【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO https://www.mot-art-museum.jp/ VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured 意味は説明に書いてあるんじゃないの? というかむしろ説明だけ読めば良いと思う そっちが本体なんだから >>209 美術館にある「歴史的作品」ならともかく、 いま、という意味での「現代美術」には解説なんてだいたいついてないよ >>212 作者に意図を語らせてそれ聞けばいいんじゃね むしろ現代アートは 万人向けでわかりやすいんじゃないか 全て言語に置き換えられるわけだから 説明読めば門外漢でも「分かる」 >>212 じゃあゴミじゃん マジでなんの価値もねえわ そんなもんのために公立の美術館のスペースが占有されてるとか許せないわ 全部粗大ゴミで処分してくれ お前らがイメージしてるのはあれだろ? 現代美術じゃなくて、1910-1970年代までの「アヴァンギャルド芸術」じゃないのか? 解説だのコンセプトだのが必要なのもそれだよ 現代美術について、このスレ語ってる内容が大幅にずれてるとしか >>214 全て言語で置き換えられるということは 語り得ないものの表現ではないってことだしな その辺が物足りないんだよな >>215 根本的に、「公立美術館」にあるものを現代美術と見るのがまず間違いだから 公立美術館の「××展」はだいたい歴史的価値が定まった歴史遺産だよ そっちはほぼ歴史書と同じだ。解説読めばいいだろう ぱっと見何なのか何訴えてるのかわからん形の絵や彫刻はやっぱりわからん 抽象してるのはほんと作者の解説をつけろ >>216 俺がイメージしてるのは 20年ぐらい前にテレビで見た トゲトゲスパイクの球を天使のガワが覆ってる作品だな 作者がこれは現代人を表現していて~とか説明してるの聞いて なんかこんなもんかと正直思っちゃったんだよな >>218 よくわかんねーからpixivのエロ絵でオナニーして寝るわ 現代美術とか近代美術だの美術屋の言葉遊びに鼻くそほどの価値もねえわ よっぽどエロ画像のが高尚だね >>208 単にルサンチマンじゃんそれ 自分の理解できないものは憎いっていうw アートの価値を客観的に示して 他者にそれを証明しないといけない(金にならない)から、わざわざ説明文書いて 体系の中に位置づけて見せて初めて なるほど、たしかに この商品は2000円だなと 金額に納得してもらえる >>202 特定の人物持ち出して自説を補強するのが権威主義じゃなかったら何なの?w >>86 87億円の価値をつけた人がいるのはわかる だからどうしたの? >>219 理屈で好き嫌いキメるとか非人間的だろ ゴーヤも若い頃は体に良いと理屈で分かってても嫌いだし でも年取ったら何故か体が求めるのか 不覚にも美味しいとか思うようになったりすんだよな 好き嫌い、まあ心に引っかかるかどうかなんて理屈じゃないのよな 自分の評価がそこまで大事なら 市場価格なんて無視すればいいのに 無視できないのはやはり他人の評価が気になるからなんだろうなw >>223 他の人も言ってるように 説明聞いて理解できるものがあんま好きじゃないんだよな 好きなのは考えても説明聞いてもなお理解出来ないやつ >>225 岡本太郎の言ってる事も一意見に過ぎないって立場だよ そんなことより版画の抽選に外れまくるわ あれも当選者決まってんのかな(´・ω・`) >>229 自分にとってそうだと言うだけだよ 別にみんなゴーヤ食えって言ってるわけじゃない >>221 たとえば「現代の音楽」とひとことで言ってもジャンルは幅広い それと同じで、「現代美術」も幅は広いよ >>222 そら単に君の好みってだけの話じゃね いわゆるハイアートと商業芸術は価値のあり方が異なる ハイアートは一点限りの価値。商業芸術は大量生産の価値 商業芸術の価値は、どれだけ(安価に)大量に出回るか、どれだけ売れるかに価値があるので、 むしろ市場的権威というか、「みんながそう言ってるから」に寄ってるのは商業芸術の方なんだね 「みんながそう言ってるから」で価値が決まってるのは むしろ漫画やアニメやエロ絵のほうなんだあね 対して、美術作品の価値は、美術史における位置づけによって決まる 簡潔に言えば、骨董品と同じ遺産価値 織田信長が人に好かれようと嫌われようと、安土城跡には遺産価値がある、ってのと同じで、 世の好き嫌いの問題とも、違うんよ オナニーもある意味メッチャ人間的行為で 例えば良くない表現だが 現実でレイポ出来ない抑圧を オナニーとか言う疑似体験つまり遊びで開放してるんだよな 開放するってのは人間として生きうるあらゆる可能性のうち 未体験の経験をするって事で 別に鳥が飛ぶように魚が泳ぐように 人間も生まれ持った可能性の一端をオナニー(に限らず遊びは全てそうだが)で 疑似体験しとるんよな つか一口にオナニーと言っても レイポモノに限らずオナネタは数限りなくあるわけで その様々なシチュを想像して楽しむ能力は極めて人間的だと思うw だからある意味エロ絵もアートなんだよな オナネタと一口に言っても 抜ける絵ってのは創造性の産物だよやっぱ 作者と同等レベルの人には 別に説明文というか 言語要らない。色々共有出来てるから 見たら分かるしそっちのが精度が高い。 でもそれ以外の万人にその価値を 証明しようとすると 価値を翻訳する必要が出てくる なので説明文は必要悪だけど 説明文使って そうでもないモノをハイに見せようと し始めるとインチキに傾きすぎる >>240 イジワルな言い方をすれば 俺には分かるんだ!俺は高尚な人間なんだ! みたいな自尊心をくすぐるところが 現代美術の価値なのかもな 正論大好きなご時世に答えがないもしくは分かりづらい物ってだけでアートになっちゃうんだよ エロ絵のキモヲタ的なやつでも アヘ顔ダブルピース発明したり創造性が確かにあるしな あと四肢欠損とか理解しがたい表現もたくさんあって面白いと思う >>240 高等専門化する現代ではそれは仕方がないよ たとえばアインシュタインでも山中教授でもいいけどさ、 やってることは凄いんだけど、その論文を直で読める人間なんて少数でしょ または論文そのままを出版しても売れないでしょ だれかが実証検証して、解説して、応用して、たとえばGPSや網膜再生やの日常の生活に応用して はじめて社会や人々ははその価値が実感できるし享受できる これと同じで、現代美術も広く応用や解釈のもとに社会に広がっているんだけれど、 そのもともとの価値を解説するのは難しいよ ここらへんは自尊心やマウンティングって問題じゃない。専門化によって生まれてしまう現象だわさ ロダンの彫刻にマッス(量塊)とかいう考え方があるが そういうのと関係しとるのかな欠損趣味 確かに彫刻の上ではトルソーや ミロのヴィーナスだったりニケ像だったり 欠損、不完全故の美というものも俺らは見出すことが出来るが でもこれがエロ絵になると欠損に対して嫌悪感しかないのが面白いし 欠損エロ絵にチンポ勃つやつがいるのはもっと面白い >>244 つってもこのスレでも現代美術の面白さを具体的に力説するやつが皆無だからな だから本当かよと思っちゃう >>246 それを説明しようとすると、「マウンティングだ!」とか「説明頼り」とか言われちゃうわけよね 専門学には解説がいる、っつうだけの話なんだけど、 ここらへんは学者を信頼してもらうしかないんじゃね >>247 人間ってほんと面白いよ だって欠損エロ絵にチンポ勃つ奴がいるんだぜ それも一つのジャンルになるぐらいにはね これは自分が書いてる分からなさとは別物だケド 個人的には理屈的な理解の困難さばかりでなく こーいう意味での(感覚的な)分からなさに対しても できるだけオープンマインドでいたいと思う だって面白いから >>248 それはそれでいいいんじゃね そも、「欠損」は18世紀美術あたりでも繰り返されたテーマだしね もともと腕があったビーナス像の欠損を美とみなすのは この時代の廃墟趣味とか、そのあたりからだよ 逆の言い方すると、既にそれは早くから探求されてるテーマ そうした探求が先にあるから、興味を持つジャンルもある、 というかある程度確立されたジャンルとして現代にある、とも言える ついでに、欠損とエロスというか、衝動に組み合わせるのは、 現代美術のはしり、ダダイズムなんかでもしきりにやってる 一次大戦後の、欠損傷痍兵がわんさかいた時代に、 フロイトの精神学なんかとも結びついてった運動だからさ >>249 理屈を理解する面白さってのは 誰しも学生時代勉強で体験するものだしな だからそういうのを好む人がいるのは理解の範疇なんだよな でも欠損エロ絵を好む奴については理解の範疇の外っていうねw 上で書いたようにミロのヴィーナスみたいな美術性ともまた違った感覚なわけでほんと面白いと思う つか思うけどこの手のアブノーマル性って危険であると同時に才能なんだよな あくまでも遊び、疑似体験の上で ノーマルに対してその魅力を語りうるならば それはノーマルにとっての可能性の拡張になりうるんだよな >>233 見た後にバスキアについて調べたんでしょ >>253 俺だけがテキトーに言ってることじゃないよみたいな感じ >>254 調べてすらいないよw つか調べようとしたけどあんま情報なくて放置 理解できない人がわざわざ近づく必要もないし 理解できる人たちをけなす必要もないと思うよ 好き嫌いにも すみわけが大切 >>251 欠損エロっつうか、丸太女なんかは、ダダイズムの起こったエログロ時代の産物なのな SMが18世紀のマルキ・ド・サドから始まってるというか、彼が有名であるように 理解の範疇外、ではなくて、美術史、文化史的には既知の範疇だよ このように、もともとはむしろ認識を拡大する位置に現代美術や文化ってあるわけだけど それ説明しようとすると歴史解説になるので、それがややこしいって話だな アニメや小説を理解できない人もいるだろうし 理解できて大好きな人もいる >>261 哲学史の理解と哲学そのものの理解の違いみたいなもんだな 知りたいのはなんで欠損にチンポ勃つのかというその理由なんよね これは芸術に対する態度にも通じると思う 芸術史上の位置づけを理解することが 芸術を味わうこととイコールではないんじゃないかな >>259 そういうことではなく なにがどうしゃあないのか >>267 87億の絵を貼った奴がいるからしゃーない >>265 論文でも引用するでしょ だからといってみんな権威主義ってことにはならない >>271 ワッチョイもIDもない変なスレだからしゃーない ぶっちゃけ不便だわな ソナチネを観てなんで感動したのか分からないということは 自分でも把握し言語化出来ない無意識の領域の何かに刺さったということ 個人的にはこういう意味での分からなさが 芸術の価値だと思うね >>263 勿論イコールではない が、専門化について言った通り、それを味わえるのは最初は少数かもしれないよ マルキ・ド・サドは監獄にあわせて14年、精神病院に16年放り込まれてた それを再評価してもってきたのがダダイズムを継いだシュールレアリズムの連中で、 だからこそ今日、彼の名は文化史の一角を占めている 実感に直結するか、または社会に受容されるかは必ずしもイコールではないんよね >>275 聖書なんかそうだが 聖書が客観的に価値を持つかなんてどーでも良いんだよな 本当に聖書に良いことが書かれてると思ってる人にはね 結局は繰り返しになるが自分で味わうということが大事で それをしないなら本義から外れた それこそ権威主義になっちゃうと思うんだよね もちろん歴史的位置づけも大事だけど それは芸術の本義じゃないしね >>274 みたいな感じでその理由を探ろうとするならば すなわちそれは自己探求であって自己理解につながるんだよな これは自分の中の未知の領域の開拓であって そう言う意味で理解できるものとは本質的に異質なんだよな 理解出来るってことは未知じゃない部分に刺さっとるのよな 意味不明だから意味があるんだろな ゲームのデフォルメされたドット絵が色々な想像掻き立てるのと一緒で 意味がはっきりしてると受け手の解釈の余地がなくなる そういうアート >>276 逆でしょう どーも現代美術を権威化してると言いたいって感じがするんだけど、 実際にはSMの例を挙げたように、現代美術史は認識の拡大をしてきた歴史だよ 現代美術は、とくに「いま」の創作者はかなり実感なり直観なりを重視する主義だ だからこそ他人から見て「わからない」感じになってるのが現状なんだけどな それを説明するのが美術史、ないし文化史、なわけだけど、ううん そういう意味でバスキアも なんでこんなに心惹かれるのか自分でもわかんねーんだよな でも「だからこそ」自分にとってはメッチャ価値があるんよね >>279 上でも書いたが俺は現代美術全般を批判しているわけではなく >>221 みたいなのだからね 同様に君も具体的に何を養護しているのか書いてくれたらわかりやすいと思うわ >>221 みたいなのをこれってどうなの?って思うってこと >>281 上の>>221 に関しては実物見てないからわからんのだけど、 そもそも、感覚が違って、作者にとってはそれが実感かもしれないし、 なんとも言えん。なのでこの場合こそ説明が必要になるわけだけど マルキ・ド・サドなんかは誰かが説明し救済する必要がある例 もう一つ、説明過多として挙げられやすいのは「コンセプチュアルアート」だけど、 こちらはそもそも感覚的受容を目的としない。それをトリガーとした文字通りの謎解きだから、 この場合、解説はネタバレでしかなく不要なんよな >>221 がどちらに属しているものか、何とも言えないのであれなんだけども >>284 要は上で誰かが書いてた様な 情報が本体の作品ってことよな そもそもコンセプトアート? 謎解きが目的ならそれこそ謎々なり 物理学学んで宇宙の謎に挑む方がよっぽど価値があると思うけどね 単なる謎解きでしかないならばね それこそナゾナゾの本なんて千円ぐらいで買えるし 謎解きが本義のアートの価値なんて本来それぐらいじゃないかな コンセプトアートじゃなくてコンセプチュアルアートか >>210 そういうお前は権威化という言葉を権威化してるだけだろ >>287 別に権威化することが偉いとか言ってないからなw むしろ逆で権威化への否定だわな そもそも「考える芸術」という事自体が矛盾なの 考えるなら学問やればいいだけで、それでは捉えきれないものを表現するのが芸術でしょ つまり理屈を超えた感性を表現する能力のない連中が 芸術を似非学問化して深読みゲームに転換してごまかしてるだけのペテン 知能の低い人間にはついてこれないゲームになっちゃってるからね 馬鹿が苛つくのもわかるよ オレ芸術わかってますの知ったかが集まって 互いにイイねしあってるのが現代芸術界隈 単なる内輪受け >>291 ほらこれが本性よ 「これには深い意味があるのに理解できないの?(本当は大した意味などない)」 といって相手をバカにしてマウント取るだけの差別思想 現代アートの本質は実は「差別」なんだ >>291 もしそうなら芸術は完全に学問の下位概念になってしまうね でもそうじゃないんだよな >>285 それは「コンセプチュアル・アート」についての感想かな? 繰り言だけれどコンセプチュアル・アートは1970年代の流行で、 いま現代美術のいちジャンル。これをもとに現代美術すべてをみんな語り過ぎ、って感想だけど、 ただ、これも時代性とか、立ち位置とかが大きいよ いま有名なコンセプチュアル(ネオ・コンセプチュアル)・アーティストなら、 ダミアン・ハーストのホルマリン漬け作品なんかが有名だけど、 https://media.and-art.jp/art-studies/conceptual-art/damien_hirst_artworks/ 「情報を食う」のではなく、本来はこんな感じで感覚的衝撃から問題提起するようなやつだ ここで提起される謎解きは「生命について考える」または「生と死について考える」なわけだけど、 情報が本体、というような無味乾燥なニュアンスのものでは本来ないよ この作品についてみんなあれこれ語る(語りたい)から情報は過多になるわけだけど、 ここでも考えさせられる、または提起されるによって認識の拡大というか変更を観るものに迫っている >>221 がどんなものかは知らないけど、ほんらいこういう感じのものだけどね >>269 87億というのは市場がつけた客観的評価 何で気にすんの? >>274 言語化する能力がないだけ それは単にお前が馬鹿なだけ 美術と芸術は異なるもので 現代美術は鑑賞方法に作法やルールのようなものがあるってことか >>296 動物ホルマリン漬けにしてもなんの衝撃もないし生死についてもなんの考えも深まらない 実際何も変えていない 結果的には「面白い」と思われてハーストが金儲けをしたという資本主義的現実があるだけ ビジネスとしてみればもっと金儲けしてるやつはいるわけで大したこともない >>296 そうは言っても君はその作品から本当に感覚的刺激を受けたのか疑問だよ それを書けるなら説得力が出ると思うんだよな 本来はこんな感じで感覚的衝撃から問題提起するようなやつだ ここで提起される謎解きは「生命について考える」または「生と死について考える」 ↑ 生や死について考えるのにこの作品である必然性はないしな それこそ聖書なんか無料でネットで読めるし 生死についてちゃんと考えられるぜ だから君はこの作品でなければならない必然性を語らないといかんわけよな >>303 まあ、それは君の感想だ 自分は実物見たけど、巨大さもあって衝撃は凄かった 写真ではなく、目の前で巨大な死体が浮いてるのはかなり衝撃力ある と、同じく衝撃受けた人がいるからまあ話題になったわけで、 そういうこっちゃないすかね? >>297 人間には無意識ってあるからね ドラマや小説でもよくあるでしょ 私なんで涙が出てるんだろうとか >>298 バカバカしいと思うからレスの対象にしたわけよなw >>304 というような感じで、こちらが受けた「実感」って伝わらんのよなあ、なかなか で、もっと別で考えろ、とか説教されちゃうの 現代美術の辛いところや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる