上島竜兵さん一周忌 お笑いウルトラクイズ、熱湯コマーシャル、結婚スクープ…思い出が多すぎる

 今日、5月11日は、昨年61歳で亡くなった上島竜兵さんの一周忌。上島さんと生まれ年が同じで、1学年下の記者には忘れられない記憶がたくさんある。
 1年前、上島さんの死を知ったのは病院でだった。半年ごとに受ける会社の健康診断で、いつも便潜血反応(検便)はアウト。締め切りのプレッシャーと酒がつきものの芸能記者という仕事柄、いつも大腸にポリープが出来ていた。悪質になる前にと、いつもゴールデンウイーク明けに内視鏡検査を受け切除していた。半年ごとに受けたいと思っていたのだが、医師から1年に1回でいいと言われていた。

 訃報を受けたのは腸の内容物を出し切るために下剤を飲んで、便器にまたがっていた時。その後、点滴で麻酔を受けながら、会社に「自分はあと数時間は使い物にならないから」と、林家ペーさんをはじめとする関係各所の連絡先を送ったのを覚えている。毎年、ポリープを3、4個切除して検査でOKだったが、昨年だけは、ショックからかがんの疑いありで再検査になった。今年は2カ月早く検査を受けて、OKだった。

 ダチョウ倶楽部を知ったのは、現在、電撃ネットワークを率いる南部虎弾さんが、まだリーダーで4人組だった頃。80年代中頃、日本テレビ系「お笑いスター誕生」あたりで見た記憶がある。87年に南部さんが脱退して3人組に。90年代にビートたけし系列の放送、お笑い担当として取材するようになった。

 89年(平元)に始まった日本テレビの伝説のバラエティー番組「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」。90年代前半に、80年代から視聴率3冠王を猛進するフジテレビを追う日本テレビの看板番組となった。正月、4月、10月と改編期の目玉番組に成長した「お笑いウルトラ-」のロケ取材に毎回、同行させてもらった。

 激しいカースタントの車に乗せられ爆発、火を噴く壁に激突。「コンプライアンス」という壁も「リアクション芸」という言葉もなかった時代のバラエティーで上島さんは、エースになった。91年9月放送の第7回「お笑いウルトラ-」では、上島さんはMVPに輝いた。栄光の唐草ジャケットに身を包んだまま、ジェットボートの船首に縛り付けられ「助けてくれ~」と叫びながら炎に包まれた船に向かう雄姿が忘れられない。

 92年4月の第9回では熱海でロケが行われた。熱海の海に芸人が詰め込まれ、クイズに失敗するとジャブジャブと海につけられる。今では考えられない危険なロケだが、当時は体を張ってこそ芸人の時代。溺死する芸人が出なかったのが、今から思うと不思議だ。
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