一度寮付き派遣をやると、もう戻れなくなる…35歳非正規男性が取り戻したい「6畳ワンルームの暮らし」

35歳の男性は震災の影響で失業し派遣会社に登録すると、そこで紹介された全国各地の工場を転々とした。一度派遣会社の寮に入ってしまうと生活必需品を揃える手間からなかなか出られず、負のスパイラルに陥ってしまうという。

(中略)

平河直樹(仮名・35歳)
出身地:茨城県北茨城市 現住所:千葉県習志野市 最終学歴:高校卒
職業:警備員 雇用形態:契約社員 収入:見込み月収で約24万円
家族構成:独身 住居形態:会社の寮 家賃:不明
支持政党:立憲民主党 最近の大きな出費:寝具購入(約1万3000円)

寮付きの仕事を始めたのは震災直後の2011年7月から。自前で住居を確保し、少しは安定的に働きたいと願っていたが、寮付き派遣をあちこち回るだけ。丸10年経った今回もありつけたのはやはり寮付きの仕事だ。

「川崎から津田沼への引っ越しなんですが家財道具はなにもありません。荷物はリュックサックとスーツケース1個だけ。本当に体ひとつだから簡単なものです」

新しい仕事は警備員。警備会社の契約社員として採用され、千葉県内の大型商業施設で交通誘導と駐車場警備を担当することになった。

「前もその前もずっと製造業派遣でした。今度は契約社員だけど直接雇用、少しは出世したんですかね」

(中略)

震災が起きたときは茨城県北部にある木材加工・家具製造会社の正社員として働いていた。工場の作業職だが高校新卒で入社し勤続7年。

名前だけだが主任の肩書も付き、私生活では高校の後輩になる女性との結婚も考え始めていた。それが震災ですべて水の泡になってしまった。

破格の条件に惹かれ派遣会社に登録、ブラック工場へ

「会社は福島との県境近くにありまして、あの地震で本社も工場も全壊に近い惨状でした。津波の影響はなかったのですが再建は困難、自主廃業するということになった。これで失業しました」

再就職しようにも地元で採用してくれる会社がない。ハローワークに行ってもアルバイトや期間限定の仕事ばかりで時給は800円程度。とてもやる気にはならない。

(中略)

失業手当はもう終わり、貯金もそう多くはない。そんなときに目にした派遣会社の募集案内は破格の条件で魅力的だった。

「月収30万円以上可、直接雇用への転換あり。地元のハローワークじゃめったにない好条件だと思いました」

派遣会社の説明会に参加し、そこで紹介されたのが愛知県の自動車部品会社。

「有名な自動車メーカーの系列会社で未経験可、寮完備、月収32万円となっていて。ここで生活を安定させようと思っていたので即決でした。1週間後には愛知県の工場で働き始めました」

ところが時間を置かずに「これはどういうことだ?」「言ってたことと違うじゃないか」という不信感が芽生えた。

(中略)

「工場派遣の最後は使い捨てですからね。やらない方がいいし、やったとしても早く足を洗って次を考えないと。損をするのは自分なんだから。それは俺も頭では分かっていたんですが流されてしまった。失敗したと思います」

どうしてかというと派遣会社が上手く弱みを突いてくるから。

「失業しているとかフリーターやってますとかじゃ、部屋を借りるのもひと苦労なんです。工場派遣なら仕事と住まいがセットになっているから、採用されれば収入と住まいが確保できる。そうなると派遣の仕事は魅力です、何も持たずに寮に入れますから。交通費や生活応援資金を出してくれる派遣会社もありますしね」

一度寮付き派遣をやったら負のスパイラルに陥る

布団をはじめとしてカーテン、家電品、ロッカーなどの家財道具は揃っているから体ひとつで入居できる手軽さがある。派遣先が変わって転居する場合も身の回りのものだけ持って移動できるからお手軽だ。

「きちんと部屋を借りて就職活動をすればいいんですが、一度派遣会社の寮に入ってしまうとなかなか出られない。部屋を借りて生活必需品を揃えることを考えると、やはり寮付きの派遣労働を選んでしまう。その結果がこれですよ

(中略)

工場派遣をやって得たものや楽しかったことは何もない。こんな働き方をしないで暮らしていきたかった。

「派遣じゃなく直接雇用で働けるのは10年ぶり。次の目標は寮を出て自分で住まいを確保すること」

6畳のワンルームでもいいから自分で契約して家賃を払う。当たり前の暮らしを取り戻したいと願うばかりだ。

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