三国志の最終的勝者だったはずの司馬氏の「晋」王朝が短命政権に終わった理由は何なの?何を変えたら長期政権になれたの? [126099962]
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浮世離れした耽美な俳優シュー・ジェンシーが『独孤伽羅~皇后の願い~』で演じた【宇文護】とはいかなる人物だったのか⁉
■史上一番に胸が痛くなる悪役と評された演技で際立ったダークなイメージ
「浮世離れした耽美なキャラクター」
「時代劇が似合うスター」
これらはモデル出身のイケメン俳優、シュー・ジェンシー(徐正溪)に冠せられた表現で、
2018年に制作された『独孤伽羅~皇后の願い~』では、歴史上の悪役をセクシーに演じて大きな話題をさらった。
同作品の原題は『独孤天下』。隋の文帝(ぶんてい/楊堅)の皇后となる独孤伽羅(どっこから)を主人公とする作品で、
シューが演じるのは伽羅の長姉・独孤般若の元恋人。横暴な性格で、作中で一番の憎まれ役ながら、
意中の女性は般若一人きりで、彼女に向けた甘いセリフの数々から、視聴者の間では「史上一番に胸が痛くなる悪役」と呼ばれた。
時代背景は少々複雑だが、できるだけ簡潔に説明しよう。
2世紀末に始まる三国志の時代は司馬氏の晋(西晋)により終わりを告げるが、
この統一王朝は短命に終わり、北方と西方の異民族を巻き込んでの五胡十六国、ついで南北朝という分裂の時代が続く。
439年には北魏により華北統一がなされるが、これまた短命で、535年には東魏と西魏に分裂。
しかも550年に東魏は北斉に、557年には西魏も北周に取って代わられた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fffb6cfe67912a3ab853f15ef87d34173078dbe 一族に権力を集中しすぎた
司馬一族が異常に権力欲が強かった モンゴル系の異民族が強すぎて、なにやっても詰んでる状態 司馬さんちで権力独占しようぜってやってたら司馬さんちの中で血で血を洗う抗争始まったみたいな話だろ?
まあ結局権力を集中させたらダメだってことなんじゃね >>10
そうでもない
魏の反省から中央集権の軍事をやめて
軍を分散させて、王族を地方に配した
で、結果はああなったw 権力集中させるならきっちり独裁にしたほうがいいんだろうなあ
なまじ同族で固めるのがよくない 東晋の安帝
生まれつきのガイジだったため国を衰退させ、最後は暗殺される そもそも、曹操の時代に漢の烈士・忠臣を殺して回って
「実力主義」に傾倒する、功利主義者ばかり残ったんだから
魏を命をかけて護る人間なんて、王族以外にいるわけがない
晋に至っては次第に、実力主義の気風まで消えていって、九品官人法はただの世襲の嵐。
無能な王族だけで分裂統治で
しかも、兵団は異民族頼り
皇統を護る義理など、全ての人間から消えた。
誰が皇統を護るんだ?しかも司馬家だぞ?
だから、長期的にはどう考えても漢王朝を残すべきだったわけだ 異民族流入期だからどんな王朝でも無理
同時期にローマ帝国も不安定化して滅びただろ
塞外で人口が爆発して武装集団が絶え間なく侵入してきて、国内の敵対勢力とも結び付いて、もうどうしようもないよ >>14
魏はそうしたから、簡単に中央の軍権を
有力家臣の司馬家に奪われて、都が司馬家のものになった瞬間に魏は滅んだ 司馬氏の子供が駄目だった
司馬岡、司馬微、司馬瓶のどいつも政治に向いてない
1世代で終わったのが司馬氏政権
氏が特別優秀だっただけ 三国志5のスマホアプリ入れてやってるけどおもろい
おすすめ 7は7自体は好きだけどアプリの操作性が微妙 晋の歴史を見ると外国から移民を入れることの恐ろしさがよく分かるよな 元々が不安定な基盤しか持ち合わせてないからな混乱の時代にたまたま統一されちゃっただけ
唐まで待て
その唐だって実は脆弱な基盤なんだけどあな 八王の乱だろ
魏の九品官人法を廃止して
周王朝のような復古的な貴族制度を復活させたら
見事に腐敗政治に逆戻りして国が崩壊した 賈充父娘を生かしておかない。
滅ぶ過程はもうちょっとマシになるかも。
中国の王朝が長続きするイメージが無いけどやっぱ国土広すぎ問題なのかな?
当時は民族も文化も結構バラバラで伝達手段も現代と違うわけだし 蒼天航路にチョイ出てきたコブの人の子孫のせいで魏も晋を潰れるんだなあ 内乱し過ぎて疲弊した国を乗っ取っただけでどの道蛮族にごっつぁんされる運命だった >>19
その理屈もいくつかおかしい
ローマもそうだけど「じゃあ異民族無しにやってけたのか」となると
何もできないわけだから、異民族を排斥しきればそのまま滅んでしまう。
まぁ実際、ヴァンダル族出身の将軍スティリコは命がけでローマを護り、彼や異民族傭兵がいなければ
ローマはもっと早く滅んでたわけだ。最後は、スティリコを信用しないで殺したことで西ローマは滅ぶ道に入った
晋も、匈奴の劉淵はぎりぎりまで晋皇帝に尽くそうとした
あまりに無能で、言ったことを守らないし、城も防衛しないで逃げるから、最後は援軍を送らずに
新しい漢王朝を立てる流れになったしな 荀彧のスカウトと育成バフがなくなりゃそんなもんだろ >>18
「実力主義」とかやったら、一時は強烈な効果を発揮するようでいて
その後は権謀術数で邪魔者を貶めて自分の成果は派手に演出するような人間が蔓延るようになると
法家の思想によった秦が、法律の功利主義で効果を発揮して統一を成し遂げでも
その後すぐに滅んだのと理由はかぶってるのかもね 当たり前だけど単一の理由でもないし、あくまで相対的なモンだから何を変えたらって言われてもな 実力主義なら、別に王朝は滅んでもかまわん
むしろ滅ぼせる力のある人間が相応しい立場に立つとして滅亡は正しいとなるからな 地方の軍事力を強化したら内ゲバ始めたり軍閥化しちゃうし軍事力を弱くしたら異民族に攻め滅ぼされる >>40
欧米の民主主義国家とかそんなんばかりになってしまったな
自己アピールにたけたホラ吹き大将だけ残ってしまった
対立と分断しか生み出さないようなやつ >>40
まぁ信長と家康の対比も被るかもな
結局、封建制で永続的支配を確立するには「個人」ではなく「家」への忠誠が大事だし
モラル無き功利主義は、家臣同士が「個人の利益」だけを目指して
全体の利益のプロデューサー(くっそ有能なTOP,始皇帝、曹操)みたいのがいないと
お前の言うようにただ家臣同士が、非生産的、非国益、反国益の永久闘争するだけだからね こんなの答えは1つに決まってる。
「善政をしなかったから」 結局のところ武力を多く持つより強いものが皇帝の座に着くという単純明快な原理で動いているだけ
そこには正統やら正義やらそういうものは何も無い >>33
中国王朝はなんだかんだ長続きのイメージだわ
長期で腐敗→宗教革命→英傑たちでトーナメントの繰り返し スリキンの諸葛亮(cv.堀内賢雄)がカッコ良すぎた
初顔合わせで司馬懿煽り倒すとこ何回も見たわ
https://pbs.twimg.com/media/E6BcSedUUBEk1BH.png 司馬防に三男までで子供作るのをやめさせる
司馬懿にも昭でやめさせる
賈逵を助命しようとする村人を殴る >>33
そういう物理的な側面は必ずある
鉄道があればローマは滅びなかったかも知れないし
中国も1000年続く安定王朝ができたかも知れない 魏が滅んだのは司馬懿が長生きしすぎたこと
曹丕が早死にして体制を盤石に出来なかったこと
これだけなんだよ
当時の魏に別段落ち度があったわけではない
跡継ぎが安定しなけりゃどうやっても簒奪する輩は出てくる 一族を王に格上して全国にばらまいて地方分権やろうとしたら反乱だらけになった。
中国は中央集権じゃないと統治できないという教訓。 そもそも今の「漢民族」ってのもほとんど自称で、異民族の混血ばっかだからな
中国の王朝って漢民族が天下取ってた時代のほうが短いだろ
まじで無茶苦茶な国だわ 一番になりたがりな中国人の性質としか言いようが無い >>59
漢民族という民族自体が単に中元に住む人々が作る文化圏を総称してただけで
血統的なものではないから >>57
まぁ曹操のつくった魏は、曹操(のような強いリーダー)がいないと機能しないよ
曹丕もそうだが
曹叡の早死にも痛い
どちらにせよ幼帝がついた瞬間に終わる国体だった
これじゃどうにもならん。無能の皇帝でも終わるしな。 逆に明は皇帝が無能でもちょっとやそっとでは
終わらない国体をつくった
裏切りが出なければ、満州族は明に勝てなかったしな >>58
日本でも平安後期からは武家政権による地方分権だったから
武士同士の紛争が絶えなかった
中央集権化的な幕府を作れたのは江戸時代になってから 晋が簒奪で生まれた国だから謀反や簒奪がいくらでも正当化される世の中となってしまった >>67
なんだかんだいっても「徳」って人が人を治める上で大切なんだなって話でもあるよな
モラルと言い換えてもいいだろうが >>65
人が少ない時代
余剰生産力がまだ無い時代
軍制がいい加減で動員力の無い時代
結局、高句麗とか大和王朝が長生きしたのはこれにつきると思うんだよね
まあ高句麗は実は「騎馬民族と中華文明政府のハイブリッド」ていう先進的な体制を中国よりも先に作ってた面もあるけど 曹髦を殺害してしまった賈充とその娘賈南風とかいう晋の国賊 ハーレム作ってやりまくってたんだっけ?
滅びてざまあだわ >>68
法治主義徳治主義どっちなんだいとか言っても徳のある皇帝の下で法を運用すれば最強だからね 東普は長命だったぞ
西普はまあ異民族には勝てねんだわ 皇后が第二夫人の手足を切って便所に捨てて
その便所に入った皇太子がショック死した
みたいな話はこの時代だっけ? >>5
鮮卑や匈奴の劉淵は永嘉の乱で、アホな司馬氏の親藩が雇い入れて単于の称号をやったりしてビッグになった
普通に統治してりゃ魏のときより楽だったろう >>75
それは項羽と劉邦の戦いのエピローグ的なもので三国志よりかなり前の話 曹操の時代に単于やってた匈奴の呼廚泉が司馬炎の即位式に参加してるけどいったい何歳なんだ 鳩山政権が短命だったのはやはり徳がなかったからなのか? >>74
東晋は琅邪の王氏が作り上げた新しい国家みたいなもんだな
体制は呉に似てる。名門貴族が皇帝を支える
ただ皇帝はどんどんお飾りになって、支える名門は入れ替わっていく
入れ替わるのは力のある名門だから、有能で結構、長い間守り抜いたけど、
当然、最後はパーフェクトお飾りの、嫌儲で有名な晋の安帝でおしまいだ 自分が成り上がるため他人蹴落として地位奪おう言う自分ファーストの横行やろ
>>67で書かれよっとるやが >>33
例えばどこかの地方で飢饉が起こった場合、国土が広いとそこに食料などを供給することが難しくなる
そうなると地方は地方で独立採算で運営していくことになり、自治意識が強くなる
中華帝国が黄河流域から長江流域までを統合する帝国に膨れ上がったのは、隋の煬帝による運河建設が大きい
この大事業で隋は滅びたが中華領域そのものは大きく広がったわけだ
またローマが帝国化した時に初代皇帝アウグストゥスは、これ以上領土を広げるなと厳命した
ローマという巨人を維持する限界を把握していたのだろう
その後長くローマはその繁栄を享受したのだが、トラヤヌス帝の領土拡大でローマは不安定化してしまった
