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真夏の夜の淫夢 [323348902]
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2023/05/03(水) 23:15:34.69ID:aHjKNkql0?PLT(13073)

再開発進む若者の街・下北沢 「良くなるなら」と閉店決めた鮮魚店

 再開発が進む東京・下北沢。若者の街として人気の高いこの街が、どのような歴史をたどり、どう変わっていくのか。街を支えてきた関係者に話を聞いた。【加藤昌平】

変わる古里、うれしさと寂しさ

 小田急小田原線と京王井の頭線が交わる世田谷区の下北沢駅東口。多くの若者が行き交う雑踏に、フェンスで囲まれた一角がある。
「ここにうちの店があったのよ」。昨年秋、ここで長年にわたり貝類専門の鮮魚店を営んでいた長沼洋子さん(81)=同区代田=は懐かしそうに語った。

 駅の東側の改札を出ると、区が2028年度の完成を目指して整備を進めている駅前広場(約5400平方メートル)の工事現場が見渡せる。
今は更地に工事用資材が積まれているだけだが、かつてこの区域には食料品店や雑貨店が並ぶ駅前食品市場が広がっていた。長く人生を共に過ごした場所は、6年前、再開発のため姿を消した。

 演劇やサブカルチャーの街として知られる下北沢だが、終戦直後は商店街や普通の住宅地が並ぶ生活感のある街だった。
戦時中は幸運にも空襲の被害が少なかったため、戦後復興に伴い街が大きく変わることはなかった。その中心に戦後間もなくできた市場は、雑貨や食料品といった店が約60軒集まり、周辺住民の暮らしを支えていた。

 長沼さんは下北沢で生まれ育った。鮮魚店は父親が開業し、千葉県産の貝類や川魚などを扱っていた。
当時、珍しい食材を扱っていたこともあって買い物客でにぎわい、自身も10代のころから店を手伝っていた。

 当時の記憶は鮮明だ。「マーケットは混んでいて人が通れないくらいだった。若者の街というよりも、生活する人が買い物をするところ。何でもあったんですよ」。
店に有名人が訪ねてくることもあり、高校時代に俳優の岡田英次さんがスリッパで来店したことは今でも覚えている。

 街に変化が現れ始めたのは、高度経済成長に入ってから。1970年代以降に大型スーパーや飲食店、チェーン店が増えた。バブル経済がはじけた90年代前半ごろから若い客層が市場から遠のき、店の売り上げも次第に下がっていった。

 市場全体の老朽化も進み、多くの店で後継者不足がささやかれてきた。そんな時期に浮上したのが、区による駅前交通広場の整備計画だった。
2003年1月に都市計画決定され、市場がある区画も整備対象に含まれていた。土地の引き渡しを迫られた長沼さんは当初、「うちの食材を頼りに来てくれるお客さんに申し訳ない」と悩んだが、最後は「街が良くなるなら」と閉店を決意した。

 17年夏、市場は立ち退きを拒否した一部店舗を残して解体された。解体工事が進む中、長沼さんは店の様子を見に行った。強い日差しの下で取り壊された店の前に立つと、思わず涙がこぼれた。

 人生を歩んできた古里はいま、大きく姿を変えている。きれいな街になり、うれしさもあるが、同時に寂(さみ)しさも感じるという。「安心して歩けるような街になってほしい。訪れた人がここに住みたいと思える街になれば」。長沼さんは静かに語った。

https://mainichi.jp/articles/20230503/k00/00m/040/021000c
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