【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
https://www.mot-art-museum.jp/
VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured >>831
そもそもお前は日本語が不自由なんだよ
そのくせ長文を描きたがるから言ってることが支離滅裂で意味不明になる
例えばこれ
>自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる
これは具体的に何が納得出来なくて、何に対して価値を持っているのか
それが全く分からない
あと感情的に理解するってどういうこと?
感情的であることと物事を理解することは
相対立する現象だろうが >>832
>あと感情的に理解するってどういうこと?
>感情的であることと物事を理解することは
>相対立する現象だろうが
それ、君の精神の不自由さを表してるだけでは?
感情的に理解できなければ、理性的に他者の価値を認めればいいだけでしょ、
ってだけの話に過ぎんやん
君は結局、理解できないから理解しない!認めたくない!要らない!
を繰り返してるだけ。たとえばマーク・ロスコ―はクソ、認めたくない!要らない!ってね
君が感情的に理解できなくても、納得できなくても、歴史上価値が認められてきた作品はある
自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる
こういう精神的な操作、苦手なのかな?煽るような書き方にはなるが
というか、「自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる」ってそんなに難しい話か? で、こういう操作が出来なくて、美術史にただ好き嫌いを押しつける方が
自分は「不遜」だと思ってる >>833
理性を失った状態でどうやって物事を理解するの?
日本語の問題
もしかして感性で理解するということを
感情的に理解すると表記してんの? >>835
>理性を失った状態で
なんで突然、その前提が出てくるの?出来れば理性的になろうよ、って話の時に?
というか、あなたは理性を失ってると自己紹介してるのかい?
じゃあ、冷静になれや、以外に言いようないじゃねw 煽らず落ち着けよ、ってね
ちなみに、「感情的に理解できない」を言い出したのは自分じゃなくて、そちらなんだと思う
ひょっとして他の人かもしれんけどね。このスレIDないし
最初「感性で理解する」って書いてたんだけどどっかで感情に入れ替えた >>837
おれは感情的に理解するなんていう
おかしな日本語は生理的に受け付けないので使うはずもない
感情的になるということは理性よりも感情を優先させた状態のこと
そんな状態で何をどう理解出来るの? >>838
wwごめん、失礼ながら笑ってしまった
「感情的」を理性を失う、や感情高ぶってどうしようもない、の意味のみでしか捉えてなかったんだね
というか、それだけしか用法ないと本気で思ってたのか
>おれは感情的に理解するなんていう
>おかしな日本語は生理的に受け付けない
「感情的理解」とか「感情の理解」って、発達教育学なんかで頻出の用語じゃね?
たとえば幼児が親の笑顔を好ましいものとして理解することを感情的理解つうわけだけど
あなたの言ってることは、感情的になって理解できない、じゃないかい?
こちらがいってることは感情的理解だよ。日本語は正確に使おう 例えば映画見て
幼児が親の笑顔を好ましいものとして理解するような理解って何なんだろうなw
意味不明だぞw たんにこの映画いいな〜とか嫌だわあ〜とかってことか?
それって理解なの?
ただの感情じゃね?w
大事なのは何故その感情が惹起したのかを理解する事じゃね?
理性によってねw >>839
感情的
理性を失って感情をむきだしにするさま。「―なものの言い方」⇔理性的。
ちゃんと辞書引いてからもの言えよ
ガイジに限って言葉の意味を調べようとせず手前勝手な定義をするよな
批評の一件しかり >>841
>>842
辞書バカっすね。要するにあなたがモノ知らないってだけでは?
感情的理解能力(EQ)とか感情的知性(EI)とかさ
最近じゃ一般的にも発達障害めぐってよく聞く言葉じゃないかと思うんだけど
美術分野は児童教育に親しいので、現代美術でも割とお馴染みの言葉だよ?
平たい言い回しでいう、「心でわかる」ってやつだけど、
頭では分かってはいても、心ではわからない、ってのは言い回しとしてよくある言い回しだと思うんだけど、
>大事なのは何故その感情が惹起したのかを理解する事じゃね?
>理性によってねw
それはこちらが主張してることでしょ?その感情の意味を理性的に判断せよ、ってね
何捻じ曲げてんだ というか、こんなしょーもない、
「感情的」を一つの意味としてしか捉えられない頭の固い人と延々議論してたのか
ううん
というか、「理解」も理性的判断の意味のみだと勝手に思い込んでるんだね
感情的理解、知識的理解、理性的判断、それぞれ別個のもの、
というか哲学論議や教育論ではありふれた概念操作の範疇だと思うんだけど
ほかのひとが挙げてたテーゼアンチテーゼシンテーゼの弁証法じゃないけど、
カントで言う感性、理性、悟性とかヘーゲルの感性、知性、理性とか
それぞれの領域や段階での理解や受け取りを別個に捉えて操作するのが普通だよ ついでに、
>ガイジに限って
なんて言葉を軽々しく使っちゃいけません。それこそ感情的理解能力(EQ)が低いぞw
頭の固さを強い言葉で胡麻化そうとしちゃいけんよ >>843
感情的理解って概念はないよな
お前は修飾語として感情的という言葉を用いてたんだからな
そうやって言い訳にならない言い訳を繰り返すのは往生際が悪い
日本語ままならないガイジのくせに
衒学的な物言いばかりしようとするから
こうやって足元をすくわれるんだよ >>844
感情的に理解することと
理性敵に理解することは
具体的に何がどう違うの? >>845
ガイジという表現が的確だっため
お前の尊厳を傷つけてしまったということ? >>843
感情って価値観による判断だからな
要は自分にとって好きか嫌いかでしかないわけね
で、EQは感情的理解能力じゃなくて感情的知性ね
それは好き嫌いを判断する独立した一機能であって
同様に独立した理性、論理推論能力と
相互に補完的に働いて
一つの知的能力を形成しとるわけよな
だから感情と理解は別の機能なわけ
ユングが人間の知的能力を理性感情直観感覚に分類したってのはこういうことな理由よな >>847
>感情的理解って概念はないよな
ありますよw
>感情的に理解することと
>理性敵に理解することは
>具体的に何がどう違うの?
それを繰り返し説明死にゃならんのかあ。めんどくせえなあ。ひらたく言うと
感情的に理解する、は「心でわかる」
間に知識的に理解する、が入って「頭でわかる」「知ってる」でもいいかもしれない
理性的判断は理性で理解する、なんて言い方しないで
それらをトータルに判断することだよ。真の理解にたどり着くとかそういうやつだな
一般的なニュアンスとしては
感情的ー理性的の対義語しか知らないみたいだけど、
間に「知識」なり「知性」なりを入れて3つで操作するのが一般的
頭ではわかってる、知識としては知ってる、でも心では腑に落ちない
そういう心の動き、経験ないすかね?
感情的か理性的か、だけの両極が認識の動きではないし、人間の心の動きではないよ
>お前の尊厳を傷つけてしまったということ?
で、そういう操作ができないのを普通、EQが低いという
失礼な言い方をすると、そうなる >>849
それは好き嫌いを判断する
じゃなくて
感情は好き嫌いを
の間違い >>850
感情も知性を構成する一機能であって
知性のうち理解する能力については理性の役割なんよな
君はこの区別がついとらんわけよ >>849
>で、EQは感情的理解能力じゃなくて感情的知性ね
それはEIって用語で言うよ
>一つの知的能力を形成しとるわけよな
>だから感情と理解は別の機能なわけ
また>>847と同じ思い込みしとるなあ
それこそ感性と知性ごっちゃにしてないだろうか >>852
たぶん、あなたは最終的に「理解」にたどりついた観点から
感性や知性を見下ろして、理解とは感性と知性の統合である、ってな感じだろうけど
ここで言ってることはそのもっと前の段階すよ
でないと、心の分裂した動きが出てこない >>850
感情的理解という概念が既に学術的に認知を受けた形で存在するというのであればその証左の提示を
心で分かるという物言いはあまりにも情緒的で文学的すぎる
理解は理解でしかないし
理屈では納得出来るが、心情的には納得出来ないという自覚は
理性的な状態でしかもたらされないもの
お前は手前勝手な理屈を泥縄式にデタラメに肯定してるだけ >>885
>心で分かるという物言いはあまりにも情緒的で文学的すぎる
そういう言い回しが理解できないというだけではないですかね
要するに、これまで長々と語られてる問題は分裂的な状態をどうするか?なわけですよ
たとえばマーク・ロスコ―の絵は心にピンとこない
しかし一方では美術史上価値があると言われ、高値がついていると頭では知っている
この分裂的な状況を措定して、これどうしようって話だと思う
この時、「理解」とは全き理解することである、とか言っても何の意味もないよ
それでも感情的に理解すればいいんだ!教えろ!があなた方の主張だとして、
手前勝手なこと言ってるのはどっちだと思う? >>853
正確に言えば感情的知性の度合ぐらいな感じだな
あとはあれだな
俺はバスキアやソナチネが好きだが
その感情でもって即
バスキアソナチネを理解してるとはならんだろ?
って話 >>854
理解は理性の働きってことな
人の言ってることを都合よく改変するのもやめたほうがいいぞw >>857の様に
感情的理解について分かりやすい具体例を出してくれたらいいんだけどな
個人的には無理だと思ってるけど
その予想を覆して欲しい
そしたら勉強になるから >>858
つうかね、「理解できない」と言ってきたわけだよね?
マーク・ロスコ―なりダミアン・ハーストなり
>理解は理性の働きってことな
要するに、あなたは「俺の判断は理性的なものだから正しい」を繰り返し言いたいだけじゃん
マーク・ロスコ―はクソ、ダミアン・ハードには心動かされない、価値ないってね
「理解は理性の働きである」を掲げて、俺の感情的判断こそ勝利、を言ってるだけに過ぎないように見える
それに対して、価値はあるよ
いったん感情を棚上げして、他者に価値があることを認めたら?なんだけどな >>859
ううん、具体例から出発してる話だと思ってたんだが
もともとの話は、再三だけどマーク・ロスコ―つまんないとか
ダミアン・ハーストしょうもないとか、そういうところから
このしょうもないはちゃんとした理解だから、理性的判断だから価値ないで間違いない、
と言われたら話終わっちゃうよ
マーク・ロスコ―自体は実は実物観にいけばその巨大さに圧倒される
写真で見るだけではわからない、その空間の神秘さが気に入るんじゃねえかとは思うんだけど、
あくまでわからない、この判断は正しい、と言われる場合に、
これどうしよっか?つう話が始まりだよ >>860
俺はバスキアやソナチネを好きってだけであって
その理由は分からないってだけだよ
つまり俺の好きって判断は理性的なものじゃないし
ゆえに客観的に正しいと主張しとるわけじゃないんよな
でもアートって本来そういうもんじゃね?
俺は俺にとって美味いと思うラーメン屋に行きたいのであって
別に正しい(笑)ラーメン屋に行きたいわけではないんだよな
こういう立場だから
君の主張はものすごーく奇妙に思えるのよね >>862
>その理由は分からないってだけだよ
>つまり俺の好きって判断は理性的なものじゃないし
俺だってそんなもんわからん
ただ、理性的判断ってのはそのように感情が正しいと言い張る自己中心的なもんじゃなく、
それ乗り越えたもんじゃないかねえ?
簡潔に、わからないと言い張るのではなく、
わからない他者にも価値はある、乗り越える努力してほしいな、ぐらいなもんだよ
毎度毎度「正しさを押しつけてる」ように見られるみたいだけど、
個々で言ってるのは逆のことだよ
感情を正しいと押しつけるな、ぐらいなもんだ >>861
小学生の読み物にも感動したりするわけじゃん
例えばアンパンマンにも感動したりするわけよな
じゃあアンパンマンもまた
感動するという点で同様のファインアートと同じファインアートと言えるのか?
って話よね
だから何故感動したのかという理解が必要なんよな
その理性によって理解した感動した理由、原因が
程度を分ける根拠になるんだと思うよ
つまり感動すりゃそれで価値あるアートだ!
ってもんでもねーわけよな ここで議論されてることのほとんどは現代美術(コンテンポラリー)ではなくて近代美術(モダン)に関することばかり
大袈裟でなくて100年前の話題だよ
なんでお前らゲージュツに関することになるとそんなに古い価値観を後生大事に持ちつづけるの? >>863
そもそも感情自体自己中心的なものでしょw
あくまでも自分の中の価値観の表出であって
それこそ価値観なんて人それぞれでしょ?
で、上で言ったように分からないってことは難解だって事よな
アンパンマン貶めるのは本位ではないが
何故感動したのか分かってしまえるのは
ハッキリ言えば高度じゃないのよだからわからないって言うのは最大限の褒め言葉だよ >>861
ファインアートと商業美術の区別の話はここではしていないのでは?
というか、アンパンマンっていま割とファインアート扱いな気もする
やなせたかしってもともと絵本作家でもあるし
アニメ漫画にせよ一部はアート扱いになってるような
いずれにせよ、感動しない場合、どうするか?じゃないの?ここでは
感動してその心の動きを探る、について特段反対したり個別の説を加えたりしないよ
感動しない、でも美術史上では価値があるようだ。これどうしよう、なわけで >>865
>ここで議論されてることのほとんどは現代美術(コンテンポラリー)ではなくて
>近代美術(モダン)に関することばかり
それはそう思う
或いは半世紀前にシーンとしては終わったアヴァンギャルドとか
自分も同じこと再三言ってきたけど、「芸術は解放である」だけが実のところ芸術の機能でもないし
「深く感動」だけが芸術の機能でもないような >>867
上で書いたように俺の立場は一鑑賞者としての立場だからねw
だから俺にとってはビビッとくるか否かが全てであって
評価は高いけど自分が不味いと思うラーメンなんかどうでもいい
つまりそういうラーメンについて
不味いケド評価高いな…どうしよう
なんて悩むことは全くない >>868
シェーンベルクの十二音技法以降の音楽は音楽とは言えないっ!みたいなこと平気で言ってるようなもんだからね、、古すぎるよ >>865
現代的な価値というより
芸術そのものの価値についてのほうが興味の対象ってのがあるからしゃーない
例えば現代的なポリコレ的価値観を反映した絵について語るなら
それは絵そのものというよりポリコレの是非について語ることになるんじゃねーかな >>73
画力の勝ち負けの判定ができるのは
世界的画力学者のサイバラ先生ただお一人 >>856
心で理解した状態とそうでは無い理解の状態を
お前は客観的に常に分別してんの? >>857
その理解してるかどうかを判断する主体って何? >>869
いやまあ、そうなんだけど、
最近の現代美術ってたとえばよく「コミュニケーション」とか「異者との交流」とかテーマにしてたりするじゃね
視線を交換して、他者目線になる装置とか、
異性、異文化、異民族に対する理解とか
あれ、「深く感動」とはもうちょっと違った感触を受けるもんでしょ
今日、現代美術はそんなところまでテーマにしてるので、
自分について語る、ではなくて「現代美術を語る」場合には違う視点がいるのではないかいな
というのが自分のいいぶん >>865
だって未だに近代美術の方が市場が大きいからな
仕方ない
音楽や映画、演劇と違って つうかポリコレもそうだが現代的な価値について
個人的には時代の要請としての必然という立場をとるわけさ
上で書いた様にそれがどんなものであれ
いずれにせよそれは既存のテーゼに対するアンチテーゼだろうってこと
だからその一点において存在意義は否定し得ないよな
どんなにゴミだろうがアンチテーゼが存在しなければジンテーゼには至れないのだから
だからその辺の感覚を正直に書くと
上で書いたように
現代アートは正しいゴミ
という感じになる
自分にとってはこんな感じだな >>871
現代的表現以外の表現が、例えばポリコレやらなんやらといった政治的なテーマから自由な純粋な立ち位置から表現されていると想定すること自体が近代芸術(モダンアート)の立場
抽象表現の土壌はここから生まれたわけだけど実はそれ自体も後から見るとその当時の政治的な表明なのだよ
すべての表現は政治的であり同時に純粋表現でもありそこから逃れることは不可能 >>876
それは政治的主張とポリコレを粗雑にごっちゃにし過ぎでは >>875
現代アートだけがそれをしてるかと言うとそうじゃないからな~
そういうのは多くの人がすでに何らかの形ですでに経験しとるわけで
そういうアートの良し悪しは手法についての目新しさがない以上
質的に高度かどうかっつー話になってくるわな >>876
現代的な価値観を反映したアートについて語るなら
その現代的な価値観も俎上に登るのはしゃーない >>882
勿論、それが良い作品かどうかは個々の作品によるよ
いずれにしても現代美術の機能は解放や深く感動といったところにとどまらん >>880
自由になるってことは
一体なにから自由になるのかって事よな
その意味でポリコレだって自由になることの表現のうちよね
まあポリコレは現代的価値観のただの例だからどうでもいいが >>884
その機能が
上で書いたように非日常体験を捨てて
日常で得られる体験を提供する機能であるなら
もはや存在価値がなくなるんじゃねーかと思うけどな
別に芸術じゃなくてもいいじゃんって ポリコレってもともと「頭の固いバカ」っつう罵倒用語から発生したもんで、
中身は正体不明だよ。というか相手を攻撃するための用語なので、
どんなふうにも使える魔法の言葉
みんながニュアンスとして多く思い描いてるのは表現規制じゃねえの?
政治的主張とはまた若干話が違うような それこそパズルの例題集ナゾナゾの例題集でいいんじゃね?
とかね >>887
余談だけどポリコレは事前教育だと思う
将来的にメタバースが現実的になったとき
ポリコレが広く浸透していたなら
例えば美少女アバターの中身が汚いおっさんとか
白人アバターの中身が黒人とか
そういうのに一々引っかからずスムーズに移行できるしな
そういう意味でも個人的にはアンチポリコレはバカだと思うわ
しらんけどね この場合で言えば
メタバースにおける属性の開放がジンテーゼと言えるね
伝統的な価値観がテーゼ
ポリコレがアンチテーゼ
メタバースという限定的な空間における解放という点で
テーゼとアンチテーゼは止揚しうる >>886
日常に価値を見出す、に意味はねえのかな?
なんとなく日常系アニメはつまらん、とかケンモで良く言われてるのに似てるような
勿論、アニメ自体が非日常、とか言えるけど、
特段、あれは芸術ではないと否定する必要もないような
そんなもん見てばっかでどうする弱男、ってな価値判断はあると思うんだけど、
だから芸術ではない、だとちょっと違うかな
アニメに関しては、2004年にベネチアビエンナーレでオタク部屋がアート作品だってことで
(注意すべきは、アニメ作品がそのままアートだってこっちゃない)展示されてたけど、
オタクの日常の生活ぶりがアートなんだね 現実的に止揚しうるの間違い
つうかしらんけどね
俺はこう思うってだけ >>892
例えば恋愛も日常だけど
恋愛経験ないやつにとって恋愛アニメは非日常だしな
だから非日常ってのは決まりきった形があるわけではなく
人によっては様々なんだよな
だからアートでも色んな表現が出来るわけよね >>879
つまりお前の言う理解には客観性はないわけね >>881
どういうこと?
表層を語るか、イデオロギー語るか
そんなもん論者次第なのでは >>895
1+1=3だという意見に客観性があるかどうかは
それこそ理性によって判断することじゃないかな >>897
コンテンポラリー=現代的価値の反映だからしゃーない
つうか人間の活動は全て時代性の反映とおもうけどね >>898
それは客観的な基準が既に外部に存在してるからな >>899
だからといって作品を評する際に必ずイデオロギーまで語る必要は無い
語りたければ語ってもいいけど >>901
であればまさに芸術そのものについて語ることにになるよね >>896
その通りポリコレは論者次第の意味不明なものだから、あまり振りかざして意味あるものではないよ
もともと罵倒用語だから。なんか人権団体が圧力かけてそう、って意味合いでかなく、
その圧力かけてる団体もたいてい正体不明 ちなみに上で書いたように歴史的価値も本当は主観的なものだ
家康の使った枕ってだけで俺は歴史的価値を感じるが
タイの王様の使った枕に対してはそうじゃない
ただどちらにも金銭的価値は感じるけどねw まあポリコレも言ったらそれこそ正しいゴミだわなw
何らかの時代的役割を担うアンチテーゼであって
その評価は時代がジンテーゼに移行した後で定まるものだと思う >>906
たぶん、「理性」と言った場合に、それは絶対的に正しい何か、
正しさの押しつけだ、ポリコレだ、ってな妙な感想があるんだろうと思う
ここで自分が言ってきたことは、感情を前面にしてこれが全て、と肩ひじ張らずに、
理性的に棚上げしようよ、な話
今日、解放でなかろうと深く感動でなかろうとアートはアート
その概念はどんどん拡散されてってる
その結果、一部対抗的に取り上げられるアニメ漫画も一部はアート作品として
アート市場に上ってる
それらバカ騒ぎのうち、価値あるものは淘汰を経て歴史として残っていくだろう
そない肩ひじ張る必要はない 同様に現代アートについても
個人的にはゴミだとかくだらねーとか思ってるけど
だからといってそれは現代アートの存在意義を否定するものじゃないんだ
戦争で破壊された町並みは美しくないけど
一端破壊されなければ新しい町並みの美しさは獲得出来んからな >>903
芸術じゃなくて個別の作品を具体的にかてるということ >>908
歴史による淘汰を未だ経ない以上
俺らは個人的にどう思うかで語るしかないわな
本質的にはアートって個人的なもんだしね >>910
その外部の基準が理性よな
>>898ね >>911
芸術性を語ることになるね
であれば必然的に芸術とかなにか?
というのが前提になって来るよね >>912
個人としてはそうだろう
そして批評は、歴史を巡って争うわけだよ
ただ、半世紀以上前のアヴァンギャルドについてはもうだいたい歴史的結果が出てるように思う >>914
芸術性という概念は主観的で極めて曖昧模糊としてるから
語られた内容を芸術性に関するものと取るかどうかは受け手次第 >>915
数学は理性によってなされるよ
余談だけど厳密に言えば数学もホントは主観的なものだけどね >>916
素人の俺はもうちょっと長いスパンで考えるかな
半世紀前も今も
アンチテーゼという点では同じだと思う
というのは時代性を本質的に覆すような作品が現時点であるとしたら
ピカソlevelで有名になってるだろうからね >>917
つまり芸術性とはなにか?という議論になるわけよな
それぞれの芸術論の議論になる >>918
だから何?
お前が理性的になろうと感情的になろうと
1+1=3という主張は客観性を持たない
なぜなら外部に絶対的な基準が存在するから >>920
それは芸術性という概念に関する議論で
作品そのものに関する議論ではない >>921
その数学的に間違ってるという判断の主体は理性だよねって話 >>922
その作品ってアートだからしゃーないw
もし作品が自動翻訳機とかなら
芸術性じゃなく機能性の議論が主体になるんだろうけどさw >>923
理性は主体にはなれないけど?
判断の主体は個人
個人が外部の基準に照らし合わせて判断する >>924
何がしゃーないの?
アートであろうがなかろうが
芸術性に関する議論抜きで作品を語ることは可能 あとはあれだな
外部の基準に従うだけだったら学問は進歩せんでしょw また苦しくなって意味不明な論点ずらしを仕掛けてきたな >>919
ここらへんで、割と政治的思想が絡むね
たとえば戦後日本というありかたを肯定するか、とかね
ついでにいうとピカソも割とアヴァンギャルドの流れだと思うんだけど、
日本での紹介ではそこらへんの説明が結構欠けとるね
思うんだけど、
たとえば日本のマンガやアニメを評価する場合、やれ浮世絵の継承だとか(ほんとか?)、
20世紀フォルマリズム(ディズニー経由)の継承だとかよく言うじゃね
漫画学会とか、あのあたりそういうことして価値づけしてる
対して、20世紀フォルマリズムよりマンがのほうが面白いじゃん、
だけじゃ、マンガも逆に残っていかないんだよな
価値づけするってこういう営みであると思うんよ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。