拡大した領土を維持するのに莫大な費用がかかってしまった上に周辺部族の侵入を抑えられなくなったのだ
結局ローマは分割しないといけなくなり、ヨーロッパは小国が乱立する地域となった 晋の安帝
安帝(あんてい)は、東晋の第10代皇帝。孝武帝の長男。諱は徳宗、字は徳宗。
重度の知的障害によりその治世においては国政を執り行う事ができず、臣下たちの権力闘争を許し、安帝自身も翻弄され続けた末に、最後はのちの南朝宋の武帝劉裕の手に掛かって暗殺された。 皇帝を蔑ろにして皇妃殺して結果的に漢を簒奪した曹操が日本で人気だけど
官賊の概念を一応は継いだ日本人なら蜀贔屓にならざるを得ないもんだと勝手に思ってたから意外だったな てか魏末期からの官僚連中のモラルの落ち方はなんなんだろ
50年ぐらいで一気に蛮族みたくなったよな? >>81
民主政権は普通に
清末の康有為・梁啓超
李氏朝鮮末の金玉均だ
期待された改革派が、保守派の巻き返しで失脚し、改革も拙速すぎて「方向性は正しいが」失敗して
守旧派に根絶やしにされてしまう。
そして、国家は滅びの道に行く
この時に「ああ、混乱が収まった」と言って、大喜びするのも愚かな大衆なんだよね。最初は支持してたくせに。
大勢の変法派が殺されて
金玉金の死体には唾がかけられた
そういうのを魯迅とかは絶望してたわけだ
で、そのあとは立て直しに80年かかるわけだ >>59
そもそも民族の定義において血縁関係で成り立つことはまずない
多くは宗教や言語、風俗や文化によって区分けされる >>76
劉淵「実はワイ劉備の子孫やったんや」には草やな
漢乗っ取った曹氏を乗っ取った司馬氏が自称やが劉備と漢に滅ぼされる言う顛末が秀逸や ジャップってなんで中国人目線で中国史語るの?
お前らも中国からしたら異民族だぞ? >>93
劉氏の子孫ではあるが蜀漢とは関係ないやろ、母系で繋がってるだけだし 魏は曹丕曹叡が連続で若死にしてるのがちゅらい
特に曹丕は前後の資料を見ても突然死くさいし
継いだ曹叡には袁家の子疑惑があるけど、ソレが当時から囁かれてたんじゃないかというくらい次の曹芳への引き継ぎが不自然だったり
予め用意されてた養子の上どこの子かわからんて… >>89
第一次、正義マン大粛清が曹操時代の献帝の皇后伏寿が殺された時(漢の忠臣みんな殺される)
第二次、正義マン大粛清が司馬懿が曹爽殺した時(魏の忠臣がみんな殺される)
正義感がない奴等だけ残ると、超ド級の安倍政治みたいになってくわけだ >>88
日本の武士階級はもともとはならずもの集団で
それが日本の戦国時代にピークに達するので
日本人はそのイメージで中国の戦乱期を理解する
そうした日本の武士階級も江戸時代に儒教化する >>96
曹丕は呉の遠征に失敗してその帰りに肺炎こじらせて死んだ
まぁ曹丕は兄弟仲も悪くて皇帝に権力を集中させるために一族を冷遇したのも
魏の崩壊を早めたな >>94
三国志の世界的人気の背景には日本にそういう連中がいたから
と中国人でさえ半ば苦々しい感情とはいえ認めてるがな 晋書でも指摘されてるけど
司馬炎が創業の元勲と真面目に政治すればマシだったな >>88
曹操や司馬懿は国が安定して勝ち組や改革派が多くなった時に支持が増える
劉備一党は国内で負け組が多数なった世の中で支持が増える、なんやろ >>88
昔は三国志演義の劉備の儒教道徳的な人物が人気だった
日本は戦後しばらくから唯物論のマルクス主義や無神論系の実存主義が流行って
そこで批判される道徳的価値観から離れて
才能や法律っていう物質的な価値観で評価するのが正しいって考え方から曹操贔屓が広まったんだろう >>103
× マシだったな
○ マシだったろうな >>94
いや広義には中国人だから問題ない
チベットもウイグルもベトナムも高句麗も勿論ジャップも中国
今は冊封してもらってるだけだよ >>105
日本で家康に代わって信長が評価されるようになったのもそれだろうね 日本の、90年代くらいのまさに露悪サブカルブームの時代に蒼天航路が流行ったのが決定的だな
道徳とか精神とかの偽善のゴマカシによらず
真の価値観である才能や強さによる人物像こそ正しいものであるっていう考え方 >>101
曹丕は政治の業績もせやが何かしら自分の功績アピせなあかんかったんやろな
無謀な親征の強行もその一つやったんやろ >>88
でも日本人はゼレンスキーの前世みたいな諸葛亮が大人気だったりするし十分蜀贔屓だろ
軍国主義者で忠義に固執した諸葛亮の政治をいまだに理想としてる感があるよなジャップって >>108
まあ、極端から極端に振れてるっていう印象だな
物質としての能力も、精神としての徳も両方ともそれぞれ役割があるんだろうにと 曹操人気の背景って結構深かったのな
一代で身を興したロマンチシズムだと思ってたわ 徳のない統治者が法をどのように取り扱うかということを
我々はついこないだまで身近に目にしてきたばかりだ >>105
実存主義の元祖のキルケゴールは宗教思想家なんですが
そもそも歴史学とは全く関係ないのだが
オタクの何でも左翼が悪いをイメージだけで
語るのはやめようよ >>114
一番は魯迅と蒼天航路一話で少し触れとった文革やろ
当然マルクス言う話も含まれてくることになるんやろけど ( ^q^ )シバチュー
恵帝
(´・∀・`)ダメだこりゃ >>155
友人の不法を許すなんて実に儒教的じゃないかw 三国時代突入前の中国(漢)の人口 5000万人ちょっと
三国時代の中国の人口1600万人(700万との説もあり)
そりゃ国が荒れきったらすんなり再生なんてできんわ
外夷の力を借りないとどうにもならんし >>89
呉質みたいのが蔓延ってた時点で…
時代が下ると皇帝お気に入りor名声だけが1人歩きしてる2世3世がのさばって挙げ句の果てにサロン作ってやりたい放題
誰も良い返す事もないからな
比較的近い時代に作られた捜神記でも西晋貴族の子弟達が上半身裸で酒飲みながら下女や妾と遊び放題してるけど誰も批判出来ないし逆に馬鹿されるだから夷狄に攻められるんだよ…という話が何個か載ってる >>116
キルケゴールは有神論系の実存主義ね
実存主義は、宗教思想や制度慣習とかの他者に語られたものから、今ここにある実存の優越を語る思想として
有神論系は、教会や教えによって語られたものをそのまま信じず、その語られたものから離れた実存としての(自分)によって神の信仰に至るっていうものだろう >>108
明治維新政府とって家康はNG言うんも一応やな >>121
魏が農業に力入れまくってるのを見るに後漢の頃から餓死者が相当いたんだろうなと
そんななかいわゆる先軍政治で軍事国家作った劉備がいかに浮世離れしてた貴族だったか 無神論系の実存主義は、そのまま語られたもの(宗教、道徳、精神的価値観、慣習)を否定し実存の優越を主張し(実存は本質に先立つ)
それに反抗して主体性や自由を語るもの
同じ実存主義でも、有神論系と無神論系では
宗教や精神や道徳を取り扱う立場としては正反対になるみたい 内部で暗殺・政争を繰り返している内に、高原から招いた異民族が力をつけて滅ぶ
安倍晋三とところどころキーワードがかぶりますね >>123
無神論系実存主義ってサルトルのことを言ってる?
いずれにしても歴史学とは関係ありません >>122
上級貴族も上級貴族で下手に何かやろうするとすぐ密告粛清されるから酒と贅沢で現実逃避言うたとこやな
しまいに薬物に手え出す奴もいて 「左翼が悪い」ってか、こういう宗教とか精神的価値観とかはそのまま身分制とも結びついてるから
サヨクがウヨクが良い悪いではなく、革命の思想ってのはそういうものなんだよ
>>129
歴史学の話ではなく、日本人の曹操人気の理由の話ね >>121
魏の人口が400万台後半で蜀が94万
蜀の国是が魏の討伐と漢王朝復興だとしても
こんな状況で何度も北伐を敢行した諸葛亮~姜維はやべーやつだわ 魏晋がうんこ過ぎたせいでほぼロマンに近い蜀漢正統論などというものが普通に支持された時代もあった >>132
蜀は超軍事国家だからな日本人の願望と違って >>134
それが心情的にごく最近まで続いてたのだが 数万人同士とか
数十万人同士で頻繁に戦争するって凄えわ >>134
一応漢王室の体裁継いだ言う事になっとる王朝やからな
その後も数多く出没して消えていった自称王朝や独立勢力と少し扱いが違うようなっとるんやろ 戦国の後の秦もだけど乱世を制した王朝って短命に終わりやすいのかな 初代の威光が消えないうちに支配体制を確立しないと長期政権にならない。
徳川幕府も家光の世代が無能だったら続かなかったかも 曹丕は魏を建てたこれは統一国家漢から中原だけで良いよという大義名分も失う鼎立国家宣言
つまりハト的な曹氏についていくと儲からない連中がタカ的な司馬を旗頭にした
侵攻して内部で競争させることで税を集めて特権階級中心の経済を続けるには経済活動として戦争する必要がある
そんな世界が安定するわけがない 乱世治めるのと治世治めるのじゃ必要な能力違うんだろ適当 つうか晋の恵帝とか晋さん並みの池沼だし
生存競争激しい大陸じゃ王朝成立の初期にガチャ外したら終わりでしょ >>140
上にも書かれてるけど黄巾の乱ちょい前くらいの後漢の戸籍人口は5650万人くらいで
そっから激減してる
三国志の前半はやたら黄巾賊とかかワラワラ湧いてきたり大兵力で合戦しまくりで色んな人材が出てくるのに
後半になると兵も人材もいないような描写が多くなるのは
残ってる数字的にも正しい描写ってことになるわけ >>152
後漢の一番多い時が5000万で、そこから饑饉や疫病で1000万くらいまで減ってる
劉備や曹操が戦ってたあたりでは800万ほどで晋が統一したあたりで1600万までいってるから
三国時代の後半にかけてむしろ人口は増えてる
諸葛亮も一時的に内政に力入れて、そこで経済、人口を増やしてるしな
人材的には三国志演義という物語的に尻すぼみで描かれてないだけだろう 寒冷化と戦争続きの人口減で、王朝が続く要素がなかった。あの時代に崩壊しない方がおかしい。
制度的な面でも、やっぱり親族に権力満たせすぎだな 中国は地方政権の方が魅力あるよね
帰義軍節度使とか >>133
徳川家は日本で続いたから
むしろ親族殺しまくった豊臣家の末路 >>111
三国志演義しっかり読んでこい
なぜ平和国家になった日本で諸葛亮が人気でたのかよくわかるから
史実の三国志が受けたわけではない 皇位継承順位とかしっかり決めてなかったのもいかんかった
長子制でかつアホがトップに立っても耐えられるような統治機構を整備した
徳川家が優れていた 賈南風とかもそうだけど親族やコネが政治に口出ししすぎ
九品官人法が悪い 独孤伽羅も独孤皇后も見たわ
ドラマとして面白いのが独孤伽羅で史実として勉強になったのが独孤皇后だったな
まぁ史実か知らんけど >>155
寒冷化はこの頃から始まってたんか
ユスティニアヌスのレコンギスタが失敗したのが火山噴火による寒冷化のせいと言われるようだが三国時代からすでに始まってたならこれはなかなかきつい 魏王朝を簒奪した司馬懿は
豊臣家を簒奪した徳川家康とかぶる 前から疑問なんだけど過去存在した王朝と同じ国号使うの縁起悪いとかないの?
血統があるとかならわかるけど 俺が一番なんだわ
でも自分は戦争出たくないんで北方の奴らに他襲わせるわ 五胡十六国時代ってどういう経緯を辿ろうが崩壊してるよね
一族に権力を集中させたら身内同士で血みどろの抗争
軍の実権を持った連中で権力を固めたら
軍がやられた瞬間に国が内部崩壊
武力を各地方に分散させたら地方同士で権力争い
その上 北方から来た異民族の騎馬隊に嬲られる
こんなんどうすりゃえーちゅうねん 「一票より一発」が今年の流行語大賞になりそうだし
日本はこの時代よりはましになるといいな 結局は子ガチャなのよね、清とかヌルハチから4代目康熙帝まで欠点もほぼ無い皇帝ばっかりだしな >>174
ホンタイジの弟ドルゴンと
ホンタイジの長男ホーゲで派閥争いあったけどな清 >>170
元までは最初の封国の国名をそのまま統一王朝名にする例が多い
漢中王劉邦の漢
新野公王莽の新
晋王司馬炎の晋
隨国公楊堅の隋とか >>176
皇帝自体は暗愚じゃ無かったしなぁ
傀儡になるどころか摂政が死ぬのを待ってから13歳で新政始めるほどの聡明ぶりだし >>161
中国のドラマでも孝明は戦争厨みたいな感じでディスられてたぞ >>81
その後君臨する安倍自民党を良しとするバカの皆様が鳩山民主党を悪しとして潰した
安倍自民党が十年続くんだからその力は大きかったということにもなる >>146
たしかにそうなんだよね
統一できていないのに禅譲させて皇帝につくなんて大義名分が成り立たない むしろ魏末期の体たらくはなんなんだよ
漢中でも合肥でも戦争中になんで中央だけあんなに腐るんだか
前線帰りなら司馬懿でなくても余計な企みしたくなるで 八王の乱からのグダグダ
暗愚な司馬衷ではない奴が帝位を継いでいたらなんとかなったのだろうか 魏…曹一族で殺しあう→曹一族の力が弱くなる→司馬一族に乗っ取られる
晋…司馬一族を王に取り立て各地を治めさせる→王の独立性が強くなりついに反乱を起こす→あぼーん 結局賈南風が専断してた時代が一番平和でまともだったというね 一族の力を弱めた→諸侯に反乱された!
なら一族の力を強めるぞ→身内で内戦始めた!
これもう無理だろ 司馬朗みたいな聖人も一族にいたんだろけどやはり悪人が前に出ちゃうんだろうな
そういう奴らが自業自得になったと 初代の司馬炎からして中国統一して程なく
ダメになっちゃってるのがなんとも… >>172
唐ってなんで上手くいったんだろうなあ
わからん >>192
前線の兵士に薬を優先させて死んだ司馬朗
順番待ちの国民をすっ飛ばして入院した自民党議員 >>189
賈南風が男子産んでいたら
実は丸く納まってた説 >>124
明治政府にとって徳川はそこまでNGでもないけどね
華族令では徳川宗家だけ名指しで公爵の地位を設定してるし
徳川家康についても戦乱の世をおさめたとして公式に評価もしてる >>189
後世から悪女と名高いのに何言ってんだ
まんこを国のトップにしてはいけないのは
中国史で何度も出てくる教訓 魏が皇族の力が弱すぎて家臣が専横して最後は乗っ取られたとはいえ加減を知らんかったな
徳川家康あたり参考にしてればああはならなかったろうに 皇族が司馬懿というサイコパスの子孫達なんだからマトモな訳ない >>172
やはり答えは「漢民族」で1つになるなんだよ
それしかない。となると漢王朝の重要性がわかる
(漢民族が幻想だったとしてもな)
そして漢皇帝が異民族の父としても振舞い、異民族も王化していく。
これで乗り切る。
まぁ一番いいのは、曹操の時に、立憲君主制を確立して、皇帝を今の英国王室や天皇みたいな「お飾りの制度化」をして
貴族議会をつくって、そこの首班指名で丞相を決めて
魏王は曹操一代で終わりってだったろうな。
そうすりゃ曹操は中国史の最大の大英雄になってただろうな
でも後付けの知恵だし、三権や軍権をどうするかってことになると、やはり近代制度が必要なるな >>194
隋唐の時代には用水路が発展して
長江と黄河がつながり、そこで初めてパーフェクト中国が誕生したんだよ
鉄道があればローマも漢王朝も滅びなかったと書いたが
そういう物理インフラで中央の豊かさや、軍の機動が高まった
更に、現代では交通の発達で、呉の一体化だけではなく、蜀の一体化も完成し、成都や重慶も大発展してるな
ただなぁやはり、インフラと言う意味での最強は昔は馬であり
騎馬軍団よな。
だから、騎馬民族+中華式政府のハイブリッドの高句麗に実質的に隋は滅ぼされたようなもんだし
唐も高句麗には散々、苦労をした
結局、「騎馬民族+中華式政府」に苦しめられたり、それに王朝が潰されたり、それに王朝に取って変わられたり、
取って変わった王朝がまた完全に漢化されて弱体化して、新しい「騎馬民族+中華式政府」負ける時代は続くことになる。
明になってくると、火器の発展で少し事情が変ってくるがな。 >>204
21世紀の今でも中国の内部にトルコ系だとかの異民族が存在するのに
立憲君主制でまとまるのかねえ >>206
今は異民族も人口も多過ぎる
当時の人口ならまとまる
しかも400年続いてる王朝だ >>201
賈南風の場合賈氏が後世断絶したから
悪評全て押し付けられた所あるしなあ
東晋でも権勢奮った王氏悪く言う訳にいかないし >>204
そう考えると日本の武士政権は
朝廷や天ちゃんを権威として残して
好き勝手やれてたんだなと思うよね
逆に幕末は薩長が引っ張り出してきて国家転覆しちゃったんだけど >>170
縁起が悪いも何も滅びなかった国なんて無かろ >>212
武家も江戸時代までは小規模な小競り合いやらお家騒動でめちゃくちゃやってる >>189
政敵屠った後は張華に全部丸投げしたからな
張華自体が寒門出身だから敵にすらならないし張華もただ真面目に職務をこなしてた
賈南風自体は豪華に暮らし乱交パーティーしてただけ
賈南風を殺した司馬倫が張華及び百官を個人の好き嫌いで処刑しイエスマンを穴埋めにしたのが内政面の終わりの始まり 世説新語に、司馬昭が自分の長男の嫁にと
竹林の七賢の一人、阮籍の娘を求めて使者を送ったって話があるけど
司馬炎の正妻が別の女性だったら
子供の出来が良かったり、王朝の行く末も違ったものになってたのかな >>204
それやると曹操が孔明になってしまう言う罠やな
曹操司馬懿になるのかそれとも孔明になるのか言う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています