三国志演義の劉備の益州攻めの理由って、いくらなんでも無理くりすぎだよな [387413547]
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どんだけ善人として描きたいねん
劉備の入蜀(りゅうびのにゅうしょく)は、後漢時代の212年から214年にかけて行なわれた益州牧の劉璋と荊州牧の劉備の戦いである。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%82%99%E3%81%AE%E5%85%A5%E8%9C%80 劉章てそんな暗愚な君主だったのか?
命がけで劉備の入蜀止める部下見ると結構良い君主だったんじゃないかと思っちゃうわ 無理でもなんでも、文人が理屈をいくらでも作ってくれる
中国の昔からの伝統なのだ >>62
劉章は国が荒れてて家臣から進言されてるのになにもしなかった点で
わりと真面目に劉禅とどっちがましかという評価をつけざるを得ない
まだ戦えるという意見を退け「自分は無能な君主だった」と降伏する場面を見るに
悪人というわけではないのだろうが >>62
っていうか完全に政治と派閥争いだなと思うよ
どうしても武将中心に歴史は語られるがそれぞれ支援する名士がいるわけで
乱世でどうやったら自分の地位を守れるか国を守れるかみたいな中で劉備陣営と益州陣営の政治だな
劉備も劉備で荊州で得た名士や武官文官兵士をなぁなぁにできずにでかくなった組織を養わなきゃならないから漢室復興とかと同じくらい安定と領土固めたかったわけだし 劉循が劉備の部下になったのが1番情ないだろ
張任見習って 劉備自身が高名で熱心な儒者だったから
後世の儒者にアクロバット擁護してもらえたのも大きい 統曰:「伐人之國而以為歡,非仁者之兵也。」先主醉,怒曰:「武王伐紂,前歌後舞,非仁者邪?卿言不當,宜速起出!」
ついつい本心の喜びが出ちゃった劉備を諌める龐統、それに対して逆ギレする先主さまの一コマ >>72
名君ってことはないが、劉備みたいな本当に王室の人間?って胡散臭い奴じゃなくて
血統がしっかりしてるから、ついてくるひと多かったんじゃないかな >>31
呉は最初は周瑜に益州を取らせるつもりだったが死んでしまったので代わりに劉備を起用して取らせた
その後、劉備が呉の支配から逃れて正式に独立した流れ
孫権としては周瑜も劉備も支配下の軍閥で本質的には何ら変わらない 天朝に逆らう逆賊劉焉劉璋を前徐州牧荊州牧左将軍皇叔劉備が膺懲するだけなんだが >>72
漢朝がボロボロだから割と早いうちから地方で実質的な独立王国築こうとしてた 魏呉蜀で三国って言われてるけど国力だと平原を制した魏6割
荊州を含めた呉3割で益州しか持ってない蜀1割ぐらいだったんだよな
何が漢朝復興だとw 三国時代はやから(武将)でなくて名士が時代を動かしてた >>1
他人の国乗っ取った訳だしな
その後、大義名分の為に
もう荊州無いのに無理くり漢王朝をトリモロス!で無謀な戦争してた辺り
明治維新で日本を乗っ取った大日本帝国と被るよな
こういう事すると
嘘に嘘を重ねる為に最期は崩壊するんだよな >>76
→呉が代わりに劉備を起用して取らせた
これだと思うわ
龐統は軍師ではなく呉の御目付役で
呉の為に色々献策していたのに
蜀を取れるのが確実になった時点で劉備に暗殺されたって説は割りと有りだと思っているわ これで劉備についた義援は最後まで裏切り者扱いだしな黄忠はいいキャラにしたのに >>58
裏切り癖のある猛将なんか危なくて使えない 劉備をメチャクチャ腹黒い悪い奴な主人公として描いた話って、何かある? >>89
陳舜臣の秘本三国志の劉備は曹操の二重スパイとして他国に亡命しては引っ掻き回して滅亡に追い込んでた
後に曹操に切り捨てられそうになったところで孔明に出会って独立した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています