太宰治「上級国民です。ヤリチンです。金借りても返しません」こいつの文学に弱男のわいらが感動する理由 [389326466]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
太宰治の弟子として知られる作家の田中英光(1913~49年)が、戦後間もない時期に友人に宛てた未公開のハガキや書簡が見つかった。「太宰さんと俺の間は先生と弟子ではない。あのひとの天才主義にもう我慢できない」と意外な胸中を明かす一方、太宰の死後には「太宰さん死去。いまは云(い)いたくなし」などと記し、その本音の一端がうかがえる。8月1日から東京都三鷹市の三鷹市美術ギャラリー太宰治展示室で初公開される。
https://mainichi.jp/articles/20230730/k00/00m/040/127000c ああ、なんか変だと思ったらNGだいぶ効いてるのか
いつものあいつだろ?教科書程度のレスに最後かならず草生やして
隙あらば小林秀雄と正宗白鳥を出してる奴
>>213
清張のことなら清張を芥川賞に推したのは安吾だ 安吾には「百万人の文学」と「不良少年とキリスト」という太宰論がある 安吾も戦中に明治以前を読み込んだ
ただしキリシタン殉教など時局との妥協とは独立した関心もあった >>198
まー今で言う大学の教養課程に相当するというよね旧制高校はw
>>213
まあすべての小卒が松本清張になれるわけではないからねw 俺のことNGにしてるのをわざわざアピールしてるやつがいるねw ちなみに小林秀雄は「レイテ戦記」のことは認めなかったと言うよねw 弱者男性の苦悩って本来なら文学に昇華すべきものなんだろうな
生きてる間に理解はされないかもしれないが
そもそもなんで童貞の文筆家ってあまりいなかったんだ?
宮沢賢治くらいしか知らん 作家ってクズが多くないか
野口英世も女遊びしまくりだったんだろ 文学は女を知ることであると小林秀雄は言ってたしw つまり女を知らない童貞は文学を基本的にやれないよねw >>222
殆どの弱男って内側も貧弱だからじゃない?
この場合の弱男は、ただモテない男性という話しゃないけど >>222
殆どの弱男って内側も貧弱だからじゃない?
この場合の弱男は、ただモテない男性という話しゃないけど >>226
内側が貧弱だからこその苦悩もあるだろうけどな
それを語る言葉を持たないってことか
弱者男性は現代のサバルタンなんだね 文芸評論家の意見じゃ無くて自分が読んでどう感じたのか書けよ >>200
旧制成城ってそれ7年制高校っていう特殊なとこ
旧制中学+旧制高校という「チート」って言ったら言葉悪いけどそういうとこ
成城、武蔵、成蹊、学習院がこの7年制中学・高校ってとこ
つまり「高校を実は出てる」 旧制成城から直接大学に行かないって事は
大学予科ってとこに行きたかったって推測する
元から旧制大学の受験資格はあるんだけどもっと格の高い
なんて言うのかな?旧帝国大学って言うとこに行きたかったのかな?
そんな気がする。 別れた最初の奥さんの方が…フランス文学を地で行くような
激しい一生を送った
彼女に比べたら太宰なんて人として全く下らない奴だった >>223
働かない言い訳に文学使うんよ
あるいは文学くらいしかできることない
その結果社会と折り合いつかんくなるから自殺する >>235
え?当時の大卒っておまけに教員免許ついてきたのよ?
何も出来ないわけがない
※師範学校卒でも取れる初等教員と同等という屈辱を味わうことになるが
学芸員や司書になる手もある >>236
秦郁彦が、昭和恐慌時には東京帝大法科卒でも26%しか就職できず、市役所に勤めたり中学の先生になったり、知識階級向けの失業対策事業で食いつなぐ者もいた、と書いてる
失対事業って言うのは、作業がある生活保護らしい 彼らは、一人のこらず疲れきっていた。…この「疲れ」は、一般人のそれとは、もとよりちがっている。社会人として生活して行くための努力のあとの疲れなら、生きて行くための必要条件であり、むしろ好ましい場合もあるだろうが、そうではなくて、社会人として生活して行くためには全く不必要な、全く無意味な疲れが彼らにとりついているのである。
そして何より恐ろしいことは、おなじ疲れにとりつかれているくせに、彼らはおたがいに、その異常な疲れを背負わされた同類を、その「疲れ」の所有者であることによって、ひどくきらっている、普通人よりもはげしく嫌悪していることであった。
(武田泰淳「富士」) 大岡昇平「野火」のつぎは武田泰淳「富士」へ
「弱男のわいら」的なくだりが来たので引用した
事前知識ほぼないが舞台が戦時中に就きこれも戦争文学となるのだろうか
安吾が太宰の死に文章を寄せたように
泰淳は三島の死に文章を寄せている
岩波文庫の「滅亡について」に所収で
これと「司馬遷」は読んでいる
どちらも、特に後者は絶対の、お薦め
「司馬遷」も太宰、安吾同様、戦中の過去への遡行に拠る作だが
ふたりと決定的に違いかつ大岡と共通するのは作家自身従軍していること
この4名のうち
「派」ならぬほんとうの「無頼」は誰であり誰でなかろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています