>>30
https://hayashi-hideomi.com/series/2471.html
余裕の元は他にもあります。年貢さえ納めてしまえば、それ以外の手間仕事や農閑期の副業などによる収入は、概ね非課税でした。産物の生産や流通などにかかる雑税(小物成)はありましたが、それは大まかな制度であり、農家が農閑期に作った蓑(みの)や草鞋(わらじ)を売ったところで、いちいち税金を課せられるということはなかったのです。

江戸期の農民は米作ばかりしていたというイメージがあるように思いますが、大規模米作地帯以外では、畑作や山での狩猟、海や川での漁労などに努力することで、米以外の収穫を確保出来ました。それらを換金すれば副収入となったのです。

農村が豊かであったということは、幕末維新期に日本にやって来た外国人の感想(ハリスなど)とも符合します。彼らは、日本の庶民に栄養失調は見られず、肉付きも良好で、幸福そうな暮らしをしているという記録を残しております。

あるいは、庶民の旅が盛んであったことの根拠ともなります。多い年では、年間486万人もの人が伊勢参りをしていたという記録があります。天保元年(1830)のことで、大流行の年(おかげ年)であったとしても、当時の人口が約3千2百万人であったことからすれば大変な数になります。人々にお金の余裕があってこそ、あり得た事実なのです。