三国志演義の劉備の益州攻めの理由って、いくらなんでも無理くりすぎだよな [387413547]
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どんだけ善人として描きたいねん
劉備の入蜀(りゅうびのにゅうしょく)は、後漢時代の212年から214年にかけて行なわれた益州牧の劉璋と荊州牧の劉備の戦いである。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%82%99%E3%81%AE%E5%85%A5%E8%9C%80 より善なるものに統治されるべき的な話はアメリカのアフガンしかりロシアのウクライナしかりありふれた大義名分 龐統に「これからひとの国奪うのに何浮かれてんだよ慎めや」ってたしなめられてたはずだよ、たしか 龐統が命を捧げて作った機会だから仕方ない。劉備も攻めたくは無かったが龐統がのことを思えば 戦乱の世の中で専守防衛で国を守ってたら客人に国を乗っ取られて、国の全てが対魏侵攻兵器に作り変えられ、国中が塗炭の苦しみを味わさせられる
地獄やねえ >>31
呉は元々益州攻めも考えてたけど劉備が益州取ったら荊州返してくれるという話だったので様子見
結局騙されたが >>31
その時は呉とは仲悪くなかったけど魏は呉とのいざこざで手出しできなかったのかね てか劉焉劉璋もよそもんでしょ
取って代わること自体はなんも問題ない >>31
赤壁が208年でその後も小競り合いは色々あったし
馬超・韓遂が暴れたりしたのもあったから、そこまでボーっとしてたわけでも無い
呉は周瑜が病死して指揮系が混乱したのも大きい >>31
本当は周瑜が益州を攻める予定だったけど出陣中に急死して急遽中止に
親劉備派の魯粛が宰相になって荊州を貸し出して劉備に攻めさせることになった
曹操は漢中の張魯相手に苦戦していて益州に介入できなかった でも演義はこの辺りが一番おもろい
へっぽこ劉備軍団のピークの輝きやろ ,,. '' "  ̄ '' ., }
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l /´γ / ヽ だ 黄
l / / / ノ ま 権
i- ─ - / / / < ら
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/ ヘ '´ ` . ! \ ほんと三国志はみみっちぃ話だな
いつまでも州の一つでグチグチグチグチとアホかよ
世界観が狭過ぎるわ 龐統がアンラッキーで死んだのがマジ痛い
これで諸葛亮が益州に縛られたからプライド激高で
孫権舐めまくりで危ない関羽を諫める奴がいなくなった 劉性ってだけのホラ吹きが
宦官の孫と孫氏三代っていう生まれも地位も異なる奴らに一時は肩並べたんだからそりゃ劉邦っぽく描きたくなるよ >>40
当時の益州は劉璋が五斗米道とも外戚とも対立して内乱状態
劉焉について益州に来た人々が劉備を選んで首をすげ替えただけの話 一番面白かったのは周瑜と孔明のやり取りだな。3日で10万本は笑ったわ >>48
あれはアンラッキーでもなんでもない
劉備が事故に見せかけて殺したんだからな
あいつは呉のスパイで生かしとくと後々面倒なことになるのがわかってたから >>31
魏対呉の第1次濡須口の戦いというのが裏で進行中
呉が劉備に援軍を求めたが兵力を劉璋出し渋った
出し渋ったというのも蜀国民に劉璋無能アピールとして利用した >>48
そのころ諸葛亮は関羽に意見できるような立場じゃないよ
殺されかねない てか劉備って別に善人ではないからな
呂布が命乞いした時も「曹公さ、丁原董卓のこと忘れちゃったぁ?」って、暗にはよ殺せと煽ってたしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています