【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO https://www.mot-art-museum.jp/ VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured >>330 いやいや、それは言い訳だね。頭から否定してかかろうとしてる やっぱこれ伝えるのは難しいね、っつう話にしかならんやん 結局多言を尽くすしかない、みたいな結論じゃねそれじゃ 解説し言を多くせよってか? バンクシーなんて法律無視してスウィフトの100番煎じレベルの稚拙な政治アピールをやってるからな 自分は法律を超える選民であって特権が有るんだって主張してるのと同じで とんでもない差別主義者 >>331 であれば君も 語り得ないものに価値があるということに同意するってことになるね >>333 語りえないものに価値があることを否定しはしないよ が、このやりとりが証明してるように、結局言説がいるじゃねえの そゆうことだよ 権威とかマウンティングの問題じゃないんだわ。こういうの 専門化とか、個別的とか、そういう位置にあるって問題だってことだよ >>334 誘導尋問みたいなことして悪いがそういうことなんよな 芸術は衝撃とそこからの展開に意味があんだよね あそういうことねふーんなるほど ↑これは芸術じゃないんだよなぶっちゃけ 考える事語ることが大事というよりそれらは副次的で 何より衝撃、そしてそこから展開していく思考も含めた自己変革 それこそが芸術の本義だと思うよ まあ現代音楽も現代美術も芸術の自己破壊みたいなとこあるよねw 見てわからない絵を書き出したのはやはりピカソだろうねw だから考えも変えてしまうのが本当の芸術なんだよな 命や生死について考えるのって大事 ↑これは衝撃受けなくても誰でも語り得ることだしな そこから芸術体験によってどの様に思考が変化したか それが芸術が持つ本来のパワーなんだよね >>340 でも俺らはドラえもんで スネ夫ヘアーとかいうキュビズムをガキの頃に受容しとるしな だからかぶっちゃけピカソとか見てもそこまで衝撃じゃないよね >>307 バカバカしいと感じるのはお前が客観的評価を重要視してる何よりの証拠 >>309 調べようと思うこと自体お前のポリシーと反してるよな >>339 創造は破壊とセットだしな でも新たな創造の完成こそ進化であって 破壊は単なる途中経過でありそれ自体に大して価値はないんだよね本当は >>334 多分それもおかしい。何故なら、結果として誘導尋問としても頭から他者を否定してかかってるからさ そもそも、「これは芸術じゃない」を言うためのそういう芸術論ってなんなんだろね 私が納得できない言説を吐くものは芸術ではない、みたいな話でしかないような 芸術は感性か悟性か、みたいな議論はカント、いやプラトン以来お馴染みな話だけど、 そこらへん分節したりどちらかを副次的にして考えるものではあまりないよ どちらかといえば、悟性的なものを持ってきて芸術の自律性を言うのが近代芸術学だけど、 それを逆に軽んじ過ぎじゃないかい? >>343 無意識を言語化するのってむちゃくちゃ難しいんよ そのためには外部からモデリングされた構造を持ち込む必要があるが それは象徴であってそれそのもの表現にはならないのが難しいトコロよな >>344 市場のつけた客観的評価に否定的だからバカバカしいと思うわけよなw >>345 調べようと思ったけど情報が出てこなかったって書いたろ あと調べないのが良いとかそんなことは一切言ってないぞw >>311 何にどう感動したかはいくらでも言語化可能 >>349 無意識じゃないもの 感動という感情を具体的に実感してんだから >>347 たんなる個人的感想じゃないって示すため そうすると一々噛みついてくる余計なレスが減って楽だからね 出来たら君も余計なつまらんやり取りやめて 芸術の話してくれたらありがたいけどね >>350 怒りを感じてるわけだろ 本来眼中に入らないはずのものに >>351 知らない方がいいんだろ 情報入れずにまっさらな気持ちで見た方が >>354 牽強付会なだけじゃん 岡本太郎もいい迷惑 >>348 ハッキリ言えば現代芸術って 伝統芸術に対するただのアンチテーゼに過ぎないと思うわ 言ったら筋繊維の破壊による筋肉痛みたいなもんで 価値があるのは回復してより増強された筋肉であって (つまり現代芸術の次に来る芸術の形態) 現代芸術は筋肉痛みたいなもので それ自体に大した価値はないと思う あと頭から否定ってのはそりゃそうだw そもそも現代芸術に否定的な考えだから ちゃんとその価値を語られんと納得せんよ 芸術は形になるものではないとか、 隠されたものこそが真実だ、とか芸術は破壊なのだ、とか 現代美術というかアヴァンギャルド芸術が編み出してきた「思想」だけが流布されて定着してるこの変な感じ なのに、当の現代美術作品の見方がまったく定着していないこの変な感じ >>352 無理だよ それが出来るのは無意識を全て言語化した人だけ そしてどういう人はいない >>358 >伝統芸術に対するただのアンチテーゼに過ぎない それは1910−70年代の「アヴァンギャルド芸術」だよ ちなみに半世紀ほど前にシーンとしては終わった世界だよ ついでに、アヴァンギャルドは2つの戦争と革命の時代、っつう時代性と一体になったものだよ そらこの保守化の時代に、価値は実感できないんじゃないかいね >>353 意識に登って来た感情自体はね でもその理由を言語化してないから 往々にして人は感情を制御出来んのよな 特に感情のエネルギーが強ければ強いほどね 逆に言えば感情の原因を完全に言語化出来ているなら 人は感情を完全にコントロール出来るよ >>355 貼られなかったら当然話題にもせんよな でも貼られた以上はレスせんと即ち肯定だから レスせんといかんのよな その意味でのしゃーないよな >>356 理想としては情報を知った上それにとらわれずまっさらな目で見るのが一番いい つうか現実問題として人間は刻一刻情報が蓄積して見方も変化していくものだから 汚れのないまっさらなのママってのは現実的じゃない >>357 悪い言い方をすればバカ避けだよw 君に絡まれたから意味なかったのが想定外だったが >>359 たんなる過渡期の徒花だと思うわ そのうちジンテーゼとしての芸術を誰かが生み出すんだろうな 楽しみだよ >>361 まだ終わってないでしょ 君?の出したおっきい魚も 古典芸術に対するアンチテーゼの範疇だわな 違うと言うなら具体的にどこが違うのか書いて欲しいわ >>366 そうでもない。モダンデザインとか、フォルマリズムや抽象表現とか、 或いは、「隠されたものこそ真実」っつう、精神分析学(シュール)的な考え方とか それらすべてアヴァンギャルド由来だよ それらが社会に敷衍して定着した。この恩恵受けてる面は結構大きいよ >>368 隠されたものこそ真実なんて古典そのものだよ そしてそれこそが芸術の本義よな 全部、流行らそうとしている人らのおかげでしょ たまごっちとかティラミスと同じ 精神分析によって無意識が言語化されただけで それ以前から無意識なるものの表現は会ったんよな 神話、宗教、詩とかな >>367 先に書いたけど、それ(コンセプチュアル・アート)は現代美術の「いちジャンル」 これをもって現代美術を全て語ろうとする人が多いようだけど、と(>>296 ) 要するに、「コンセプチュアル・アート」は嫌い、ってこと言ってるだけでしょう ちなみに、ネオ・コンセプチュアルアートはそれほど否定の姿勢を持ってないし、 既存芸術へのアンチテーゼの姿勢なんか持ってない インタレーション自体は既にありふれたものだし、作品のテーマも別に美術史をひっくり返す、でもないしな テーマや衝撃の狙いはあくまで生命とかそのへんだよ だから歴史的に神話や宗教が芸術の題材にされてきたのも必然なんだよね >>369 そのうち、あなたの言うように実感とか、深層心理とかに結びつけるのは20世紀的だね たとえばロマン派が言う「隠されたもの」はもうちょっと理念的なものだよ 古典でいうところの「真実」のほうが悟性的っすよ >>372 まあ先に書いたように小賢しいのが嫌いなだけであって バスキアとか好きだしなw まあでもあれだよ 破壊の後の創造は次元が違う進化になるからね これは理由を説明するのが難しい直観的真理だけど 個人的に期待するのはそーいう 超絶進化したまだ見ぬ時代のアートであって そーいうのをはよ見たいと思う >>371 神話、宗教、詩 それらは天啓、神の言葉であって言説なんすけどね 個々人の無意識とか、実感とかと違うで DJとかラッパーはミュージシャンと言えるのかみたいな問題ちゃうの? 出来るやつが敢えてやってるのと出来ないやつがハッタリでデカい顔してるだけのと区別がつかんという >>374 宗教画とか神話の絵とか あれ本当はみんな隠されたものの表現だしね 君の言葉で言うなら悟性の表現って成るのかな いずれにせよあれは描かれとるもの自体もいいが その意味するところ表現するところに目的があんだよな >>375 超絶進化なあ いずれにしても、ここ近年は現代美術はかなり一般的ブームで、過去にない動員になってきてる みんなに「わかりにくい」とか「小賢しい破壊芸」と見られるところを越えてきてる感はあるんだけどね 名作が生まれるといいね >>376 こういうのはいしきてきに考えて書き留めたらいかんのよな 無意識から登ってくるものをそのまま表現するから意味があるんよね >>362 言語化するための理論や言葉を知らないだけだろ >>381 理屈で言えば ジンテーゼはテーゼやアンチテーゼとは次元が違う段階にあるということだが まあこれは理屈だけ聞いてもふーんでしかないと思う >>383 君が俺に粘着する感情とその理由を書いてみて >>364 まっさらってどういうこと? 白痴ってこと? >>365 岡本太郎持ち出せばもっともらしくなるとでも思ったの? >>386 何でそんな無駄な作業をわざわざやって貰えると思った? >>390 君は自分の感情を言語化出来るんでしょ? だから君の感情を書いて証明してくれたら信じるよってことw >>380 隠された、といいつつ、結局のところは聖書や神話という書物に書かれた物語なんよ 表現する目的とするところもキリスト教の神話、なんで、 というか、聖書や神話、有名人以外の人物描けるようになったのはほんと近世代になってから 個々人の内面を描く、はほんと近代に入ってからの話だからなあ >>393 物語は象徴表現なんよな だから何を象徴してるのかというのが問題になるわけよな 例えば神話における文化神は 無意識から意識に登ってくる閃きの表現よな つまり神話的な神々の物語というのは 無意識の力学の象徴表現なんよね なんで個々人の内面というよりは より普遍的な人間精神の表現なんよね >>394 聖書や神話が人々の無意識の昇華や象徴的表現かどうかはしらないけれど、 近代以前の画家は「教会や有力者の注文で絵を描いた」なわけで、 画家にとっては言説主導っすよ むしろ、画家にとって「隠されたもの」は、その神話とは違う面に見出すのが美術鑑賞では一般的です だから普通は自分が閃いたとなるけそうじゃなく 神々の領域(無意識)からプロメテウスがやってきて俺に知恵を授けてくれた というふうに昔の人は考えてたわけよな 無意識というのはよくわからないものであり 故にそこで起こることに対する知識は神秘なのよね で、この様な意識意外のなんらかの領域(この場合なら神々の領域)を想定した構造になっている自体 無意識という言葉がなかっただけで 精神分析学の登場以前にも 人間はそーいう領域を認知しとったのよな つうかユング派自体その理論は神話研究の結果だからなw IDなしスレかよ なにか別のと勘違いしてそうなレス多いけど立体版絵画みたいな感じで普通に楽しめるよ まあ横の説明も見ないと意図までは読み取れんがそれは他のもそうだし >>396 その教会や有力者がなんで宗教画を発注したのか というのが大事なわけよね 宗教画というのはまさに 人間にとっての神秘、隠されたもの その表現に他ならないからなわけよね 現代人からはドラゴンボールの絵を書いたのと変わらんように思えるけど ホントはそうじゃないんよな >>397 それは歴史の複雑さを無視し過ぎてるんでは? 欧州古典画の理想像とされているものは、ルネサンスのダヴィンチとかラファエロとかだけど、 キリスト教権威が大きく揺らぐ中、キリスト教以前のギリシャを対抗規範に立てて、 その神話ではなく、科学性や人間身体性をうたいあげたもの キリスト教社会で、ずっとギリシャが理想美だった複雑さを頭に入れておいてください 欧州の古典画はそんなに神秘主義で描かれてないよ。特に典例とされてるものは >>400 >>401 に書いた通り、キリスト教と古典画の関係はそんなに一筋縄ではないよ >>401 結局それも現代まで連なるアンチテーゼの大きな流れの一端なんよな まあ俺が言いたいのは 隠されたものの表現ってのは別に20世紀の専売特許ではなく むしろ大昔からずっと芸術においてテーゼだったって事よな >>402 そもそも歴史的にずっとそうだったと言ってるわけじゃないからね 昔から隠されてきたものの表現はあったし 古においてはむしろそれこそが芸術の目的だったって事よな まさに岡本太郎の言う 芸術は呪術よね 人間中心主義とキリスト教中心主義の葛藤を包摂したのが トマス秋茄子だったのう ギリシャ思想というのはいったん途絶えてたんだけど 十字軍やらなにやらでイスラムから アリストテレスやら占星術やら入ってきて それが急速に広まってホントはキリスト教もちょっと危なかったんだよな当時はw >>403 んー。あなたが理想として挙げそうな欧州古典画には、 アカデミーで培われてきた科学的技術、デッサンって手法があるからな >隠されたものの表現ってのは別に20世紀の専売特許ではなく それは結構、近代以降の芸術の特色としてはっきりと明示しておかねばならない点なんすよ プラトン以来、中世まで、芸術家は「職人」であって表現者ではなかったことを忘れちゃいけません この特色は「ずっと変わらない」として無視すべき点ではない それとも、中世ピザンチン美術が典例なのかな? 何事もバランスが大事で キリスト教中心主義によりすぎたのもまずかったが ルネッサンスで人間中心主義によりすぎたのもホントはまずいんよね 人間中心主義に偏りすぎた結果 現代はエゴイズムが横行する時代になっちゃった >>406 同じ歌を歌っても人によって違うからね 何を歌うかだけじゃなくどの様に歌うかも立派な表現だと思うよ 学校では普通ルネッサンスを良いこととして習うケド 上で書いたような意味で本当は負の側面もあったんよな トマス秋茄子の時代のギリシャ思想の急速な流入によって 100年後ぐらいにルネッサンスが起こる起点になったわけだが 大きなバランス修正の観点から見れば 結果的には良かったんだろうな ギリシャ思想に対抗するためのトマス秋茄子による論理体系化のお陰で 今の時代に繋がる自然法などの概念が生まれたわけだし 何より結果的に行き過ぎたとは言え キリスト教中心主義、というか神中心主義から脱却出来たわけだし いやさ、キリスト教的公理は「隠されたもの」であってはならないわけですよw 神は心の中に隠されてある、ってのも錯覚しがちだけど相当近い時代の考え方だしね 実在しなきゃならないんすよ、天上に というか、キリスト教的にはイエスは復活してそれを示されたので、もう疑うな、顕現されてあるって話でね 宗教に対する感覚が違うと思うよ まあだから重箱の隅をつつくようで悪いが ギリシャがずっと理想美だったわけではないんだよな >>412 でも、典例として挙げるのはだいたいそこらへんでしょ? リマネスクとかゴシックとか、あのあたりの宗教画が理想か? >>411 暗夜って概念があるが 神は暗闇の中にあってその姿が見えないもの 知覚できないものなんよな あと神は遍在するものだよ あまねくあるものよね でも神はイコール自然じゃないわけよね そういう意味でも神は暗夜よなまさにw >>413 理想は芸術は爆発だ!だなw 要するにインパクトのある芸術体験できるのが一番で 形式とかどうでもいいわ個人的にはね >>415 それはキリストが生きてる間までの話 復活して神は顕現したので、あとは「光」なんす あとはあれだな そもそもの話 神の国は人間の中にあるって聖書にあるよ つまり新しいどころか聖書が出来たときからある考え方 >>416 爆発かー 上の方の話よくわからないんだけど、岡本太郎挙げてたのは誰なのかな?あなた? >>417 信仰の神秘の話よな 神を信じました救われました とはならんということよね つまり信仰の過程において 神を求める時の話ね >>419 このスレ俺と君とあと2~ 3人しかいないんじゃないのw 岡本太郎は俺しかいってないよ >>418 神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。 いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ伝) が出元だな。それ。で、そのキリストが死んで復活したから、 神や天上は人の世に顕現した、ってのが聖書の流れだよ 割と大事なキリスト教についての解説なので、覚えておいて欲しい 神は偏在するっていうアニミズムとは異なるところだよ >>421 なるほど。岡本太郎はいいね。ああいうのが好み? >>422 であれば人間は救われる必要ないでしょ?w 現実即神の国ならね 好きなら勉強して感じられるようになればいい アニメ絵の最新流行を追えているかどうかみたいな知らん人にはどうでもいい話さ >>423 理論は好きだけど作品はそんな好きじゃない ぶっちゃけ太郎マンの作品は情報で出来とるわな まあ嫌いではないけど爆発はしとらんっていうw >>424 あるんだけど、選ばれた人しか入れない。審判が必要 それがまた、念仏唱えりゃ全員いける法華経あたりと違うところ ぶっちゃけ不発弾だよ岡本太郎の作品は 他者には爆発しろと言っときながら 本人の作品は不発っていうねw まあそういう人間的なとこも含めて好きだわ岡本太郎 >>426 まあ、そもそも、「爆発」は生き方を言ったものだからね 「ぼくが芸術というのは生きることそのものである。 人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、 その生き方こそが芸術」 がCMで略されて芸術は爆発 >>427 死んだらみんな神の国だよ かと言って万人救済主義じゃないけどな 何故なら生きてる間の救いはやっぱ信仰の如何によるしな >>429 情報には生命の神秘がねーんだよな 命ってのは停滞ではなく躍動であって 体験したものの命を揺さぶって躍動させるのが芸術なんだよな そういう意味での爆発が作品にないという ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる