実業家「性被害者が分断されれば加害者の罪は問われなくなる。だからフェミニズムは被害者が語りやすい空気を作ってきた」 [932029429]
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ジャニーズ事務所が性被害問題で“ずれた”謝罪 子供たちの「同意がなかった」事実こそ強く受け止めるべき 北原みのり
https://dot.asahi.com/amp/dot/2023051600074.html
沈黙を貫いてきたジャニーズ事務所の謝罪と見解を、社長が公表した。ひと月で1万6千筆集まったファンからの署名は大きかったはずだ。それでも発表されたものを読む限り、「これで終わり」というわけにはいかないだろうな……と、モヤモヤが深まってしまう。
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性被害者が求めるのは、突き詰めれば二つのことだ。それは世界の性被害者たちの告発が物語っている。一つ、加害側が事実を認めること、二つ、謝罪をすること。本当にこの二つだけだ。もちろん事実を認め謝罪をすれば、当然お金の話になっていくのが大人の世界だけれど、それは副次的なことである。
今回の会見、事実を認めていないのに社長が頭を深々と下げるという、ずれた謝罪だったとしか言いようがない。なによりファンが呼びかけた署名にあった「第三者機関を通して事実を明らかにしてほしい」という要望については、第三者にヒアリングされたくない当事者がいる、被害者に負担をかける……という理由で第三者機関を入れた事実の解明については否定した。話したくない人の口を無理やり開かすような事実解明をしなければいいだけの話なのに……とフツーに思います。
とはいえ、この問題が改めて複雑で、そして多くのファンが沈黙し、まだ大きなうねりのような社会問題になっていないのは、「事実が明らかになって傷つくのは被害者だ」という誤った認識と、被害者が文字通り分断されているからだろう。
(略)
被害者が分断されればされるほど、加害者の罪は問われなくなる。これはジェンダー問題でも同じだ。女性が圧倒的に不利な社会で女性同士は競わされる。ある者は沈黙し、ある者は怒る。その怒りの矛先もバラバラだ。女性差別するな、という一言ですら連帯できない女たちのほうが圧倒的多数なのかもしれない。弱い者たちは常に分断されるのだ。
だからこそ、フェミニズムは被害者が語りやすい空気をつくってきた。その一つが#MeTooだ。このジャニーズの事件は、日本社会が本当に性被害に向き合えるかどうかが問われている。1980年代から告発されてきたのに、社会で無視してきた子供への性加害。被害者が分断されていることに便乗し、私たちは光の部分だけを楽しんできた。その背後で、何十年もの間、被害者が次々に生まれてしまったというのに。私はやはり、前代未聞の規模の性被害の実態を明らかにすべきだと思う。被害者の名前が必要なのではない。加害がどのように継続されてきたのか、その背景にあったものを一芸能事務所の問題だけでなく、社会として捉えるために。
刑法の性犯罪規定が改正されようとしている。性被害当事者の念願だった「不同意性交罪」に変更されるかもしれない可能性が高まっている。
今の刑法では、「同意がなかった」ことが認められても、加害者が「同意があったと勘違いした」から無罪、というケースがあった。抵抗できないほどの状況に被害者が追い込まれていたことを、被害者が立証しなければならなかった。それが今回の法改正では、これまでの「強制性交罪」と「準強制性交罪」が統合されて、「不同意性交罪」という名に改正される可能性が高まっている。どれだけ抵抗したか、またはどれだけ抵抗できなかったかではなく、「私は同意していない」ことにより重きが置かれる流れが生まれたのだ。
例えば先日、週刊誌でプロ野球の山川穂高選手の性暴行容疑が報じられた。膣を激しく損傷し、被害数日後に警察に訴えた女性に対して、山川氏は「同意があった」と言っているが、膣を激しく損傷する同意はどのように取れるものなのだろうか。加害者寄りにも思われる刑法から、今後は性被害の実態に沿った刑法改正が強く求められていくだろう。
被害者が事実を語ることそのものに苦痛が伴う事実が性暴力を複雑にしている。その難しさを理解しながら、社会が、性被害を語る人たちの声に耳を傾け、そしてまずは信じる、という態度が必要なのだろう。
ジャニー喜多川氏の被害者は子供たちだった。圧倒的な力関係の中で、声をあげられなかった子供たちだった。そこに「同意がなかった」事実を、ジャニーズ事務所も、私たちも強く受けとめなければいけない。 >>2
「被害者とされる人の主張」と「事実」のすり替えはよろしくないよね
草津への誹謗中傷はそのすり替えが原因だと思うんけどもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています