上島竜兵さん一周忌🙏 [256556981]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
上島竜兵さん一周忌 お笑いウルトラクイズ、熱湯コマーシャル、結婚スクープ…思い出が多すぎる
今日、5月11日は、昨年61歳で亡くなった上島竜兵さんの一周忌。上島さんと生まれ年が同じで、1学年下の記者には忘れられない記憶がたくさんある。
1年前、上島さんの死を知ったのは病院でだった。半年ごとに受ける会社の健康診断で、いつも便潜血反応(検便)はアウト。締め切りのプレッシャーと酒がつきものの芸能記者という仕事柄、いつも大腸にポリープが出来ていた。悪質になる前にと、いつもゴールデンウイーク明けに内視鏡検査を受け切除していた。半年ごとに受けたいと思っていたのだが、医師から1年に1回でいいと言われていた。
訃報を受けたのは腸の内容物を出し切るために下剤を飲んで、便器にまたがっていた時。その後、点滴で麻酔を受けながら、会社に「自分はあと数時間は使い物にならないから」と、林家ペーさんをはじめとする関係各所の連絡先を送ったのを覚えている。毎年、ポリープを3、4個切除して検査でOKだったが、昨年だけは、ショックからかがんの疑いありで再検査になった。今年は2カ月早く検査を受けて、OKだった。
ダチョウ倶楽部を知ったのは、現在、電撃ネットワークを率いる南部虎弾さんが、まだリーダーで4人組だった頃。80年代中頃、日本テレビ系「お笑いスター誕生」あたりで見た記憶がある。87年に南部さんが脱退して3人組に。90年代にビートたけし系列の放送、お笑い担当として取材するようになった。
89年(平元)に始まった日本テレビの伝説のバラエティー番組「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」。90年代前半に、80年代から視聴率3冠王を猛進するフジテレビを追う日本テレビの看板番組となった。正月、4月、10月と改編期の目玉番組に成長した「お笑いウルトラ-」のロケ取材に毎回、同行させてもらった。
激しいカースタントの車に乗せられ爆発、火を噴く壁に激突。「コンプライアンス」という壁も「リアクション芸」という言葉もなかった時代のバラエティーで上島さんは、エースになった。91年9月放送の第7回「お笑いウルトラ-」では、上島さんはMVPに輝いた。栄光の唐草ジャケットに身を包んだまま、ジェットボートの船首に縛り付けられ「助けてくれ~」と叫びながら炎に包まれた船に向かう雄姿が忘れられない。
92年4月の第9回では熱海でロケが行われた。熱海の海に芸人が詰め込まれ、クイズに失敗するとジャブジャブと海につけられる。今では考えられない危険なロケだが、当時は体を張ってこそ芸人の時代。溺死する芸人が出なかったのが、今から思うと不思議だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f57e3a1df2cd05ee2cfa1373df7dd69f59bddfdb
そして93年の正月の「第11回お笑いウルトラ-」。沖縄ロケで、ビートたけしさんの水車拷問クイズが行われた。たけしさんの前に水車拷問にかけられたのが上島さんだった。女性問題を質問され、うそをついたと見なされると水車を回されて水につけられる。上島さんの一挙手一投足が爆笑を生んだ。
ロケに参加した取材陣も出演して、あれこれと質問したのが懐かしい。後にDVD発売された時に、日本テレビから“出演料”として5000円だか1万円の小切手が送られてきた。そして半年ごとに「○本売れた」と明細が来て、その分が差し引かれていくのが数年続いた。
第11回の上島さんとたけしさんの水車拷問の名シーンは、ことあるごとに動画がネット上にアップされていた。記者も気分が乗らない時などは、この動画で若き日の自分の雄姿を見るのが楽しみだったのだが、今では悲しい思い出になってしまった。
チャンバラトリオの結城哲也さんとのSMホモドッキリ、逆バンジーで飛んだ瞬間に全裸、奥さまの広川ひかるさんの登場など、上島さんの数々の名シーンが今も目に浮かぶ。
そして、毎週日曜の昼に放送されていた日本テレビ系「スーパージョッキー」の熱湯コマーシャル。上島さん、ダチョウ倶楽部の名を世に知らしめた。1本が生放送で、その次に翌週分を収録した。隔週ごとに仕事と称して、麹町の日テレKスタジオに見に行くのが楽しみだった。
毎回、顔を出しているから芸人さんとも顔見知りになる。その中で、ダチョウ倶楽部の3人のトイレで出くわしたときの反応が、三者三様で面白かった。こちらから会釈をするのだが、リーダーの肥後克広さんはスイッチを完全に切っていて薄い反応、寺門ジモンさんはやたら腰が低く丁寧なあいさつを返してくれた。そして、上島さんは毎回、びっくりしていた。まるで予想もしなかった人間に突然出会ったように、びっくりしながら小便器の前であいさつを返してくれた。
93年10月にダチョウ倶楽部は、TBSで自分たちのギャグを題名にした「王道バラエティ つかみはOK!」を始めた。つい最近、Amazonプライムで復活して話題を呼んだ「風雲!たけし城」の桂邦彦プロデューサーが担当。日刊スポーツは1紙のみで制作ニュースを掲載したのだが、ダチョウ倶楽部の勢いそのままに写真の大きさは、広告以外ほぼすべての芸能面を占める大きさだった。
そして94年8月、日刊スポーツは「ダチョウ倶楽部の上島竜兵 交際中の元タレント広川光さんと結婚」とスクープした。挙式日も正確に記載されて、新聞が出た当日に上島さんが自宅前で取材に応じて笑顔で認めてくれた。記憶が確かではないのだが、写真雑誌が先行して情報をつかんでいたのに追いついた形だ。所属の太田プロに確認して裏を取ったかどうかも定かではない。ただ、情報を当てるとネットで発表されてしまう昨今とは違い、当時は普段からの付き合いで「日刊スポーツなら」と認めてもらえたのだと思う。
そして、時代はとんで、次に上島さんと濃く絡んだのは09年の主演映画「上島ジェーン」。今をときめく演出家のマッコイ斎藤氏の監督作品。舞台あいさつを渋谷の映画館で午後10時から開くから取材に来てくれと依頼された。通常の締め切り時間には間に合わないし、まだ、ネットが今ほど普及していないから配信記事もなし。しかも、当日は休みで、海に行って帰ってくる予定だった。
記事はいいからにぎやかしで、短パンでビーチサンダルのままでもいいから来てくれと言われて、のこのこ出かけていった。すると、歩いている途中に古いビーチサンダルが壊れてしまった。仕方がないので、かたわらのコンビニに飛び込んで、粘着テープで足の甲にグルグル巻きにして劇場にたどり着いた。同業他社のお姉さん記者からは、芸人より面白いことをするなとツッコまれたが、上島さんは笑ってくれた。
すでに“師匠”クラスだったのに構えることなく、気さく話してくれる人だった。「お笑いウルトラ-」の思い出話や、結婚スクープの裏顔を「そうなんだ」と笑いながら聞いてくれた。
その頃、注目を浴びていたのが「竜兵会」。上島さんを慕い、いじる後輩芸人たちとの集団。ここには土田晃之、劇団ひとり、デンジャラスのノッチ、安田和博などがいる。86年にビートたけしさんとたけし軍団が独立、片岡鶴太郎さんが役者に傾倒していくなかで、お笑いの名門「太田プロ」を中心で支えたのがダチョウ倶楽部であり、上島さんだった。
ビートたけし、タモリ、明石家さんまのお笑いビッグ3、そしてダウンタウンに次いで、テレビ界で天下を取った有吉弘行こそが竜兵会だ。日本テレビ系「進め!電波少年」のヨーロッパ大陸横断で人気者になった有吉だが、お笑いコンビ猿岩石解散後は低迷。あだ名&毒舌で大ブレークするまでの時期を支えたのが上島さんだ。
20年(令2)に70歳で亡くなった志村けんさんとは、麻布十番で飲む姿が見られた。記者も行きつけの和食屋で、志村さんや仕事関係者とよく飲んでいた。
今の時代、お笑い芸人は養成所出身が多い。マナーもしっかり教えられているし、常識も持ち合わせている。いわばお上品な“養殖物”だ。だからこそ、天然な上島さんが懐かしい。元々は俳優志望で劇団テアトルエコー出身。ドラマ出演も多かっただけに、年を取って笑って泣かせられる喜劇俳優としての期待も大きかった。
上島さんと絡み、上島さんに薫陶を受けた芸人、タレントたちは今日も、テレビやラジオで活躍をしている。思い出すと、悲しいけど笑っちゃう。そんな一周忌だ。【小谷野俊哉】 畜生ペンギンことつば九郎がクルリンパやる度に合掌してる ジモンと肥後が上島いない状態でもダチョウ倶楽部続けてるのが謎 寺門と肥後だけだとダチョウ倶楽部としてはやっぱりダメやね
それぞれがピンとしてやってる分にはまだ見れるけど 前に旅行中に出先で気分悪くなって倒れたことがあったんだよな
本人は平気そうに言ってたけど周りが心配してたと
まあそういう年代だよな 前のお笑いウルトラで上島の逆バンジーだけ飛ばなかったのは
持病でドクターストップかかってるからと当時見たけど
以前のようなリアクション芸できないことに悩んでたのかも 志村けん渡辺徹上島竜兵田代まさし
バカ殿メンバーやね 人 普通に芸人として売れてたのに自殺とか
完全に甘えだろ 晋さんと上島で、死んでもまだバカにできる娯楽と他人なのに本当に心から悲しいっていう、両極端な感情が自分の中に存在することを発見んした 上島が最後に出た岡村の番組は
イラつく感じがあったから病んでるなとは思ったわ
周りの連中が〇ね!とか言いまくってたら心が休まるわけないよ >>25
まあ芸人は死んでも笑ってもらえるのは本望だろう 同じ芸人の紫雲院が普だ時よりショックでかかったわ... 三浦春馬の陰謀論唱えてる奴って上島の方が不自然とは思わんのか 全部のネタテレビでやったらダメとなったらそら死にたくもなるわな >>3
それなのにメディアは極力原因に触れようとしなかったの闇だよな…
まあ芸能人関係の自殺が続いた暗い時期だから仕方ないかもしれんが🥺 本当謎だよな
弄られキャラで内心とてつもなく傷ついてたのかな あのラジオ番組でしんだほうが面白いって
こいつに言ってたのは本当?
YouTubeで見たけど
それ以来あいつ嫌いだわ >>35
いじられキャラに抵抗感じてるのはテレビ見ててもはっきり分かったやん やっぱり自殺はあかんね
こういう死に方した人の動画とか見たいと思わない
人を楽しませるお笑い芸人ならなおさらね さんまが落ち込んでラジオで話題にするくらいだもんな はーるま
はるま
はーるま
はるま
はーるま
はるま
高収入! 志村が死んで、コロナもあって収入激減したのが原因らしいな
食っていけなくなるほど生活に困ってたわけじゃないのに
なんで思い詰めちゃったんだろ ほんと「いじり」って名前の「他人を傷つけて笑いを取る」ゴミってクソだよなあ
ダチョウ倶楽部や志村けんはそういう笑いじゃなかった
彼らは彼ら自信を下げてそれで笑いを取るから角も立たず老若男女笑える
それを誤解して上島をいじりまくってたゴミども死ね >>55
ダチョウ倶楽部、ジモン嫌いだから飲み会呼ばない、飲み会はジモンの悪口から始める、ジモンがそろそろ車に乗ってくるからくしゃみ出た、とかで堂々と笑い取ってるグループなんだが 上島は有吉が脱ぎたての靴下を口に突っ込んでくれたのをめっちゃ感謝してたらしいぞ
ソースはアメトーク特番の出川 >>55
志村も基地害を馬鹿にする笑いばかりだったけどなあ 金バエの母のツイート見ろ。
本物かどうかは知らん。 >>61
変なおじさんとか?
あれで街中のおっさん=変なおじさんにはならん、何故か、志村本人がやるから
志村の笑いにはダウンタウンの笑いのような「嫌らしさ」が無いんだよな
自分自身を下げて産む笑いだからね この人以前からパニック障害とかなんとかメンヘラだったらしいね 志村のバカキャラは計算されてたしな
小学生にバカと言われた時に一緒にいた田代が注意しようとしたら
それを止めて俺の芸を理解してくれてると喜んだくらい >>65
自分がやってても
デシ男とか今じゃ出来なそうだけどなあ
あとクワマン虐めは笑てたの?
断れないのを分かってて
医者に止められてる酒飲ましたり
ワサビ大盛り食わせたり
みんな笑ってたけどイジメ嫌だなって思ってたわ
あのリアルな反応で演技だったら
クワマンって凄い役者だよな >>59
ダチョウ倶楽部ってジモン抜いたらサシ飲みやんけ
南部入れれば3人かもしれんが >>70
は?生前の話だけど?
肥後&上島2人でテレビ出るたびジモンの悪口言って笑ってた >>71
竜ちゃんが亡くなる数年前頃になると
昔と違って今は営業先では三人で飯を食うほど仲良くなった
とも言ってたけどね
しかし、ゲストとして三人で出てる配信番組とかがそのまま配信されてるけど
この数年後に竜ちゃんが自殺すると考えると色々違った面が見えたりするな
竜ちゃんの闇が見え隠れしてたりする場面もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています