【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO https://www.mot-art-museum.jp/ VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured >>726 >>725 において一応歴史的価値を認めてるでしょ皮肉たっぷりだけどw まあだから感想のみじゃないのよな ってことでちゃんと読んでね ×ばかばかしい事件が起こってきたのが美術史上だよ 〇ばかばかしい事件が起こってきたのが美術市場だよ ×そういう連中の向上真に受けないように 〇そういう連中の口上真に受けないように >>729 別に説明する必要はないんじゃね。知ってるなら あとは自分で味わえばよいのでは? >>732 だから最初から作品そのものを語ればいいわけでしょ >>731 相手が誰だか割と混乱するんだけど、 批評は感想だけを言うものではない、は別のもう一人に向けてかな >>733 それは自分ではなく、あなたの役割なんじゃないすか? なんで甘えてんの、というか もっと言えば困惑とは右か左か決められないってことだ つまりあらゆる価値の相対化である これが苦しみであるときこれは暗夜と呼ばれる これが喜びであるときこれは空と呼ばれる つまり光と闇の二律背反であり これに時間軸を加えれば 闇から光への移行となる >>730 横からごめんね デュシャンの「泉」は最初、アンデパンダに出展予告されたとき それはそれで大騒動になったんだよ。自由出展のアンデパンダで出展拒否だったから 時代が過ぎ、そんな立場にない自分らが見てもそりゃ軽いのは当たり前じゃん しかも、あれ実物(は行方不明)じゃなくて、サインしただけのレプリカ群だし ついでに、プラトンの美のイデアと、近代美学のイデアと、 アヴァンギャルドのイデアはこれまた違うし、それ以降もまた違う 単純なテーゼ、アンチテーゼ、止揚なんて関係になく、間には4者いる そこらへんどうなんだろかね >>738 なら自分で説明してくださいw ああ、やっと荷が下りるなあ >>51 そこまでして完成させる現代アートはやばい 良秀かよ >>741 イデアって絶対存在みたいなもんだからな いわゆる真理と言ってもいいが 違う真理がいくつもあったら それは真理とは呼べんでしょ じゃあ美のイデアと混乱イデアと2つあったらおかしいじゃんってなるかもだが だから二律背反なんだよね 結局美も醜も同じ一者の両側面ってことね >>730 美のジンテーゼというものは既に世界に存在しているのではないか?w >>744 もともとプラトンの「美のイデア」が完成体だ、みたいなニュアンスが飲み込めない 模倣、技術としてあるのがプラトンの美だけど、 どこに自律的完成体、みたいなニュアンスがあるのだろう? あと対立概念の統合だから 必ず対立する2者が一者に統合するって形になるね 仮に対立概念が2組、つまり4つあるならば ペアが2つ出来るみたいな感じ で、ペアになった棒(それぞれの端が概念)が十字架みたいにクロスして その交わる点に中心が出来るイメージ ペアがいくつ増えようが この中心点で重なっていくイメージだな >>745 そうだね いわゆる禅の十牛図における返本還源がそれだね つか興に乗ってテキトー書いてるだけだから真に受けないでね ここが5chって事を忘れないでw 結構食付きあってビビるわ プラトンにおける美のイデアって、真の「模倣」でっせ 美術の語源が技術(テクネ―)であるように、真なるものを写し取り模倣したものが美、だすよ ちなみに音楽の語源(ミューズ)のほうが美の女神 そこらへんどうなって? >>751 真の模倣が美なら真そのものも美だしな つか人間は必ず人間というフィルターを通した認識しか出来ないので そういう意味では人間の目に映るイデアは全て模倣 つまり美のイデアだな >>753 >真の模倣が美なら真そのものも美だしな ちょっと違うよ。プラトンにとっては明らかに下位の概念なんだけどね 要するに、じゃあ快楽に溺れてもそれは真や善なのかってな課題があるじゃない >>755 人のイデアについて考える時に 結局人間ってどんな生き方をしていようが 死んだら肉体も含めた全てを他者(人間に限らない)のために手放すわけでしょ よく死んだら仏になるっていうケド まさにこういう観点で見れば 人間存在自体もまた美なんだよな で、人間に限らずあらゆる存在が この様な美と調和の中にあるというね カント的に言うならこの世の自称全体が まさに目的なき合目的的で つまり美なんだよな ごめんまた調子に乗ってしまった 地獄に行って来るわ >>756 まあ、それはそれで一つの考えではあるんだけれど、 プラトンが求めてるのはただの美ではなくて「真美」とかいうやつ 自然摂理の徹底した模倣によってたどりつくもの なのでプラトンの名前が出ると気になる >>760 悲しいかな人間には限界があるから 物自体、神、真美、あとなにかあるかな そういったものにはたどり着けない でも近づく努力は無駄ではない 言ったらキリストには絶対なれんけどキリスト目指したり 絶対解脱出来んけど解脱目指したり 要はそういう努力目標みたいなものとしての意味がある まあ何しろ人生一生修行だしな 人間には模倣しか出来んのだけど 模倣の精度を上げてゆくことは出来る 人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが 想起によってイデアを思い出すことによって フィルターの曇りを取ることで 模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る 人間が真美に至ることが不可能である以上 この作業は死ぬまで続くことになる つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど 模倣の精度を上げてゆくことは出来る 人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが 想起によってイデアを思い出すことによって フィルターの曇りを取ることで 模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る 人間が真美に至ることが不可能である以上 この作業は死ぬまで続くことになる つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど 模倣の精度を上げてゆくことは出来る 人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが 想起によってイデアを思い出すことによって フィルターの曇りを取ることで 模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る 人間が真美に至ることが不可能である以上 この作業は死ぬまで続くことになる つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど 模倣の精度を上げてゆくことは出来る 人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが 想起によってイデアを思い出すことによって フィルターの曇りを取ることで 模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る 人間が真美に至ることが不可能である以上 この作業は死ぬまで続くことになる つまり死ぬまで修行だ >>720 あれがありふれた椅子にしか見えないとか 目の玉腐ってんのかおまえは 18 名前:I was not ABE &竹中維新ダメ警報[sage] 投稿日:2021/10/30(土) 20:27:23.09 24節季だと霜降と立冬の間 俺はたぶん季節性の躁鬱ある方なのでこの時期は一番鬱い 13 名前:I WAS NOT ABE & 維新竹中ダメ警報絶対! (ワッチョイ 23a2-6p9H)[sage] 投稿日:2022/04/06(水) 22:28:33.80 ID:KH/p9Afm0 [1/3] ・・・自分の小便と精液は舐めたことあるよ 一度だけだけど 普段、大便は色形匂いとか気にする 275 名前:I WAS NOT ABE & 維新、竹中は自民よりも危険 (ワッチョイ baa2-7EKy)[sage] 投稿日:2023/07/17(月) 19:33:44.38 ID:YW/oROO10 [15/16] ちなみに今の俺は、かねてから興味あった伊豆網代のイカの軟骨塩辛舐めながら日本酒 https://i.imgur.com/gAhf9rI.jpg こういうのはやっぱ単離した旨味調味料では無理だと思うよ 旨味は舌の刺激だけじゃない この業界もゴロの宣伝に騙されてしたり顔で語る奴が多くて嫌になった記憶がある >>767 ワシリーチェアなんかはそりゃ名作デザインだろよ ここでイメージしてんのはもっとシンプルに統制されたブルーノチェアあたりだが そのあたりが良く見えるなら、 現代美術は意味不明、なんて言わないだろうと思うけど >>720 養老孟司的に言うなら 歴史は不可能ってことなんよな 例えば本能寺の変なんかも 明智の動機が判明したとして じゃあその動機は何故起こったのか その原因の原因は何なのか 更に原因の原因の…って再現がないんだよな本当は だから歴史を真に記述しようと思うなら 宇宙の事象全てを記述しないといかんのよね 何故ならバタフライエフェクトとか言うように 一見関係ないように思えるものでも 全てが繋がってるからだね で、何が言いたいかと言うと 俺らが思ってる歴史というのは この様な全体的な繋がりが恣意的に切り離され 部分的に完結した範囲の中で解釈されるあファンタジーってことなんよな本質的にね だから歴史的価値というのも本質的に人間の創作物なのだから 無批判に受け入れるものではなく カントの言うように批評的態度で望まないといけないものだと思うよ >>771 ありふれてるかどうかの話だけど 識字障害かおまえ? 例えばアインシュタインはエレベーターを見て相対性理論のアイデアを思いついたらしいが これってある意味でエレベーターの発明者が相対性理論の出現に貢献したとも言えるんだよな ゆえにこの様なあらゆる関係性を切り捨てて アインシュタインが相対性理論を生み出した という単純な歴史に還元してしまうのは恣意的なファンタジーなんよな本当は バウハウスデザインの歴史的意義についても同様に恣意的ファンタジーであって 美的価値についてその様な普遍性のない恣意が混入するのって本当は不潔なんだよな >>775 やだやだ、煽り口調でやだねえ。なにがそんなに火をつけるやら バウハウスの椅子が良い、と言える人達は心配せんでも現代美術の観客だよ で、そういう人達でいま美術館は盛況なわけだし このスレで課題になるのはそうじゃなかろ まああれよな 歴史的価値は美の構成要素足りうるか という話よな 個人的には歴史的価値にも価値はあるんだろうけど それは美的価値ではなく ハッキリ言えば極めて世俗的な価値なんだろうなと思うよ ここで言われとるイデアやら真美やらカントの言う美やら そういった高尚(笑)な価値と真逆の価値ね >>776 アインシュタインの相対性理論に関しては、マックス・ブランクが彼を見出した がよく言われることだよね。量子論の開祖の一人 同時代的な物理学の進展のただなかにあるわけで、 そこらへんはふつう歴史として描かれるものではないかな 誰々が単独で、ってのはあまりないのでは 逆に彼はDV男だったとか、こんなユーモラスな出来事が、ってな人間エピソードを強調するほうが かえってそこらへんの関連が見えづらくなりやすい 単独の人間性に還元し過ぎると良くないのな。これと美術作品も同じ このスレで衝動や感覚が大事だと言ったら現代アート厨にバカにされるケドw その真意は世俗的汚染に目を曇らされることへのアンチテーゼなんだよな まあ歴史的価値も大事だけど 素直なガキンチョの心も大切ってことで >>51 不謹慎だがアートとしてかなり強力だよな 燃えたことで皮肉にもアートとして昇華してしまった >>781 別に、衝動や感覚も大事だよ ダミアン・ハーストの衝撃について上の方で自分も言ってるよ ただ、それだけに還元し過ぎるのは良くはないように思う というか、衝撃や感覚で理解できるなら、「現代美術は意味不明」ってな話は出てこないわけで 長々論じたり解説する必要はないんよな >>783 そもそも理解出来るならアートとしてあんま意味がないんだよな 難解と意味不明は違うわけだが 難解な文学と糖質の妄想は区別せんといかんし 小学生向けの読み物と大人向けの難解で高度な文学も区別せんといかんわな 何が言いたいかと言うと 分かってしまうということは 難解で高度ではないってことなんよな だから衝撃や感覚で理解するんじゃねーんだよな 理解はあくまで理性の仕事だからな 理解出来ない、つまり容易に言語感覚出来ない衝撃や感覚を味あわせてくれる作品 そーいうのが芸術の価値だと思う >>787 繰り言だけれど、「理解できない」に理由はいろいろあるから 時代が違う、古臭い、立場が違う、感性が合わない 美術の歴史は栄枯盛衰で、いち時代に流行ったものが廃れ、 その時代に眠っていたものが次代に花開き、の繰り返し 美術オークション市場ではそれを派手にしたショーが繰り広げられていて、 濡れ手に粟の連中がいて、バブルが弾けて消えていく連中がいて どの時代も最初から普遍的に、誰もが全く理解できる芸術がそこにあるなら、 こんな歴史にはなってない。ケンモメンが嫌う馬鹿みたいなお祭り騒ぎになってないだろう 芸術家が、真美を追及目標として掲げる分には構わないわけだけど、 それを価値として見だすには歴史的視点がいるだろよ、ってことなんね それがつまらなく意味不明に見えるなら、また逆に見えるなら、何故そう見えるかの視点を持ってほしい 自己推察とか批評的視点と言われるもの それを持ってはじめて価値が引き出せる >>789 上で書いたように歴史的視点は恣意だからな つまり本当の美の基準にはなり得ない 時代性、立場、感性の多様 そういった表層的な違いを超えた深層的な普遍 現代でも通用する 今聴いても古くない等等 そういったものってあるよね >>777 また話逸らそうとするんだな あれをありふれたと認識出来るかって話 現代でも通用する 今聴いても全然古くない って普通に言うしね >>791 そう認識する人が「現代美術はつまらん」と言ってじゃねえの? バウハウスだって「現代美術」だぞ ちなみに、>>799 を読んでよ 現代でも通用する、と受け取れる人だけなら、こんな話いらんわけよ >>790 「歴史的視点」はべつに歴史のお勉強、つう話ではなくて 巻となりバウムガルテンなり引用して言ってきた、批評推察的な視点のことよ たぶん、「歴史的視点」をそのまま歴史のお勉強だと勘違いされてんだなあ、 とずっと他の人と話してて思ったんだけど、 要するに自分の時代性や立場という限定性を越えた全体的視点のことだよ 偉そうな哲学議論になるけど、カントなんかが要求してたのはこれ >>795 ならこのスレ要らないんじゃね ダミアン・ハーストなりマーク・ロスコなり、 「感性で理解できない」人達に何を説明するか、って話だからね >>794 歴史的視点自体がある種の作品であるから それ自体批評の対象ということよな で、その結果世俗的価値足りうるけど 形而上学的価値にはなり得ないという話よな >>797 感性で理解とかその言葉自体本当は矛盾してるでしょw >>798 もちろん、「書かれた歴史」に関しては批評の対象、というか美術批評がやってることはそれ いろんな立場から歴史をめぐって争ってるね 最近ならフェミニズムによる美術史の問い直しなんてのが例かな そのうえで世俗的価値と形而上学的価値のくだりがいまいち飲み込めないんだが、 もう少し説明を >>799 じゃあ、感性で「受け取る」あたりに書き直せばいいの? なんか揚げ足取りに見えるが そもそもアートが世俗に取り込まれてしまうと アートの存在意義がなくなると思うんだよな と言ってもそんなに難しい話ではなく 例えば祭りの無礼講とか乱交とかが 日常つまり世俗では許されない行為の開放であるように 芸術も本来日常において味わえない 非日常的な感情を惹起し味わえるもの そういうもんだと思うんだよね だからアートは面白いんだよ >>801 理解するのはあくまで理性だからな 受けた衝撃や感覚を理解するのは理性だよ まあ>>787 だな だからアートの価値は非日常体験なんだよな 理解に至る以前の体験自体に価値があるわけよね 美術館のすみっこに眼鏡を置くいたずら かりあげ君であったな なんで非日常的な開放が必要かと言うと 前提として社会的な日常というものは 現実に人間を抑圧してるからなんよな 言葉を変えて言えばその人の持つ全体性が阻害されてるというかね 例えて言うなら鳥なのに飛ばない縛りされていたり 魚なのに泳ぐの禁止されてるみたいなもんよな これって自然からしたらまさに文字通り不自然であって 俗ってのはこういうことなんよな >>802 「アートは解放である」の認識自体、かなり理念的な気がするんだけどなあ それ狙ってやったアヴァンギャルドが今日、「理解できない」と言われる代名詞でしょ 平たく言うと、アートは解放だとか、肉体性だとか、感性に還れだとか かなり頭でっかちにやってきたのが現代美術の歴史で、結果「わかんない」と言われてしまうという アヴァンギャルドについて、個人的には大好きな歴史ではあるんだけれど、 それやった結果、これをどう回収するかを問われてるのが現時点だと思うんだよ 非日常、ということでカルチェラタンとか学園解放区とか現実にも侵入したわけだけど、 単にオモシロイ、では終わってねえってのが保守化してしまう今日の時勢じゃね 非日常への志向はいいとして、そう安穏として言える現状にない、が自分の感想 >>807 どういう理解かによる、って話してる最中じゃね? つうか、お前も持論を提示しろよ。揚げ足に終始せず >>809 そういう意味での開放じゃないね 意味不明な創作なんて日常で許されてるでしょ? 意味不明なものを見て混乱するのも日常的な感覚だしね だからそういうものではない非日常的なものの開放って事よな 意味不明なものを見て混乱するのが日常かと言えば厳密には違って ちゃんと言うなら笑いとか そういう小さな非日常が日常に普通にあるって感じかな だからあれだな 抑圧下の範囲内で好き勝手やる開放じゃなくて 抑圧の外に飛び出す開放よな >>911 そぞれぞの作家にとっては意味不明ではなく、 そういうふうに「ほんとうの非日常」の解放を唱えてたりするんよ その結果、肉体から乱交から神秘主義から呪術的なものから いろんなものが試されてきたのが歴史じゃね そのうち、社会に受容されて定着してきたものも多いし、勿論成果は多い というか、「アートは解放である」ってな理念自体がそうだ 今日、多くの人がそれを容易く引き移しに口にする ところで、ほんとうに解放ってできたのか? このあたりも省察しようよ、っつうのが歴史的視点に立てって話でね 現時点的な課題として考えてしまうところなんよ というか、00年だから現代美術はそういう方向にいってるな >>814 そりゃ人によってはそういう人もいるのも当たり前だよなw つうか既存のアートスタイルからの解放を目指すムーブと 非日常からの開放を混同したらいかんし ましてやその混同を根拠に 現代アートにとって開放なんかとっくに過去のものだ! みたいに持ち上げたらいかんわなw ホイジンガやカイヨワじゃないが 人間に遊びが絶対必要なのもこういうことだわな 遊びは開放であり 5chに書き込むのも俺にとっては神聖な遊び 肉体労働者の俺にとって 議論ごっこは日常では味わえない体験だからね しかし所詮遊びと侮るなかれ 仕事じゃないから純粋に楽しくのめりこめるのだ 遊びの面白いところは ただ真剣に遊んでるだけなのに 気がついたら目的なき合目的的に いつの間にかなってしまうこと そういう意味でアートも 作りたいものを作るべきだし 鑑賞したいものを鑑賞するべきだと思う もちろんこれは歴史的価値等その他の価値やあり方を否定するものではない つまりこれもそれらに対する単なるアンチテーゼであって アンチテーゼの目的はテーゼとともに ジンテーゼへと昇華することにある 何でもいいからニュースになることが現代アートだ ってウォーホールが言ってたしな 意味不明と認識させるれば勝ち 水面に浮かぶ水蓮を光で描いたのね、は現代アートではない >>810 理解は理解だろ 理解に程度の差なんかねーよw >>822 結局こういう感じで対話は不可能なんだよなあ トートロジーだねえ >>822 で、結局お前が何が言いたいのかわからん 何がしたいの? >>826 こういうのどうしようもない 「マーク・ロスコ―理解させろ」と要求してたの誰なんだろう そういう流れだと思うけど 揚げ足取る前に理解なら自分でしようよ 言葉遣いに突っ込んでも意味はなかろう >>827 理解なんてする必要ないと思うけど 何でいちいち意味とか理解とか求めるのかが分からない >>828 なのに、「価値を説明しろ」と言うから説明したわけだけども 理解したくない、言いながら煽られてもこちらは困るよ なんで高額の値段がつき、歴史的にどう評価されているのか、その理由を説明したわけだけど、 「感情的に納得させられないのはお前が悪い」と言われてもな 必要がないと思うならあきらめてくれ。煽り材料に使わないで欲しい >>829 価値を説明しろなんて言ってないけど お前ごときが価値を説明出来ると思ってること自体が不遜 >>830 不遜と来たか。そらまた被害妄想な アヴァンギャルドの歴史の話のところで言ってたのは、 感情や情動中心で、わかりやすい社会性や説明を殴り捨ててきたところあるから、 ちょっとは反省したらいいかもな、ってな話なわけだけど、 そういう議論してたら「不遜」に見えるようだね いやそら被害妄想だって 感情的には理解できない、なら歴史や立ち位置で見て、その価値を見て認めればいいだろう 自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる そう諭してるだけなんだけどな。ほんと説明嫌がるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる