長野の山間部に突如現れるジンギスカン街道。
そのノスタルジックな道の途上で私は、守り、伝えることの美しさを知った。
レヴォーグで旅する長野県の旅
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国道19号線は、長野市と松本市という長野の2つの大都市を結ぶ。
長野自動車道が開通する以前は、今よりもさらに重要な役割を果たしていたのだろう。
高度経済成長時代の夢を乗せたトラックが行き交う、長野の大動脈だったのだろう。
私はそんな国道19号線を南に向かって走っていた。急ぐ旅ではない。
かつての華やぎの面影と、少し寂れてしまった切なさが同居するノスタルジックな道を進む。
ロードサイドにはドライブインが点在していた。
長距離ドライバーたちの疲れを癒やしてきたオアシスだったのだろう。
そこには道の駅やコンビニにはない、レトロな風情があった。
ふと道路沿いの「ジンギスカン街道」の看板が目に入った。
たいして気に留めずにしばらく走ると、何軒ものジンギスカンの店が点在していた。
これは確かに「ジンギスカン街道」だ。
ジンギスカンときけば、やはり北海道のイメージが強い。
この地がプッシュするからには、何か由来があるのだろう。
興味を惹かれた私は、レトロな佇まいの一軒へと車を寄せた。
看板には『元祖ジンギスカン荘』とあった。
座敷の広間に通された。
卓上にあるメニューはラミネートされたペラ一枚。
ジンギスカンロース、ジンギスカン、ラムロース。主要なメニューはそれだけだ。
とりあえず3種とも注文してみる。すぐに炭火の入った鉄のジンギスカン鍋がやってきた。
ここまではイメージ通りだ。
肉を待つ間、壁に張られた「ジンギスカン街道」の案内ポスターを読んでみた。
戦後の食糧難の時代。防寒具に使う羊毛のために飼われていた羊を、
なんとかおいしく食べることができないかと考案されたのがこの地のジンギスカンだという。
肉を柔らかくするために“漬け込み”のレシピが考案され、
そのおいしさからやがて知名度が増していく。そして人気になるに従って扱う店も増えた。
いつしか数多くのジンギスカン店が立ち並び、やがてこの道がジンギスカン街道と呼ばれるようになった――。
それは観光用に開発されたご当地グルメではなく、生きるため、生活のために生まれた料理。
本当の意味の郷土料理だ。
やがて肉がやってきた。
待ちきれずに熱々の鉄鍋に乗せる。
鍋から煙がもうもうと上がる。
焼き上がった肉を口に運ぶ。柔らかい。想像していたよりも数倍は柔らかかった。
そして臭みがない。すりおろしたリンゴをベースにしたタレは、
甘さと塩気のバランスが絶妙で食欲をそそる。
想像していたジンギスカンとは違うが、なんとおいしい料理だろう。
一皿にたっぷりの量が乗っていたが、私は半分も食べぬうちに追加の肉を注文した。
旨みは濃厚であるのに後味はさっぱりとしていて、いくらでも食べられそうな気がした。
料理を運んできた青年、4代目の川上佑輔さんに話を聞いた。
「街道の中で一番の老舗。戦後すぐに僕の曾祖父がはじめた店です」
その顔は、このジンギスカンへの誇りに満ちていた。
漬けダレの内容は秘密だが、柔らかさの理由は
丁寧に筋切りをして手切りしているからだろう、という。そして言った。
「70年続いてきた味ですから、これからも変えずにいきます」
私は思う。
もしかすると、味を変えることの方が簡単なのではないか。
時代が変わり、物流が変わり、人々の食生活が変わり、味の好みが変わった。
味を変えることへの言い訳は、いくらでも思いつく。
それでも彼は変えないことを選んだ。
先達が築いた味は時代を越えて通用するという自信と誇り。味を変えないことが、彼の生き方、戦い方なのだろう。
私は満腹の胃をかかえたまま彼に別れを告げて、店を後にした。
このレトロな街道に佇むレトロなジンギスカン店。
その姿はこれからも変わらず、ここに有り続けるのだろう。