太宰治「上級国民です。ヤリチンです。金借りても返しません」こいつの文学に弱男のわいらが感動する理由 [389326466]
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太宰治の弟子として知られる作家の田中英光(1913~49年)が、戦後間もない時期に友人に宛てた未公開のハガキや書簡が見つかった。「太宰さんと俺の間は先生と弟子ではない。あのひとの天才主義にもう我慢できない」と意外な胸中を明かす一方、太宰の死後には「太宰さん死去。いまは云(い)いたくなし」などと記し、その本音の一端がうかがえる。8月1日から東京都三鷹市の三鷹市美術ギャラリー太宰治展示室で初公開される。
https://mainichi.jp/articles/20230730/k00/00m/040/127000c 現代人じゃなくてよかったタイプだな
生活能力がある勝ち組だから中々鬱認定されないし心中するくせに自分はヘタれるから即犯罪者だし
発信能力がありゃ集団自殺カルト教祖やガソリン撒き犯になっててもおかしくない 文章と文学の違いって何かと言ったら
言ってしまえば学者が書いた文章が文学で、学識のないバカの書いたのが文章って分類でいいんだよ
そう考えればジャップの『文学』なんてのは、ただの感想文・日記・文章だとわかる
学識がない作家は文章です
文学を持ってこいって話 種付けおじさんでもないし
ヤリチンクズ男でもないのに
抜いてるだろ
それと一緒 太宰の小説で感動したことは無い
ケンモイズムを感じるのは芥川龍之介の方な
短編の芋粥読んですごい気持ち分かるってなったの思い出す 津軽、富嶽百景、佐渡
太宰治の小説は他者や情景を描く場合は作風が明るいので
旅エッセイおじさんとして生き残ったらなあと思った 基本自虐はネタだが、そんなもんで喜ぶ読者に愛想つかし、さらに売文かセックスしかない自意識と世界に絶望しとる
しょーもないクズ >>90
文学って大したことのない事を細かく情緒的に表現することだから 最初はプロレタリア文学とか書いてたんだな
どっかで読めないかな。初期の作品 中身も空っぽで手に職付けている訳でもないのに
見た目が良いとコネだけという最大級のバフで生き長らえるという話で
何故かブサイク女とブサイク男が感情移入するのが笑えるんだ
いや、中身空っぽなのは共通してるけど見た目が良くてコネがあるというバフはお前らないだろと クズ自覚してるだけマシやろ
上級のくせに不幸ぶってるのは志賀直哉のほうが酷い >>95
それがまさにジャップ的態度なんだよ
情緒を細かく表現しようと思ったら心理学など必要だし
20世紀最大の発見で言うならフロイトの無意識の活動もある
そういったアカデミズム教養を無視し続ける態度こそまさにジャップなんですよ
絵画で言うならフロイトはシュルレアリスムなども生み出してるし、ほんと勉強してほしい
文学を舐めないで 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書
安倍晋三『約束の日』 百田尚樹『永遠のゼロ』 KAZUYA CHANNEL 『日本一わかりやすい保守の本 』
桜井誠『大嫌韓時代』『日本第一党宣言』 小名木善行『後世へ語り継ぎたい 美しく猛き昭和の軍人たち』
高市早苗『美しく、強く、成長する国へ。―私の「日本経済強靱化計画」』 竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』
韓鶴子『人類の涙をぬぐう平和の母』 山下晋司『天皇陛下 100の言葉』 石原慎太郎『太陽の季節』
水島総『日本は憲法で滅ぶ 中国が攻めてくる!』 西尾幹二『日本の希望』 西部邁『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』
金美齢『日本ほど格差のない国はありません!』 小林よしのり『ゴーマニズム宣言』
ジェイソン・モーガン『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』 田母神俊雄『愛国者』
伊藤賀一『「日本が世界一」のランキング事典 』 ケビン・M・ドーク『日本人が気付かない 世界一素晴らしい国・日本 』 シュルレアリスムはブルトンじゃないの?
自動筆記ができないんだし絵は作為入るでしょ。結局金の卵を産むニワトリの肯定じゃん。類推の山は好きだけど。 >>104
ほんと金持ちのヤリちんが好き勝手自堕落に生きて結局実家でニートだろ?
そんで弱者ポジで自己憐憫とか笑わせるわ 三島由紀夫が太宰にあなたの文学大嫌いです!と言ったのは有名だよねw 例の頬杖写真が奇跡的なだけで
他の写真見ると美男子でもないよな 歯ボロボロだったみたいだしな
顔でモテてたわけじゃないんだろ >>107
谷口 雅春『生命の實相』も宗教右派としては必読書だろ 時間が経てばアホな国民は忘れるので
何十年も経ってりゃ楽勝 戦前の作家って基本上級国民だろ
それもガチンコの高等遊民
一生遊んで暮らせるカネ持ちの倅が暇つぶしに書いた代物
庶民出の小林多喜二は拷問死
それが戦前 川端の方が好きだわ公園にあった8歳女児の裸像を持って帰ろうとしてたし とりあえず殺人事件がおきてその謎を解くか幽霊のひとつも出てくださいよ
そうじゃないと読むモチベーションが 他人のことを考えるエネルギーや時間を自分に向けるのが芸術家
だからクリエイターはクズばかり まともな人間から出るものは当たり前すぎるから感動することなんてない
感動するものとは、変な人間から出るものだ 小林多喜二に感動しないのと一緒
日本人はアホ
アメリカ人の方がよっぽど労働文学とか人種差別問題に真摯
でも日本は「私小説」から近代文学が始まった頭のねじが飛んでる人種何で(社会的問題から目を背ける) >川端の方が好きだわ公園にあった8歳女児の裸像を持って帰ろうとしてたし
日本人ってやっぱロリなのかなぁ 貧乏暇なし、本当に困ってる人は表現者になれなかったんじゃないの
金持ちの落ちこぼれモラトリアム人間が無駄にある教養を発揮してたまたまそっちで才能があったみたいな
ってことはそっちの才能もなかった人もたくさんいたんだろうな
競争相手も少ない時代なのにw お前ら羨ましいからだろう
やりたいのにできないから
バカが >>119
> 作家・織田作之助を追って銀座のバー「ルパン」を訪れた林は、織田と同席していた太宰に「俺も撮れよ」と声をかけられます。1個だけ残っていたフラッシュバルブを使い、ワイドレンズがなく引きもない場所だったので、便所のドアをあけ便器にまたがりながら撮影したというこの作品は、太宰治を象徴する一枚となりました。しかしこの写真、実はトリミングされたものだということはあまり知られていません。雑誌掲載時に切り取られた、坂口安吾の背中が写っているプリントは、日本初公開となります。 文学なんてラノベと同じだよ
「小説の面白さ」で自ら女子供が読むものだと言ってるし
まぁ娯楽なんて大抵そんなもんだと思うけど >>119
銀座ルパンと金沢のローレンスは席が名物だよね。 身長も平均160cmくらいの時代に175cmだしな >>137
それは大嘘
活版印刷が出た後の小説はラテン語という教会勢力使用言語の打破と国民文学という「国民教育」のための道具だった
何のために国語教育ってあると思ってるんだ?
バカすぎない?
ちなみに日本も同じで寺社勢力の力を無くすために読本文学が流行したんだぞ
なぜか明治以降の国語教育は江戸時代の読本文学に触れないが(特に里見八犬伝) >>1
アフイカスがやってるAIくさい短い1行単発コメントばっかりだな
投稿の頻度もおかしい >>1
アフイカスがやってるAIくさい短い1行単発コメントばっかりだな
投稿の頻度もおかしい >>1
アフイカスがやってるAIくさい短い1行単発コメントばっかりだな
投稿の頻度もおかしい 日本の私小説になんでイギリスやフランスの小説みたいな社会性がなかったのか、これは昔はずいぶん論争の対象になって、小林秀雄も「私小説論」書いたりしたよねw >>140
別に軽んじてるわけではないけど
ラノベも国語教育になるし教養や娯楽なんてそんなもんでしょ 感動する要素あったっけ?
代表作たいてい甘ったれが舐めたこと抜かしてるだけやん まあもともと小説という表現形式自体がブルジョワ社会と密接に繋がって発展してきたというのは、色々な批評家が指摘してるよねw >>146
その甘さがリアルなんだよ
(´・∀・`) >>90
人の心が掴めるなら文章でも構わない
(´・∀・`) 衝撃受けたのは「トカトントン」
あれも理解出来る人間は限られるだろうな
選民意識を振りかざすわけじゃないけど
私見では太宰本人でさえテーマが重すぎて最後は筆を投げた印象
(´・∀・`) >>140
初耳だ
そうだったのか
(´・∀・`) お前らの言うジャップには書けない理解できない海外の文学作品って例えば何? 太宰で好きなのはろまん燈籠だわ
ラノベ好きの俺がスイスイ読めた 純文学とかみんなそうでしょ
上級家庭で同じ進学校行っててみんな知り合い
セックスに対する情熱を文章にして
売れたら温泉地で療養セックス執筆そして自殺 >>153
『菊と刀』などはジャップの姑息で息苦しい生態を
明らかにしている名著だと思うけど。文学ではないけど。 感動というより綺麗な文章に感心するみたいな感じ
それと文学なんて風景描写と雑談で成り立ってるものだし哲学的要素というよりオチとか漫談に近い この頃は売れる小説家なろう思ったら東大入ってなきゃいけないからな まあ志賀直哉などが属していた白樺派は、本当の上級の子供の集まりだったよねw
他の私小説家がみんな上級出身かというとそんなことはないよねw 島崎藤村とか葛西善三とかw >>156
あれは確かに日本人には書けないだろうけど、他の国でも自国の事をあそこまで客観的に書くのは無理じゃねえか?
姑息は草。機会主義だっけか、傷痍軍人のエピソードは胸糞悪かったな >>153
宗教が背景にある作品は難しいんじゃない
有名どころだとジッドの『狭き門』とか
(´・∀・`) >>148
はあ?
自分の狭量な価値観と狭い世間をリアルとかラッパーみたいなこと言ってて草 >>131
今のアメリカが主張してる多様性、多文化共生は、実のところは日本はじめアジア女性に白人男の混血児を産ませて民族浄化するためのスキームだろ
ナチスドイツは、国内のユダヤ人を大量死させたり東欧を併合しようとしたけど、異民族に対する民族浄化まではやらなかった
アメリカ民主党はナチスより悪いと思ってる
その差別文学とかいうのだって、支配人種として悩んでるフリをするためのものだろ
> アメリカ人の方がよっぽど労働文学とか人種差別問題に真摯 >>161
狭き門は読んだ事ないからわからんけど、キリスト教が背景にある作品は難しいとは思うけどクリスチャンの日本人ならいけるんじゃね?
それはフランス人の多くが仏教を背景にした作品が理解できないのと同じだよね 内容というより文章が上手くてそこにしか集中出来ないw
そのせいかあっさりしてる印象なんだよな >>166
パスカルまで出してくる歴史的文脈はなかなかクリスチャンと言えど日本人はどうかと
まあ概要は恋愛小説だけどな(´・∀・`) 凄いけどちょくちょく現れるアンチは一体なんなんだ
文豪なんて上級しかなれんしな
今でさえ大卒ばっかだし中卒のベストセラー作家とかいるのかな 「狭き門」ジイドか。小林秀雄も若い頃はジイドが好きで、「私小説論」にもジイドの「贋金づくり」の分析が出てきたよねw 正宗白鳥は、日本の私小説の特徴は上級ではない凡庸人の艱難苦悶を直写したことにあると述べていたねw 嫌儲文学も金もなければ才能もない凡人の苦難を描いているわけで、日本の私小説の伝統を引いているねw 西村賢太とその師匠の私小説家も別に上級の出ではなかったわけで、やはり日本の私小説的伝統が生み出した存在であったよねw >>146
無い
というかちょうど文明開化の時に写真ブームだったこともあって
堅苦しい自然主義文学が「文学」だと思い込んでしまった
それが日本の文学のすべての元凶
本当は芥川なんて『きりしとほろ上人伝』のようなライトノベルも書いてたのに
宮部みゆき(高卒)
加納朋子(短大卒)
花村萬月(中卒)
町田康(高卒)
川上未映子(高卒)
赤川次郎(高卒)
西村京太郎(高卒)
真保裕一(高卒)
佐々木譲(高卒)
このへんが非大卒だぞ 太宰治は金があったし才能もあったわけで、やはり普通の私小説家の枠には収まらなかったよねw 最後には自殺しちゃったが、太宰の自殺には金銭問題も関係あるのであろうか? そもそも戦後の日本文学はすべて私小説の否定からはじまってるわけであったねw >>144
本当は戦後文学というのは戦災孤児の回想や戦争文学(特に反戦文学)、貧困問題という「社会性」のある文学だらけだったが
1970年代に消えてしまって
1980年代になると空っぽになって(金満文化)
1990年代後半になると金すら無くなって薄いエンタメにまで落ちた
TVと一緒でまじめを失うとエンタメもダメになるように出来てる 終戦直後〜50年代:大人の文化
1960年代〜70年代前半:大学生の文化
1980年代:高校生の文化
1990年代〜2010年:中学生の文化
2011年以降:小学生の文化
なお、これは「漫画」でもそうらしいよ
子供向けに漫画を描いてても目線は「大人」や「大学生」だった。それがどんどん幼稚化した
2020年以降は幼稚園児並みになるのではとも言われている
幼児●レイって奴だな >>181
そういうのなら戦前からプロレタリア文学とかあったやんw 戦後も新日本文学とかあったしw
小林秀雄などはプロレタリア文学に否定的で、後世に残るような傑作はほとんどないと言ってたねw まあ「蟹工船」は後世に残りそうだがw
戦災孤児の小説といえば、いちばん有名なのは野坂昭如の「火垂の墓」だろうw 野坂昭如は焼跡闇市派を自称してたわけで、社会派ではなかったねw 戦後における社会派の泰斗といえば、やはり松本清張だろうw プロ文出身の作家だけど、中野重治は小林秀雄も評価してたねw 松本清張はほんとに日本の社会を描いた小説を書いたと云うので、読者から広く支持されベストセラーにもなったが、純文学の文壇からは、激しく否定されてたねw
松本清張はその原因を、自分が小卒で学歴がないからだと考えていたわけであるねw でもまあ松本清張も小卒で長い間日本の底辺で生きてきた実体験があったからこそ、日本の社会のリアリティを描けたわけであるねw >>133
川端は男もイケたからストライクゾーンが広いだけ説 最下級の最底辺の大貧民で部落部落言ってるような話や歌なんて、
大多数の一般人は主食にしないんだよ。
なぜかって自分達はそこまでではなかったから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています