日本軍「慰安婦」問題が広く知られる以前の1975年、元慰安婦であることを初めて明らかにした女性がいた。
朝鮮半島出身で91年に沖縄で亡くなった故・裴奉奇ペ・ポンギさん。93年に日本政府が慰安婦への軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」の発表から30年、
裴さんの人生を学ぶ20〜30代の有志らは「性暴力の問題は今も続いている。慰安婦を人権問題として考えて」と訴える。(森田真奈子)

裴さんは1914年、朝鮮半島の農村の貧しい家で生まれた。29歳の頃、「仕事をしなくても金を稼げる」などと業者にそそのかされ、44年に来日。
沖縄県渡嘉敷島の慰安所で慰安婦とされ、戦後は身寄りもない中、沖縄本島の飲食店を転々とするなどして生活し、77歳で亡くなった。
72年の沖縄返還後、沖縄県内に住んでいた朝鮮人は、日本の在留許可が必要となった。裴さんは75年、手続きのために過去を明らかにし、
新聞などで報道された。望んで名乗り出たわけではなく、体験を公に語ることに消極的だった。
裴さんの生涯を、全国の20〜30代の大学生や会社員など13人が学んでいる。韓国文化への興味や留学経験などをきっかけに関心を持ち、
慰安婦問題のような性暴力を二度と起こさないようにと活動する「希望のたね基金」(東京都文京区)の企画に参加した。

昨年11月から都内やオンラインで勉強会を重ねている。裴さんが人との関わりを避けて孤独に暮らした一方、晩年は支援者らと交流し、被害に対する回復を求める気持ちが芽生えた様子などを学んできた。
2月には裴さんへの長年の取材をまとめた「赤瓦あかがわらの家」を書いたノンフィクション作家川田文子かわたふみこさん=4月2日に79歳で死去=を招いた。
「自分の存在を否定される経験をして人間嫌いになったが、大胆さもあったと思う」と話を聞き、参加者たちは裴さんに対し、「さすらう」「警戒心が強い」「耐え忍ぶ」などのキーワードを考えた。

韓国ドラマをきっかけに慰安婦問題にも興味を持ったという都内の大学に通う女性(20)は、「日本にも慰安所があり、戦後は元慰安婦が放置されたことに衝撃を受けた。
日本では被害に向き合うのを避ける雰囲気があるが、事実を知って伝えていきたい」と話す。

沖縄在住の写真家、高橋健太郎さん(33)は、記者へこう投げかけた。「今も経済的に困窮した人が性産業で働かされる構造は変わらない。裴さんの経験を知って『あなたはどうするの?』と問われている」
29日午後1時半から、新宿区のスマートレンタルスペース東新宿でシンポジウムを開く。元慰安婦の女性の人生を学び、その人にふさわしい花を選ぶという韓国での試みにならい、
勉強会の参加者が「裴さんにふさわしい」と選んだ3種類の花と背景などを発表する。入場無料。詳細は基金のホームページで。


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