しくてビビる 3代遡って
父死亡→母方家督相続の数年後長男誕生
その長男の父は名不詳
キリストかな 戸籍ないんだから寺行って宗門帳みないとわからんだろ >>45
寺請制度で普通の日本人なら記録残ってて遡れる
無理ということはお察し ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています