櫻井翔「憶測」発言で急増 “ジャニーズ性加害”告発者に相次ぐファンの攻撃〈死ねよ〉〈嘘つき〉 から続く

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「異質な世界なんですよ。誰かが触られていても、それが日常で、なんか特別なことっていうわけでもないような世界」

 そう“合宿所”の空気を表現するのは、土田一徳氏(53)。昨年から活動を再開したジャニーズ出身のロックバンド・男闘呼組のメンバーだった人物だ。
当時の合宿所には少年隊、男闘呼組、中村繁之が住んでいた

藤島ジュリー景子社長

 土田氏がジャニーズ事務所に入ったのは、高校に入学した1985年春のことだった。小さい頃からピアノを習っていた土田氏は、ジャニーズにいた知人から、

「男闘呼組というバンドを作る。キーボード奏者が必要だから」

 と勧誘を受けたという。

 当時原宿にあったジャニー氏の自宅マンション、通称「合宿所」に行き、男闘呼組のメンバーと対面した。

「マッチはもう出て行っていて、少年隊、男闘呼組、中村繁之君らが住んでいた。ジュニアも時々泊まりに来ていました」
「ユー。やっちゃいなよ」正式にジャニーズで活動することが決定

 そこでジャニー氏とも初めて会った。リビングのソファに座るジャニー氏は、初対面の土田氏を、「おいで」と隣に座らせると、服の上から身体を撫でた。

「ベタベタ触られて。腕やお腹なんかをずっと擦られてました。でも、周りにいた男の子たちは平然とファミコンをしていた。5人以上はいたと思います」

 その後、ジャニー氏に「ご飯行こう」と誘われ、岡本健一、高橋和也、成田昭次と一緒に、新宿のロイヤルホストに行った。

「ユー。やっちゃいなよ」

 そう言われて、土田氏は正式にジャニーズで活動することになった。
18歳の頃、とうとうその日が

「『ユー。泊まりなよ』と言われたけど、初めて会った人の家に泊まるのは抵抗があった。それで『遅くなっても帰ります』と言って、その日は帰りました」

 その後、土田氏は親にも許可を取り、合宿所で生活するようになる。

「毎日メンバーと今後について話したり、渋谷にあるスタジオで練習する日々。みんな家に帰らず、合宿所から学校に通いました。僕は1年生の途中で留年が決まってしまったので、通信制の学校に転校しました。卒業したのは20歳になる頃です」

 そして18歳になっていた1987年の終り頃のこと。

「ドラマも仕事もないときでした。ジャニーさんから『いっぱい出てるんだから、もったいないから、今後を考えなきゃいけないよ』と言われて、よろしくお願いします、とジャニーさんのアクション(仕事の指示)を待っている状態でした」
https://news.yahoo.co.jp/articles/17f94524c29d5c0938aa70ba7db2167129a886f5