どうする釈尊:中外日報
https://www.chugainippoh.co.jp/article/rensai/futaku/20230517.html

争いを諫めようとする時によく用いられるのが、法句経の「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」。もちろん釈尊の言葉だが、これを言われた僧侶が素直に聞き入れなかったというから驚きだ◆
原始経典を長く研究する森章司・東洋大名誉教授の釈尊伝研究によると、これが説かれたのは「コーサンビー破僧事件」でのこと。コーサンビーはベナレスから約200㌔西に行った都市で、釈尊滞在中に争いが起きた◆
用を足した後の水の使い方がその発端。コーサンビーのサンガを二分させる状況(破僧)になり、釈尊が過去世の故事「怨みに報いるに……」を引用して仲裁した。だが僧侶らは「論争は私たちのものですから」と一蹴した◆
各サンガが自主的に運営されていたことを裏付ける逸話でもある。ただ2500年たった今、この話に触れると、あまりにも人間的な釈尊の姿が想像されるとともに、争いを収めることの難しさを知ることができる。いつの時代も主張のぶつかり合いが起き、争いは絶えない。それは国家間であれ、人間関係であれ同じだ◆
釈尊は調停できずに祇園精舎に戻ったが、民衆は「仏を悩ませた」として僧侶への布施を絶った。そこでやむなく僧侶らは釈尊に許しを請い、サンガの和合が回復されたという。釈尊の説得は最終的にうまくいったとみていいだろう。(赤坂史人)