中国歴代王朝の人口がこれらしいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww [611712225]
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文革なかったら今ごろ世界のリーダーだったかもしれん
ケンモメン以外の国民粛正したようなもんだからな モンゴル人自体は当時でも数百万人しかいなかったのに何で中国全土を征服出来たんだろうな 南宋で皆殺しにされて明になる頃には数で圧倒したのか 減ったのは死んだんじゃなく戸籍把握が難しくなってたから云々 把握できてただけで、実際の人数とは異なるんじゃないの? ほかの王朝は日本で使われてる漢字そのままなのに漢だけ全然違うのは何で? 三国志の時代って本当に乱世で大量に死んでいるんだな >>24
ローマの崩壊もそうだけど高度に交易がシステム化した社会では
交易インフラが崩壊すると、食べていけない人が一気に大量に出る
それは職を失って個人が生きるすべを失うのもそうだし
食糧輸送が届かなくなるという間接的な問題もある 都市人口が多くて割りかし文明的だったからちゃう
>>24 >>20
漢字とあなたが書いているように漢という文字はよく使います
逆に秦や隋の字は使いません
よく使う漢字には略字が作られます
以上が理由です >>20
そもそも日本の「漢」も新字体で旧字体とは違う >>34
前世とか輪廻とか考えるのが馬鹿馬鹿しくなるグラフ >>28
元は宋代の交易ネットワークをユーラシア規模に広げたって聞いたけど
元で少なくなってるのはやっぱり戦乱かな? 使えない>>35の代わりに漢の旧字体置いておきますね
つ漢 前半は毎年何十万も戦で死ぬのにこんな人口じゃ少ないよな
やっぱ盛ってるよなあ 1万年まえは中国よりペルーのが人口多かったらしい
中南米の時代だった 同じ王朝でも時期によってかなり人口変わるからこのデータは信用できないな
例えば唐なんて安史の乱で3分の1くらい減ってるし モンゴル人に殺されたってことにしてるけどペストで死にまくったのが本当らしい にんべんに乙って何
当たり前に知らない漢字使わないで 数字の上下動が激しすぎる
戦乱の時なんか戸籍も機能してなさそうだし >>22
タウポ火山の噴火で凶作になって飢餓が発生したことが漢王朝を終わらせた引き金だからな コロナもペストもスペイン風邪も鳥インフルもSARSも中国発症ってのを考えると
どんだけ不潔なのよあの国 ソースみれないけど
中国の人口の増減と地球の寒冷化がリンクしてるってのは
聞いたことあるな。 近代の中国の人口について見ると、清朝の康熙帝(在位1661-1722年)の統治の末年、一億人の大台に乗ったころから未曾有の人口増加がはじまった。乾隆帝(在位1735-1795年)の末年には約3億にまでふくれあがり、道光帝の道光13年(西暦1833年)の戸籍登録人口は398,942,063人となった。わずか百年あまりの間に、実に四倍にまで増加したのである。
この清の人口爆発を説明できる決定的な学説はなく、今でも中国史上の謎の一つとされている。
何があったんだろう
安倍晋三したのかな 西晋あたりから異民族を移住させたりしてるからあまり参考にならないかもな
元はもちろん遼とか金や清の前身は契丹とか女真族とかの異民族の征服王朝だし 1日そこらで終わった戦一つで何十万人死亡とかは流石に盛り過ぎだろと思う >>54
康熙帝から乾隆帝までは清の全盛期と言われてるからそりゃ増えるよ、名君な上に在位も60年とかだからとにかく国は安定してた >>57
そんなの数万とかだろせいぜい盛っても
それより戸籍や土地台帳の方法でかなり集計変わると思う
あと元の頃とか逃亡民多かったろうし、そういうのも 唐は国際都市になったから
宋は長江下流域に巨大な穀倉地帯ができたから
マジレスすると
宋までなら現代人がタイムスリップしても
ほとんど今と同じ暮らしができる 近世まで厳密な戸籍システムは機能してなかっただろうからねえ
安定期はだいたい人口が把握出来ていても、乱世だと官僚機構が失われるから人口把握は難しくなる
日本も太閤検地以前はかなり怪しいでしょ あれ?吸われた?pdfダメなのかな?
読みやすい文献あったけど貼れないわ 戦争そのものより、それによって起こった飢饉で死んでいくんじゃないのか
兵士や盗賊に略奪されたり、男手とられて畑の手入れできなかったり >>22
天然痘の大流行もある
古代ローマも五賢帝時代に8000万に達したのが、マルクルアントニヌス帝時代に始まった天然痘流行で4000万人に減ったとか
まあローマは軍人皇帝時代とか無茶やってたりするが >>10
モンゴルは漢人軍閥を取り込んでた戦わしてたからじゃないの
張弘範なんか南宋滅ぼした功績でフビライから賞されたみたいだし >>16
徐州大虐殺とか酷い状況だったらしいからな 戸籍把握できない
荘園主や豪族が奴隷隠してた
そんな一気に死ぬわけない >>71
いわゆる宋、水滸伝の時代
南宋と区別するため >>22
ほとんど気候変動による飢餓だよ
黄巾の乱の原因も不作が原因だし
日本でも同じ頃気候変動で倭国大乱になった >>10
チンギス・ハーンと彼の作り上げた軍隊組織がバケモノだったからに尽きる
欧州遠征なんてたった5万くらいの兵でキエフルーシポーランドハンガリーその他諸々を踏み潰してる 何十万人死亡みたいな戦いあるけどちゃんとそれだけ人口減ってるんだな >>71
隋、唐は鮮卑族
元はモンゴル
金、清は満州族
それ以外は漢民族と思っておけばいい >>22
だいたい三国時代の武器にこそまでの殺戮能力はない >>79
色々いすぎて一々書き出すのめんどくさいでしょ 赤壁の戦いで曹操が勝ってた方が人民にとっては遥かに良かった気がする >>65
pdf直リンクできんようになった
規制が無意味過ぎるわ
荒らしのグロ画像はお咎め無しのくせに >>82
人口減ったのは黄巾の乱の頃だぞ?
曹操は屯田政策で耕作地を復活させて人口増やして回復傾向にあった >>82
そりゃそうよ
蜀漢も呉もただのテロリストだよ >>83
戦乱続きで流民が発生したりして戸籍を把握できなくなってる状態 >>70
なーにが徐州大虐殺だよクソジャップ
南京大虐殺を起こしたのはお前ら戦犯ジャップゴキブリだろ
原爆でケロイド風呂になっとけ あわや絶滅の三国志の乱世ぶりに毎度震える
これこそが魅力 >>12
金王朝を滅ぼす過程で虐殺略奪しまくってるし、ついでに元軍が雲南からペスト持ち込んで大流行させて華北の人口を9割ぐらい死なせちゃってる。
南宋を併合した後も金なんか採れない地域の貧農に砂金の上納ノルマを割り当てたりするクソみてぇな民政してるから。 時々激減してるのは国が乱れて人口把握出来なくなってるだけでしょ >>37
魂は1つで輪廻するとは限らない
今の人類に多いテレビに洗脳された昆虫人間は昔の偉人の魂が1000に分割されたものかもしれない >>80
日本の人口増えてポコジャカ古墳建てまくってるし
死んだっつーよりみんな逃げたんじゃないの、周縁地域に
戸籍に載らない地域に 三国志の時代って人口が後漢の8割減になったぐらい悲惨な時代なのに
人気あるよねこの時代。
死んだにしても、いくらなんでも減りすぎだから、いろいろ研究もあるけど 戦国末期の人口の100人に1人ぐらいが白起に首斬られるか埋められてると思うとちょっとおもしろいな >>98
後漢末は流民だらけだし普通に1000万単位で死んでる
元も農業生産性が古代レベルまで急落してるし普通に1000万人単位で死んでる >>12
戸籍って田畑と農民を紐付けて効率よく徴税するのが最大の効能だから
遊牧民が支配層だとあんま戸籍の整備に意味なかったんじゃないの
騎馬軍団には歩兵いらなかっただろうし 成都で大量虐殺した奴いたよな
成都というか蜀の血の人間を九割方殺したとかいう異常者 >>106
そんなのがユーラシア大陸を征服できるわけないでしょ 戸籍をしっかりとれなかったこともあるだろうから
数字通りに人口が減ったとも限らないけどな 国境が全然違うんだから人が死んでるわけではないだろ >>115
倍になったのは唐だろ
唐は300年くらい続いた(と思った)から
例えばその半ばの記録を書いたとしても
隋の時から150~200年あるわけで 曹操はこの乱世で生き残ったのは100人に1人みたいなこと言ってるな
もちろん盛りまくった発言だろうけど10倍に盛ったとしても1割しか生き延びてないんだからとんでもない乱世だったんだよ後漢末乱世
でも人は減っても守らないとならない都市の数は変わらないんだから曹操の苦労が分かるというもの >>89
政策として溢れる人口を
四川やら南方で開墾させてたから割とマジなんだと思う
人口爆発のせいで、中国社会がおかしくなって
中国の士大夫文化が衰退して、戦前の日本人が創造する乞食みたいな中国人たちができあがっていったとかもあるし
そこにれいのアヘン戦争だからね
まぁ色々と運が悪すぎたわけだ
人口爆発は産業革命前の戦争では有利だったかも知れないけど
産業革命と相性が最悪だったからね
毛沢東はそれでも人口増政策を続けたわけだが
で、20世紀後半からのグローバル経済は、大規模市場もってるとこが最強だから、相性が良すぎて
今度は逆に中国が飛躍していくことになる >>12
元は恒常的に戦争しすぎ
宋の造ったインフラ再建に興味無さすぎ
さらにペストの大流行。これが元というか大モンゴル帝国の衰退の原因
元てのは国際ネットワークの交易世界を志向してたから
それがペストで崩壊した時に全てが終わった。
まぁ漢人の人口再建も興味無かったんだろう 項羽が兵士100万率いて10万の敵を生き埋めしたとかどこまでも盛ってるのかね
実際は1/30くらい? 王朝が滅亡するとその住民も絶滅するという謎のネトウヨ理論
→ 漢の時代の中国人と現代の中国人は違うという結論 戸籍上の人口だということに留意な
三国時代の大量死はガチだけど 戸籍は徴税徴兵のためのものだから
中央政府が弱いと住民把握能力が落ちる
荘園や地方軍閥支配みたいな政府の支配が及ばない領域が残る 税制が人頭税+地税から
地税オンリーになってから
人口増えた
つまり戸籍にみんな登録されるようになった >>22
飢饉で難民が発生して戸籍が機能しなくなった説もある。 >>104
後漢末の飢饉や疫病による大量死と政治腐敗による社会不安からの黄巾の乱→群雄割拠→三国鼎立
むしろ三国時代になってから人口は回復傾向にある 戸籍をしっかりとれなかったこともあるだろうから
数字通りに人口が減ったとも限らないけどな >>120
元は、百数十年間、華北と江南に分断されていた中国を統一し、
華北と江南を結ぶインフラ整備には熱心に取り組んでいるぞ。
現在世界遺産となっている大運河(京杭大運河)は元代に開かれたものだ。
南宋は言うまでもなく、「統一王朝」北宋の版図も華北を部分的に支配するものでしかなく、
隋唐のインフラ網からすれば大したものではないんだが。
5ch嫌儲板における宋マンセーの風潮は異様だ。
同時期の西欧が中世真っ只中、西アジアにおけるアッバース朝衰退によって、
宋の「発達ぶり」が際立って見えている面が濃厚だろ。 >>132
元は宋代のインフラを壊した問題があるし
もともと北宋時代には黄河と揚子江をつなぐインフラはしっかりしていた
だから人口が戻らなかったわけだしな
さらに北宋マンセーには理由があって
銃・病原菌・鉄とかやら、そのほかで、石炭やカロリーの消費量から考えて
宋が産業革命にもっとも近かった時代とされてるからだ
実際、金・元の問題がなければ宋は何かを成し遂げたかも知れない >>133
それは方向性が違うだけで元も同じだと思うけどなあ
中国史上最も偉大な科学者である郭守敬は元時代の人だし
海洋進出も元以降 >>134
元は基本的に世界交易ネットワークを志向してて
農本主義ではないので、農村復興や漢人の人口増なんかに真剣みが無い
だから王朝も短命だったし、人口も回復しなかった
まぁペストの問題のが大きいだろうけどな 明って内政に関しては暗君ばっかなイメージだったけど意外に発展してたんやな >>135
中原史観では元は短命となってるが
モンゴルは中原を捨てても長く続いてる
ユーラシア大陸はモンゴル帝国の聖なる血統が長く支配した モンゴルは中国文明以外のインド文明、イスラム文明など他の高度な文明も知ってたから
中国文明を盲信しなかった
モンゴル支配によってユーラシアは史上初めてひとつになった
モンゴル支配の前後で中国も大変化が起きた
言葉も文化もシステムも何もかも
以後の中国の首都になる北京はモンゴルが作った大都 >>136
経済・社会・文化の発達度でいえば、むしろ明末こそがピークなんだが。
明末の経済・社会・文化の成熟は、中国内での硬直した朱元璋体制の解体と、
世界規模での交易活性化が結びついて生じたものだ。
朱元璋体制は明代の大部分(とりわけ明末)を通じて、
増えすぎた宗室による財政圧迫、鉱税の禍など、負の方向にしか機能していない。 中国歴代王朝の国号は地域地名由来だったのが
元朝以降は
地名から離れ思想を現わすようなった
明も清も
モンゴル支配によって中国は全く変わった >>115
隋王朝時代碌なこと無かった気がするけどなあ
度重なる高句麗遠征に始皇帝を彷彿とさせる数々の土木工事で農民酷使
反乱は相次いで起こるしで2倍も増える情勢に無かったような >>141
それは規模も合わせた上ね
人口でもちゃんと明が上に出てるでしょ?
そうじゃなくて都市生活の質の高さ
カロリー消費、石炭消費、また炭鉱の開発、なんかでは宋が産業革命に近かったとされるわけ
商業文明、産業資本家も含めてイギリスに近いってことね
勿論、産業革命は新大陸の発見の爆発的豊かさに起因してるって歴史観だと
「鄭和や海洋プロジェクトが新大陸発見してたら、中国で産業革命起きてた」てことになるし
逆に、産業革命は知財や大学やアカデミーシステム、人権概念と密接に結びついてるって言う歴史観だと(俺はこれに近い)
宋でも明でも産業革命は起きないことになる >>141
あーすまん
アンカー間違えた。
宋で産業革命起きる可能性合ったか VS 明で産業革命起きる可能性あったか
の話と勝手に間違えた 日本人が宋をやたら持ち上げるのは京都大学のシナ学がそうだったから >>138
元は辛亥革命まで存続してる
清朝が元から正式に大ハーン位を譲位されてるから >>141
明末にはもうすでに西欧は新大陸を手に入れてて強大化
技術力も西欧に抜かれつつあった >>147
そうか?
日本人の多くは宋なんかよく知らんやろ
日本人がイメージする中国は唐やないか
日本の建築も唐風の建築が原型になってるし 混乱期は南の未開地に集団で逃げるから見かけの人口は激減する、客家なんてのはその末裔やね
結果中国の領域がなんか増えてて後々美味しいと >>145
鄭和の航海の最大の問題点は完全に国営事業だった点だな。コロンブスは王室から出資はしてもらったが一応民営事業だし、東インド会社は株式会社。産業革命は奴隷貿易や砂糖貿易による資本の蓄積と株式会社によって拡大した面が強い。中国のような皇帝がビジネスの頂点に立ち、定期的に大商人を邪魔して資本の蓄積を妨害する国では産業革命は生まれない。海洋貿易のリスクは皇帝が取るっていうシステムだと保険や株式会社は発明されない。大学とかは産業革命に一ミリも寄与してないが、中国では産業革命が起きることがあり得なかったのは確か。 >>42
詳しい👍
YouTubeの中国史解説だと清の三世の治の時代が一番人口が多かったとか視聴したよ やっぱ簡体字ってきもちわりい
億がこんなスカスカになっちまうんだな
ごちゃごちゃしてたほうがいいわ 中国人はモンゴルが野蛮だからって書き方が多いし実際野蛮なのは事実だけど
1300年あたりに減ったのは黒死病のせいだよ
あれで人口の半分くらい死んだ >>156
大学が隆盛を誇る=社会が豊かになり遊んで暮らせる人間が増えた
って話ちゃうの >>150
満州族やら、朝鮮へのジャップ侵入やらで
その対策のために重税を課していた情勢なのに
経済や社会が成熟してたってのはどうも考えづらいわな >>156
エドモンド・カートライトはオックスフォード大学とモードリン・カレッジで勉強してんだが?
あのなぁ知の集積や、知の大衆(ジェントリ)のアクセスがなければ、産業革命なんか起こせないんだよ。
権力に庇護された職人集団との違いはそこなわけ
そもそも前半2行はまともなのに、なんで「1ミリも寄与してない」とかアホなこと言い出すんだ?
前半2行だって成立させるには、公証人制度も法学も必要だろうが。
契約概念や、順法精神まで踏み込むとキリスト教の話になるがな 混乱期は籍を把握出来てなかったりするからこれだけ人口減ってるって言うのはあれだけどな
三国時代なんてどれだけ把握出来てたんだろ >>160
東夷たる日本人まで中華中原史観に毒されて
周囲の野蛮人、北狄と連綿と続く北方遊牧民帝国、モンゴル帝国を蔑み、過小評価してるさまは
滑稽としか言いようがない 明清に華やかなイメージがないのはなぜなのか
持て囃されるのはだいたい唐とか宋だし >>36
西漢東漢で国都が西の長安と東の洛陽からみたい >>166
スレでも何回か触れられてるような気が
しないでもないが、大航海時代を経て欧州国家が
世界的に目立ってきたからだと思う >>167
西周東周の理屈からすればそっちのが一貫性あるかもな、言われてみると 何万戸のどこが邪馬台国で~とかやってるわーくにがバカみたいじゃないですか >>164
少なくとも三国時代のそれは無戸籍者も推計して入れてる
戸籍人口なら三国合わせても1000万人も行かない
蜀に至っては人口86万人になる >>169
てか、五代十国時代の「後漢」と紛らわしいから >>162
明代には世界規模での交易ブームによって、大量の銀が中国に流入するなかで、
中国内では、地域ごとの分業化、分業化した諸地域間を結ぶ国内商業の発展、
そうした経済的隆盛を背景とした文化活動の活性化
(庶民を対象とした出版文化や、豫園や拙政園などの造園)が起こっているだろうが。
江蘇・浙江では外国の銀と交換される絹や木綿などの商品作物生産に特化するようになり、
主穀の生産地は湖広(長江中流域)へと移るなど、地域間分業の進展や産業地域の拡大が生じている。
対外交易によって儲かる沿海地域・都市部と、内陸地域・農村部の経済格差が生じるようになったが、
沿海地域・都市部は重税に耐えつつも、豫園や拙政園などの庭園を築くほどの経済力・文化力があった。
続く清代の「盛世」は、直近の明末の経済・社会の成熟の上に成り立っているものであり、
康煕帝がまったくゼロの地平から築いたものではない。
5ch嫌儲板の自称「中国史通」って、
中国の自然環境の多様性やそれに対応した各地の地域産業のあり方、
社会の大多数を構成した一般庶民や、被支配層と支配層の間に立つ士大夫層の動向といった、
中国の大部分を構成し、長年にわたって中国を特徴づけていた要素を無視して、
中国全体からすればちっぽけな存在に過ぎない皇帝だけに着目して、
全体を知ったつもりになっている君主厨・英雄史観厨ばかりじゃねぇかよ。 基本的に5ちゃんの中国語りは「ソースは漫画」
だからテキトーに流すのが良いよ そこのブチギレ明くんが好きな明を貶す気はないし宋マンセーでもないが宋は実際凄かった
そもそも宋産業革命論はニーダムとか西洋側から出てきた疑問でこれは宋の年間製鉄量が産業革命期のイギリスに匹敵する化け物みたいな量だったから
それを支える石炭の大量使用によるエネルギー革命もあった。加えて世界初の紙幣経済の成立、公務員制度と教育システム、印刷技術、高度な数学天文学など
産業革命に必要な要素が揃ってたのに何故駄目だったのかと議論になってきた話。まあその理由はどうあれ宋は時代バグるレベルに先進的だった >>174
まず、俺は「中国史通」を自称していない
俺は皇帝どうこうなんて書いてないから、
そのレスは別の者に向けてだとは思うのだけど一応
経済面の話は具体性がないからどうもな
その説明は特徴の話にはなっているが
発達度のピーク(>>141)に対する解説にはなってなくね
それと文化面については否定してない
例えばドイツなんかも、第一次大戦敗戦後こそ
学術や文化の最盛期と見なされることが多いしな
戦争や経済事情と必ずしもリンクはしないのかなと >>12
元は極めて重い人頭税を課していたから戸籍逃れが増えた可能性はある >>145
明の時代は航海術も西洋を圧倒していたし製鉄産業も全欧州の規模を超えていた
中国が後退していくのは技術を敵視して抑圧した清朝の支配によるものだよ イラン北部から来た遊牧・狩猟民族の殷は、紀元前1600年頃に淮河流域から現在の山東省あたりの大平原を平定した
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336073075/
111頁 5代10国なんか戦国時代が平和に思えるほど凄惨を極めた時代なのに3200万人もいたのか 5代10国はあっちこっちで同時多発に戦争があって都市が落ちると支配者と兵士20万人が生き埋めにされ市民も2~30万人は殺されて都市は焼かれる
それが普通の事の時代だから凄惨を極めてると思うわ
よくケンモメンは日本の戦国は戦闘狂と書いてるけど中国には全然敵わんよ
軽く2桁違う戦争をやってるから >>179
新大陸
これで西欧の覇権が確定したようなもんや
明代にはまだまだ西欧より明のほうが強大やったとしても
西欧に抜かれるのはもう時間の問題 南宋がすごいな
領域半分でこれだと、途中までは
モンゴル相手に持ちこたえた国力もわかる
占領されたあとは落ち込んだんだなぁ、
と思ったけど明へつながったところはあるよな >>20
今中国で使われてる「簡体字」は
元々速記とかに使われる略字がけっこう元になってるから
使用頻度高くて画数多くて書くのがめんどくさくて
使われる時に前後の文字からだいたい
取り違えずに意味が取れるような字は大胆に省略されてる感じ あの広い大地に1億人いないとか、資源にゆとりあり過ぎだな。
大変な生活だったろうけど、ちょっと憧れる。 まぁよく日本の里山がー
とか言うけど(いやw原発事故以降は日本のウヨさんは言わなくなったがw)
中国の南方の自然とかマジで信じられないほど豊かだしな。
巨大河川流域での安定した農地形成も規模が違う
狭くて貧しい土地を奪い合って、寒い場所でも無理やり稲作やって
激流河川の治水に死にそうになってた日本とは大違い
まぁそいうのが19世紀20世紀の近代化では日本が有利に働いたけどな。
21世紀は巨大市場の時代から中国有利だけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています