例の墓ほぼほぼ卑弥呼ジャップの墓で確定する [444248185]
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吉野ヶ里遺跡“謎エリアの棺”内側にも「赤い顔料」が付着、特殊な墓の裏付けか
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5ce9e69e2cc98faa1fcc9ef99bf3863851ead8a
佐賀県文化財保護活用室・白木原宜室長「赤く塗っているから=高貴という方程式は成り立たないが、多くの墓が赤を塗っているかというとそうではない。赤く塗っている墓は圧倒的に少ないのでそういう点からすると特殊な墓と言える」 >>232
倭国に支配されてただけだろ
広開土王碑にも書いてあるだろ
支配されてましたって >>220
全くない
倭国大乱や倭の五王の記録もない
5世紀以前の倭国の歴史は、中華王朝の史書のほうが信頼できる いわゆる沖ノ島の遺跡が出てくるのが4世紀
つまりこの時大陸へのルートが
半島→対馬→壱岐→松浦→邪馬台国から
半島→沖ノ島→宗像→(関門海峡→瀬戸内海)→大和に
切り替わったと思われる 今日もなんにも出てこないな
内側も赤く塗られているのが分かっただけか >>3
九州から機内に勢力を広げていったんじゃね
大和政権って割と東のほうは後から征服していったイメージだし九州から出発した西国政権だったのかもよ >>220
一応皇族ってことになってるぞ
どの皇族になるかは諸説あるけど考霊~崇神天皇のあたりの皇族にしないと万世一系の日本の支配者がおかしくなるからな
てことで日本書紀とかほじくり返して崇神天皇の姉だったり孝霊天皇の皇女だったり応神天皇の皇女だったりしてる >>247
日本書紀で神功皇后じゃないけど
なんとか神功皇后に誤解してくれないかなあ、みたいな
回りくどい書き方してるよな とにかく日本書紀が信憑性低いからしゃーない
外国の史書のほうが信頼できる日本 それはしょうがない
日本書紀に卑弥呼ぶち込んだのも
魏志倭人伝読んでしまったからだろうし
雄略天皇の遺詔を隋の楊堅の遺詔から丸パクリするぐらいだから
中国史書読んでるのは間違いないし そもそも日本書紀に卑弥呼でてこないでしょ
邪馬台国すらないのに >>253
神功紀の途中にいきなり魏志倭人伝の記事引用して
何となくひょっとしたら神功皇后と卑弥呼は同時代の人物じゃね、と
思わせたいという細工してる >>253
向こうの記述だからな
こちらで何と呼ばれてたか不明だろ 壹を台に書き替えてヤマイコクをヤマトコクに読み替えた古代倭ップラン土人 神功皇后て日本史上最大級の託卵インシデントだよなあ 遣隋使遣唐使時代にあそこで「壹は臺の謝記なんだ! そこは我々の国やまと国のことなんだ!」って
無茶苦茶な歴史改竄して今でも議論を無駄に混乱させている
さすが天皇家 >>213
松野連の家系図では、熊襲の人物の名と、その親戚として卑弥呼と思われる人物や、邪馬台国の人物難升米の名が記載されている 日本書紀を見ると邪馬台国の歴史が当時の知識層に魏志倭人伝を通してしか伝わっていないので天皇の血筋とは何も関係ないんだろうな
邪馬台国を滅ぼした勢力ですらなく無関係
中国の歴史書に書かれてるから何とか辻褄を合わせようとそれっぽくしてるだけで >>215
儒教大好き林羅山「日本って中華王朝からたまに姫氏国って言われてたやんか。中華の史書にも倭人が自ら太伯の子孫って言ってるって書いてるし、天皇の祖先って古の太伯や古公亶父なんじゃね?だから天皇は儒教的にも尊いんだよ。」 >>256
松野連の家系図では卑弥鹿文が卑弥呼のことではないかとされる
ちなみに、魏志倭人伝に登場する邪馬台国からの使者である難升米は卑弥鹿文の従兄弟として記載がある
鹿文とは、熊襲の人物明治に多く使われる >>258
大丈夫、托卵先も
孝元天皇の男系子孫だから >>148
九州説は在野中心って、南京大虐殺否定論みたいなもんだな。 当時の日本最強勢力が畿内であることと
邪馬台国とその最強勢力がイコールかどうか、って話なだけじゃないの?
邪馬台国は「狗奴国に負けそう」と大陸に泣きついた国でしかないけど >>170
昔だもの今なら大騒ぎだろうけど
地元に実物展示してあるよ ジャップの遺跡発掘って定期的に自分が埋めて自分が掘り起こす不祥事あるけど今回はこういうやつではない? 今日の成果
これはもう駄目かもしれんね
明日で作業終了なんでしょ?
https://news.yahoo.co.jp/articles/e77d658e7c0084d93b569ac6d81bea85c1dac85b
「赤く塗っている部分がお棺全体に広がっていて、お棺の中を赤く塗るという事自体がお墓全体の中では極めて少ないので、特定のランクの人物だと考えていいんじゃないか」と説明しました。 壁石10枚のうち6枚に赤くなった部分が見られ、“塗られた”と表現されました。 土の掘り起こし作業は8割を終えました。 >>253
・倭国大いに乱れる(倭国大乱)
・1人の女王が擁立され、乱が収まる
・女王が亡くなり国がまた乱れる
・女王の縁者の少女が女王に擁立されようやく収まる
この時系列が全くないよね記紀って。
名前がどうしたとかそういうの以前の問題で、
「口頭で伝説として語り継がれるに値する最も重要な出来事」が失われてる。 >>273
【魏志倭人伝&日本書紀崇神紀対応表】
①『倭国大乱を収めるために卑弥呼擁立した』:魏志倭人伝
①『流行り病で国民の半数が死に、百姓が流浪し背いて治める事すら難しくなった時に百襲姫(大物主憑依状態)を祀った』:日本書紀
②邪馬台国で卑弥呼に仕える官「弥馬獲支(ミマワキ)」:魏志倭人伝
②「“ミマキ”イリヒコ(崇神天皇)」:日本書紀
③邪馬台国で卑弥呼に仕える官「伊支馬(“イキマ”)」:魏志倭人伝
③崇神の子ども「“イクメ”イリヒコ(垂仁天皇)」:日本書紀
④卑弥呼の後に女王になった「臺与(トヨ)」:魏志倭人伝
④崇神の娘で日本最初の斎王「豊鍬入姫(“トヨ”スキイリヒメ)」:日本書紀
⑤径100余歩(約150m)とされる巨大な卑弥呼の墓:魏志倭人伝
⑤『昼は人が造り、夜は神が造る』と評されたほど尋常ではない百襲姫の大市古墳に対応。大市古墳の後円部(主体が眠る)も156m:日本書紀
⑥魏志倭人伝『卑弥呼が死んだ後に乱が起きた』:魏志倭人伝
⑥百襲姫死亡の次の記事に崇神帝による四道将軍派遣:日本書紀
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完全一致だな タイムマシンないと確かめようがないよ
ドラえもん呼んでこい >>275
タイムスクープハンターでも扱えない話題 高貴な人の墓ではあるどろうが、卑弥呼かといわれれば難しいんじゃないの 邪馬台国がどこかわからなくても周りの国の名前は九州に今も残ってるんじゃなかった?
奈良にも同じようにいっぱいあるのかな?
それとも近世になって後からつけた地名だったりする? 俺が死ぬ時は棺桶にハンコ入れて欲しいなんて言う人1人もいないとおもう
花とか服とかならわかるけど。
ハンコは次の人が違うだろうし >>266
托卵元?はナントカの宿禰とかいう相撲の元祖じゃなかった?
あれも男系の血筋なの? 天皇よりグレーな家系があったとか
ネトウヨには認められへん >>228
簡単に言うと日本書紀書いた人(たち)は
神功皇后=卑弥呼
という前提で日本書紀書いて
日本書紀中の年代もそれに合わせて編集されてるから
少なくとも日本書紀中では矛盾はないことになってる
だから後世の学者的には日本書紀に記述された
年がそのまんま信用できるのか
違うとすると実際とどうズレてるのか
って点も論争と研究対象で
考古学的な成果と付き合わせて概ねこれが
年代的に正しいんじゃないか的な共通認識が
できてきたのはかなり最近
なんせ80年弱前までは皇紀とか大真面目に制定して公式に使ってて
おかしいなあとはみんな思いつつあまり深掘りするのはタブーだったくらいなんで
戦後になってタブーなくなってそれなりに豊かになって研究とか議論とか発掘とかして
まあこんな感じだろってなってくるとこまで積み重ねて辿りつけるところまでこれるには
時間がかかったわけ 「神功皇后」という人物自体は、魏志倭人伝履修済みの記紀編さん当時の教養人が「邪馬台国の女王」に当てはめる形で
登場年代まで(3世紀後半頃に)ぴったりすり合わせて作りだされた、おそらく架空のキャラクターなのだと思われるが
だいぶ時代が下って、19世紀に吉林省で出土した広開土王碑の
「4世紀終わり頃に倭人が半島南部に攻めてきて好き勝手暴れまわってた(のを高句麗王が撃退した)」
って記述が、「神功皇后の事績である『三韓征伐』が史実であった証拠だ!」っていう事になって
明治以降は「神功皇后は4世紀後半に実在した人物」ってことになっちゃったので
さらにちょっと色々ややこしいことになってたりはする >>250
日本古代史上女帝って存在せず
単に王朝変わってるだけだよな
記紀とは、そもそも簒奪者の天武が自身の王権の正当性を主張するために捏造した偽書にしか過ぎない
そもそも記紀以外で古代の天皇が存在した証拠は何一つない 笑
これが事実www 大陸からみたらどっちもいっしょだろ
ったくじゃっぷはぴーぴー細かいんだから 卑弥呼ってなんで卑を自ら使ってんの?自己肯定感低かった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています