【名誉嫌儲民】 『Dの食卓』飯野賢治氏の逝去から10年。1990年代を駆け抜けた天才ゲームクリエイター、その作品と足跡を振り返る [303493227]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
by 御簾納直彦 ライター
2023.05.05 17:00
https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_6448cb3c9fec5.jpg
読者の皆さんは、飯野賢治という人物をご存知だろうか。
1990年なかば~2000年初頭のゲーム業界を見てきた方であれば、誰もが知っているといっても過言ではない著名なゲームクリエイターだ。
代表作は
『Dの食卓』(1995年)
『エネミー・ゼロ』(1996年)
『リアルサウンド? 風のリグレット?』(1997年)
『Dの食卓2』(1999年)
などが挙げられる。飯野氏及び自身が代表を務めていたWARP(ワープ)の作品はそのどれもが個性的で、既存のゲームの枠に囚われない自由な発想を具現化した作品が多い。
https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_6447772bb5b2e.jpg
https://www.famitsu.com/news/202305/05300759.html そういう意味でも飯野氏の作品は、我々ゲームファンに常に驚きを与え続けてくれた。読者の中にも、当時、飯野氏の作品に衝撃を受けたという方もいたはずだ。
そんな飯野氏だが、1999年発売のドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』を最後にゲーム制作から離れ、その後はブログなどでも語られているように、Twitterのブランド&マーケティングやコカ・コーラ社との仕事など、数々のプロジェクトに参加してその手腕を奮っていた。
1990年代後半、飯野氏といえばメディアに露出することも多かった。しかしゲーム業界から離れて以降は、メディアで見ることが少なくなったため、2000年以降は「現在何をしているのか?」と気にしていた方も多かったように思う。
とはいえ、じつは完全にゲーム業界から身を引いたわけではなかった。2008年には、『クロノ・トリガー』や『スーパーマリオRPG』等の開発に関わったクリエイターの西 健一氏とともに制作したアプリ『newtonica』をリリース。
そして2009年にはWiiウェア向けソフト『きみとぼくと立体。』を発表と同時にリリースして業界にカムバック。ゲームファンを驚かせる。 飯野氏、待望のゲーム業界復帰。
氏のこれからの活躍を誰もが期待していたはずだ。しかし2013年2月20日、飯野氏はこの世を去ってしまった。享年42歳というあまりにも早すぎる別れだった。筆者も、90年代当時から晩年まで飯野氏の動向に注目していただけに、訃報を聞いた瞬間、しばらく呆然としていたのをいまでも覚えている。あまりにも突然過ぎる知らせだったからだ。
そして2023年、飯野氏がこの世を去ってから約10年の月日が流れた。そんな時、筆者に編集部から「飯野さんの記事をお願いできませんか?」という依頼が来た。
筆者は飯野氏の熱烈なファンでもあり、彼から受けた影響はゲームのみにとどまらず、考えかたや生きかたにおいても共感や憧れが大きく、その姿勢には多大なリスペクトを示していた。だからこそ筆者に連絡が来たのだろう。とても光栄なことだ。
ただ、不安もあった。
「もし中途半端な記事を書いてしまったら、飯野さんに失礼に当たらないだろうか」、「飯野さんと直接面識のある方にお任せいただいたほうがいいのではないか」。そんな考えが頭をよぎったりもした。だが、心のどこかで飯野さんの役に立てる記事を書きたい。飯野さんの軌跡を皆に知ってもらいたい。そんな想いが強くなっていき、いまこうして筆を取っている。 本稿は飯野氏のゲームクリエイターとしての軌跡を振り返り、当時を知らない若い世代にも氏が業界に残した爪痕を感じてほしいという想いのもと、制作している記事だ。
飯野氏がゲーム業界で活躍していた、ワープ時代の作品を中心に振り返っていきたい。ぜひ最後まで読み進めて、飯野氏がゲームにかけた情熱を感じ取ってほしい。
※参考文献『ゲーム―Super 27years Life』(飯野賢治著/講談社/1997年刊)
また、本日5月5日はそんな飯野氏の誕生日でもある。そして今日から、歴代飯野作品の音楽配信が開始された。ぜひこちらもチェックしてみてほしい。 この人すげー過大評価されてる気がするけど何がすごいの? 飯野賢治に面接して貰ったことあるわ
落とされたけどw 『Dの食卓』がゲーム業界に与えた衝撃
『Dの食卓』
開発:ワープ
発売:三栄書房
対応機種:3DO
発売日:1995年4月1日
※その後セガサターン、プレイステーションにも移植(それぞれ1995年7月28日、1995年12月1日発売)
『Dの食卓』の何がすごかったのか。人によって感じかたは違うと思うが、筆者の感想を言うならば、主人公ローラの人間味溢れる表情や仕草だ。それまでのポリゴンキャラクターと言えばどこか無機質で、あまり人間味を感じられないものが多かった。
しかしローラは恐ろしい目にあえば怖がるし、謎に直面した時にはちゃんと思考しているような仕草を取る。悲しい時には、思わずこちらまで悲しくなってしまうような表情を見せる。ポリゴンで生成されたキャラクターの中に、人間味を感じるというのは、当時としては珍しかったのだ。
https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_6450d964c9c68.jpg
ワープの初の大作アドベンチャー『Dの食卓』。主人公ローラの表情の豊かさに注目。 また、海外産ゲームを思わせる演出やカメラワークなど、どれを取っても既存作品にはない魅力に満ちていた。
制限時間はリアルテイムで2時間、セーブ機能はなし。この2時間という時間が絶妙で、まるで映画を観ているような気分にもなったものだ。友だちといっしょに謎解きを考えながらプレイしたのもいい思い出である。
同作はセガサターンやプレイステーションにも移植され全世界で100万本以上のセールスを記録。さらに、1995年のマルチメディアグランプリ通産大臣賞という名誉ある賞を受賞するなど、売上げだけではなく作品としても高く評価された。
『Dの食卓』がきっかけで“飯野賢治”の名前は世界に知れわたったのだ。
ちなみに『Dの食卓』は『アイアンフェニックス』というMacで発売されたタイトルから影響を受けているらしい。筆者も気になって調べてみたのだが、詳細まではわからず。飯野氏が絶賛しているタイトルなので一度はプレイしてみたいと思っているものの……知っているという方はぜひ教えてほしい。
ちなみに『Dの食卓』はその作風ゆえに“ホラーゲーム”とひとくくりにされることもあるが、じつのところ同作は、主人公ローラが過去と向き合い、自分の記憶を取り戻していく過程を描いた物語でもある。
ローラは殺人鬼と化した父親リクターの真相を探るべく、舞台となる古城を探索するのだが、そこは父親の精神を可視化した世界であり、古城内のオブジェクトなどは父親の精神が反映されている。 https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_6450d964cf786.jpg
https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_6450d964d3ead.jpg
ホラーシーンの演出も映画を彷彿させる見せかたになっている。
エンディング間近の最後の部屋には女性の絵が飾られているのだが、それはローラの母親で、つまりリクターの妻。豹変した父親の心の奥底には妻がいたということを意味する。
この設定を知ったとき、筆者は『Dの食卓』がただのホラーゲームではなく、プレイヤーにさまざまなことを投げかける作家性の高い作品なのだと知った。当時プレイしていたときは気づきもしなかったが、著書『ゲーム』を読んでこのことを知った際の驚きはいまでも忘れられない。
『Dの食卓』のプレイ環境のある方は、ぜひもう一度チャレンジしてみてほしい。きっと新たな発見があるはずだ。 https://www.famitsu.com/images/000/300/759/y_64475b47c469a.jpg
『Dの食卓』でその名を轟かせた飯野氏だが、その魅力は作品だけではなく、自身のキャラクターにもあったように思う。
トレードマークの長髪にブラックスーツという風貌は、一度見たら忘れられないインパクト。なお、つねにスーツを身にまとっている飯野氏のスタイルは、イギリスの歌手ロバート・パーマーの影響もあるとのこと。
インタビューでの歯に衣着せない発言も印象深い。
ゲーム業界に対する自身の正直な気持ちを包み隠さず発信していた飯野氏。本人の性格による部分もあったのだろうが、何より「ゲーム業界をよくしていきたい」という気持ちがあってこそのコメントだったのだと筆者は思う。
同業界への意見がある種タブーとされていたような風潮があったあの時代に、飯野氏のような若い世代が矢面に立ち自ら切り込んでいく姿は、読者にとっても鮮烈に写ったはず。だからこそ、熱烈な支持者も多いのだろう。もちろん、筆者もそのひとりだ。 この人テレビで特集されててやたらイキっててただただ不快だった 風のリグレットがワゴン500円だったから買った
うーん…って内容だったな 天才っていうか山師だよな
エネミーゼロなんて酷い内容だったぞ >>15
採用するのは実力じゃなくて100%顔
って言ってたな
そんなんじゃマトモな物は作れないわ >>10
ワープ受けたの?
結構給料高かったよねあそこ エネミーゼロはセーブロード制限無ければ評価違ったと思う >>21
第二弾の霧のオルゴールが出るはずだった… Dの食卓だけの一発屋
しかも当時はアドベンチャーゲームとうジャンル自体が大衆向けじゃなかったので知る人ぞ知る作品止まり エネミーゼロってPC6001 ascii-AX5のQUESTそのまんまなんだわ 300万本RPG(仮)は開発写真すら見られなかったな Dの食卓の自動ドア見た時はビビった
クロノトリガーくらいの衝撃
グラもここまで来たかと 正直もうちょっとハードの性能が上がってから出てきたら評価もだいぶ変わってた可能性あったかなあという感じ
やりたいことに対して性能が追いついてなかった 飯野のゲームやったことないけど飯野が喋ってる動画を見て、頭がいいというかある種、人を惹きつける語りをする人だなという印象はあった
Dの食卓やってみたいと思いつつやれてない >>22
給料も良かったけどゲームの未来を感じたわ
あの頃は日本のゲーム業界はバブルで良い時代だった… 面白い奴だったな
今思えば堀江とかお金配りおじさんよりだいぶ可愛げあった たしかこの人糖質制限ダイエットして痩せた直後に死んじゃったんだよな
過度の糖質制限は体に悪いよ エネミーゼロ投げたわ
接近させないと撃てない銃って 残念だけど天才か?
D食が有名なだけで他のゲーム知ってる奴ほとんどおらんやろ
それにD食すらやったことないやつの方が多いだろうし 一発屋だったじゃん
D食2、エネミーゼロ、風のリグレット みんなクソゲーだった ここらへんの時期に変なゲーム作ってた人たちどこ行ったんだろうな
もう大作と任天堂しか息してないだろ プレステのソフト発表会で
これサターンで出しまーすwwwwwとかやった人? 因果関係がどのくらいあるか知らんが、糖質制限ダイエットって怖いなと思った
ゲーム批評とかの雑誌で名前をよく見た記憶があるけどゲーム自体はプレイした事ないわ 死因は高血圧性心不全だって
炭水化物抜きダイエットと関係あるのかどうかよく分からんな
高血圧だと肥満のときにもう危なかったのかもな セルフブランディングを初めて感じたクリエイター
セガの会長が気に入られたのがデカイ 正直、プレステバブルに上手く乗っかった人って印象しかないんだけど
サターンじゃねーか、って所も含めてプレステバブル
ゲームとして面白かったんか?
面白くないとしても何か後世に残るような物があったんか こいつ終始 凄いゲーム作ります、お金下さい❗
って言ってるだけだったぞ、あの金どこに消えたんだってのはスズQと双璧だわ 人にないアイデアはあったけどゲーム自体はそれほど面白く無かったと思う 一作もやったことない
凄かったのかもしれないがリアタイでないと分からんだろうなこういうのは なんで続編はスノーモービル乗り回して狩猟して肉食いまくるサバイバルゲームになったの 当時見たときやべえデブだったのにこんな痩せてるのか ここらへんの中途半端なポリゴンゲーは
後の人間がやる意味も無いし完全リメイクしないと日の目見ないだろうな
ある種不遇の時代だわ、ファミコンの方がまだ可能性ある 奥さんは生活出来てるんだろうか
沢山遺産を残せたってわけでもなさそうよね >>56
グランツーリスモの開発者も確か糖質制限してたなぁ
大丈夫なのか なんかホリエモンとイメージがダブる
良くも悪くも風雲児だったな 特に興味引かれなかったんだよな パッケージのポリゴン女はキモイしさ
風のリグレットの方がまだどんなんだろうって思ったわ >>30
引き出しが無さそうで、ハッタリ臭かったイメージ 糖質制限ダイエットさえしてなければな
デブのままの方が長生きできたろ >>1
全部クソゲータイトルじゃん
当時Dの食卓と言ったら意味不明でクソゲーで有名だったやつですやん D2しかやったことないけどあの黒い雪の表現は衝撃受けた
「リアル」な雪って確かに白いものが降るじゃなく黒いものが降ってくる感じなんだよな エネミーゼロがさ遭遇する前にマシンがなんか読み込み始まったような記憶 >>9
有名なDの食卓とエネミー・ラインは荒削りで俺はあんまり良くないと思うけど
ソニー主催の発表会でいきなり「プレステ用に作ってたゲームやっぱりセガから売りまーす」って発表してソニーを激怒させたり
視覚障害者でも遊べる「風のリグレット」を作った事は普通に凄いと思う ドリームキャストの発表を早めさせて、ドリームキャストの失敗を招いたかもしれない人(半導体の生産から製品製造まで4ヶ月ぐらいかかるので、NEC PowerVRを試験量産する前に発表だろう)
D2の開発を公表したいなとセガと交渉して5月に各地のNTTを繋いでDCと共にD2の開発を発表(たまたま大阪日本橋で中継するのに遭遇)、そしてセガの新聞広告 エンディングでスタッフ画像流したゲームってD食以降ある? >>68
美人の奥さんから押しかけて結婚したとかやってたな
とても生命力を感じる人でこの人だと思ったとか
でもいつも口喧嘩ばかりしているシーンが流されてたな 流石に過大評価だろ
つか評価自体は低いけど信者が神格化しすぎ >>9
ゲームデザインがちゃんとできる人でクリエイターの時代にも対応出来た人だから >>82
奇行の何がすごいのか
ゲーム業界がバブル期でその渦中にいたから絶対生きていけるという謎の万能感に満たされてただけのような 漏れ糖尿病なのに今日4000kcal食ってしまった(´・ω・`)
お前らも気をつけろよ D2の鳥に連れ去られるおじさんだかはなんとなく覚えてる セルフプロデュースのうまかった人
のこした作品自体は大したことない 生き急いで死にそうになりながらゲーム作ってたけど、家族との時間を大切にするためにゲーム業界をやめて、晩年は孫の顔が見たいと言っていた。 >>98
まああれサイレントでバッカーズのパクリって言われてるけどな ファミコンの時代から裏方で色々なソフトの開発に関わってたんだよな
ウルトラマン倶楽部2とか >>100
俺も当時そう思ったわ
パクリ元PCエンジンだから知名度低かったけど 何か歯車が噛み合いきらない人だったって印象
アイディアはすごいしそれを人に伝える力もすごいし行動力もあるし
でもクソゲーが出来ちゃった 風のリグレットはけっこう面白かったっつーか新しかった
今思えばAmazonで読み聞かせてくれるのと変わらんのかもしらんが >>86
損なこともあったな
皆はやく気づいてくれるといいな的なこと言ってた Dの食卓以降はゲームの内容じゃなくて言動で注目浴びてた感 まだ10年か?
もう20年くらい前のような気がするわ これ知らない世代が勝手に神格化してるだろ
ゲーム批評でデカイ口叩いてたくせにクソゲー作っただけってのが当時の評価だわ
業界に顔が広いから持ち上げられてるけど
天才クリエイターでもなんでもないぞ 上田文人が最初に入ったゲーム会社を作った人
それ以外に評価できる部分なんて無いと思う ゲーミ批評とかBugNewsとか遊撃手とか懐かしいな >御簾納直彦 ライター
>1981年10月19日生まれ。東京都出身。
>専門学校を経て、2008年にライターデビュー。
D食が出たとき中学生じゃねーか ゲームやめてから自動改札機関係?のシステムとかで成功してたんだっけ
死ぬ直前最後にパズルゲームみたいなの発表してたけど、あれはどうだったんだろうか 風のリグレット(ワゴン1000円)で菅野美穂の声が死ぬほど良かったなー 菅野美穂が声やってたリアルサウンドは個人的によかったけどな
評価は散々だが Dの食卓なのか刀の食卓なのか当時小学生だったからわからんかったけどどっちもなんだな 208 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/06/07(木) 07:51:51.42 ID:rvy9ShGY0 [2/4]
みなさん、ありがとうー!
仕事あるので、ここまで。ごめんね。
せっかく初めてだったら、時間あるときやればよかった。。
このために「はじめて 2ちゃんねる 書き込み」とかで検索したページで予習しました。
なんか、こわくて。(-:
2ch、なくならないといいな。
日本、目覚めるといいな。
信じてます。
日本のインターネットを。
おまえらを。(含むオレ
ー飯野 賢治 (7th. June, 2012) あの時代は表現のアイデアがあってもゲームで動かすにはハードソフトの技術的に難しくてクソゲーになりがちだけど狙いは良かったと思うぞ
生きてたら小島、宮崎の海外評価に刺激されてクラファンで何かデカいプロジェクトやってたと思う Wiiウェアのきみとぼくと立体が遺作
よりによって入手不可
今ほどインディーゲームが旺盛な世の中に居たら、また違った評価が得られたのかもしれない 亡くなる前は自販機とかのUIデザインやってたんだよな
今じゃ当たり前のタッチパネルUIの先駆けみたいな事やってたから
元気だったら色々面白いもん見せてくれたかもしれないと思うと残念 最大の功績はファミ通レビューの仕組みをある程度暴いた事だな 次世代戦争とかプレステ移籍とか、ナイトワープとか、ゲーム批評とか
恥ずかしながら影響うけまくってました
ネット環境もショボかったので雑誌を食い入るように読んでた >>121
意味不明
1ミリも面白くない
哀れですらある ある程度デブ状態のほうが健康状態いい人もいるんだろうな ヒロインが菅野美穂と篠原涼子ってそれだけで神ゲーじゃね 伊集院とか体質的にデブな奴は著しく寿命を縮めるから痩せてはいけない でも冷静に考えてこの人顔とやり方は気持ち悪いけど世界中のゲームが映画方向に向かったのはこの人がきっかけだよね? なぜ今、『Dの食卓2』や『エネミー・ゼロ』など飯野賢治作品の楽曲がサブスク解禁されるのか?妻の由香さんに聞いてみた
https://www.gamespark.jp/article/2023/05/04/129628.html
相変わらずお綺麗だった。 早死したから神格化されてるきらいがあるよね
80年代90年代に1流クリエイター扱いだった人で現在無茶苦茶になってたりする人たちは… エネミー・ゼロのロゴがぐるぐる回ってセガサターンになるとか
本宮ひろ志の漫画みたいだな
男の夢がかなった瞬間だ 凄い太ったロン毛のオジサン
ゲームは遊んだことないけど有名だよね ニュー即時代だったか
降臨したことあったよな
その翌年ぐらいに亡くなったからビビった セガ掲示板 パワートダイ 自動アンケート
何もかもが懐かしい… >>154
セガの新家庭用ゲーム機エーシュリオンだかのネタはパワートダイだっけか?
検索しても出ないのはグーグル前だからだろうか >>9
Dの食卓なんてメガCDが既にやってるバーチャルシネマをグラ綺麗にしただけだもんな。 Dは実はドラキュラの頭文字とか失笑もの。それを如何にも凄いゲームを作ったとかなりドヤ顔だったもんな。
その後のエネミーゼロも更にもっと凄いゲームを作ったとドヤ顔だったもんな。
いや敵が見えないってただの手抜きじゃん、ていう。
Dの食卓2はよく分からん。 バンプレバンダイのキャラゲーはクソゲーという価値観を決定的にしてくれたSDヒーロー総決戦作ってたこと最近ここで知った Dの食卓のために3DO買ったなぁ~。
当時雑誌で見た時はグラやべぇってなったけど、実機でプレイしたらなんかザラついたグラでショボいなこれって感想だったな。
サターンで真説・夢見館(続編)を友達とプレイした時、あっコレってDの食卓の元ネタなのかってなったわ。
スパ2X、ポリスノーツ、アローンインザダーク、ドクターハウザー etc
プレイできたから後悔してない。
むしろ今でも好きまである。 >>130
ファミ通の近藤るるるの漫画でいやな奴のそっくりさん出されてたよな 新ハード出たとこだったから祭り上げられてただけでしょこの人は >>144
インタラクティブムービーは以前から主にMacでいくつも出ていたしジャップがコマンド式RPGばっかやってた頃、海外ではちゃんと1ジャンルとして進化続けてた クリエイターというよりはプロデューサー向きという印象
宣伝力やプロデュース能力の人だった気がする 多分むかし偶にテレビ出てたデブのロン毛の人だよな
死んでたのか
良い人そうだった 正直あんまおもろないゲームばっかりやからあの時代を知ってる人にしか通じへんわ >>166
本人それ言われるのが嫌だったのか本家ハイパーメディアクリエイターに喧嘩売ってたな
とにかく尖ってたイメージだわ エネミーゼロはもう少しどうにかならんかったのか。
チャージガンが使いづらいんだよね。
一回貯めたら一発いつでも打てる仕様ならまだマシだったよ。
セーブ回数にしても。
難易度についてはテストプレイの段階で指摘されていたらしいし…。 態度でかいけど肝心のゲームが当時でもグラ微妙だし別に衝撃もなくすごく無かった気がする >>131
当時はゲームそのものではなくて業界の開発競争とインフレとゴシップが側から見てて楽しかったんだよな。
ラジオとセガBBS、あめぞうも楽しかった。
ナイトワープ飯野at home
モーリーロバートソンのアクロス ザ ビュー
この 2番組だけで1週間分のエネルギーをチャージしてた 飯野賢治とセットで持ち上げられていた飯田和敏の方が好きだった。アクアノートの休日の人。その後太陽のしっぽ→巨人のドシンで見事フェードアウトしたな。
真面目にアクアノートを延々とアプデしていれば今頃すごいことになってたろうに このしとの信者はファミコン時代の話は絶対しないよね
凡人なのがばれるからだろうけど ゲームメーカーだったかな?
ゲーム作るゲームに似たキャラで出てきた記憶 エネミー・ゼロ難しかったな
友人にクリア見せてもらってやっと攻略できた Dの食卓2は結構楽しんだ記憶。
説教臭かったけど、飯野賢治作品の中では一番面白かったよ。
あの作品で完全燃焼しちゃったのかな。 俺はもう45歳だけど、俺より若くして死んだ飯野より充実した人生は送れなかった
何もない毎日で時間が過ぎるだけ
飯野は俺の何倍もの人生を送ったと思う >>177
ウルトラマン倶楽部2のシナリオの話はさんざん聞いた 新宿のリキッドルームで会ったことあるわ
すげーデカいし太っててロン毛で嫌な奴だった >>9
プレステの発表会でサターンで出しまーすwしたから
この前代未聞さがサターン派にクソほど持ち上げられて
エネミーゼロは話題作として雑誌等で最大級に取り上げられた
しかしこの世代のハード戦争ではプレステが圧勝し
この一軒でソニーとの間に修復不可な確執を作ってしまったことでワープは衰退してしまう
ワープはこの時代には一般的だった
「一発当たったらその売り上げを全部突っ込んで超大作を作って一躍大企業に」という
脳死型ギャンブル系の運営をしてて、覇権ハードを出禁にされたら戦法が通用しなかった >>173
いつでも撃てるわけじゃないからこそ
エネミーが迫ってきてアラートが鳴るときの緊張感がいいんだぞ
あれがスパスパ撃てたらクソゲーだろ思うぞ >>187
うまく伝わらなかったかもしれんが、チャージし始めて貯めすぎるとオーバーヒートする仕様じゃん。
敵の目の前でオーバーヒートしかねないわけよ。つまり音センサーの鼓動音を聴き分けてこのタイミングでチャージして、タイミング良く撃てってのが難し過ぎで投げた人が多いんじゃないかなって。
チャージしたら一発分を任意のタイミングで撃てたほうが良かったんじゃないかなぁ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています