太宰治「上級国民です。ヤリチンです。金借りても返しません」こいつの文学に弱男のわいらが感動する理由 [389326466]
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太宰治の弟子として知られる作家の田中英光(1913~49年)が、戦後間もない時期に友人に宛てた未公開のハガキや書簡が見つかった。「太宰さんと俺の間は先生と弟子ではない。あのひとの天才主義にもう我慢できない」と意外な胸中を明かす一方、太宰の死後には「太宰さん死去。いまは云(い)いたくなし」などと記し、その本音の一端がうかがえる。8月1日から東京都三鷹市の三鷹市美術ギャラリー太宰治展示室で初公開される。
https://mainichi.jp/articles/20230730/k00/00m/040/127000c >>236
秦郁彦が、昭和恐慌時には東京帝大法科卒でも26%しか就職できず、市役所に勤めたり中学の先生になったり、知識階級向けの失業対策事業で食いつなぐ者もいた、と書いてる
失対事業って言うのは、作業がある生活保護らしい 彼らは、一人のこらず疲れきっていた。…この「疲れ」は、一般人のそれとは、もとよりちがっている。社会人として生活して行くための努力のあとの疲れなら、生きて行くための必要条件であり、むしろ好ましい場合もあるだろうが、そうではなくて、社会人として生活して行くためには全く不必要な、全く無意味な疲れが彼らにとりついているのである。
そして何より恐ろしいことは、おなじ疲れにとりつかれているくせに、彼らはおたがいに、その異常な疲れを背負わされた同類を、その「疲れ」の所有者であることによって、ひどくきらっている、普通人よりもはげしく嫌悪していることであった。
(武田泰淳「富士」) 大岡昇平「野火」のつぎは武田泰淳「富士」へ
「弱男のわいら」的なくだりが来たので引用した
事前知識ほぼないが舞台が戦時中に就きこれも戦争文学となるのだろうか
安吾が太宰の死に文章を寄せたように
泰淳は三島の死に文章を寄せている
岩波文庫の「滅亡について」に所収で
これと「司馬遷」は読んでいる
どちらも、特に後者は絶対の、お薦め
「司馬遷」も太宰、安吾同様、戦中の過去への遡行に拠る作だが
ふたりと決定的に違いかつ大岡と共通するのは作家自身従軍していること
この4名のうち
「派」ならぬほんとうの「無頼」は誰であり誰でなかろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています