1950年6月に朝鮮戦争が始まると、ジャニー氏は米軍関係者として従軍。日本では進駐軍宿舎「ワシントンハイツ」に住んでいたが、父親同士の交流が縁で新宿区若松町の服部家にも頻繁に出入りするようになり、出兵から一時帰還すると、10人家族の服部家の父や母と食事をしてマージャンをしたり、トランプに興じたりしていたという。
◆「楽しく優しいお兄さん」が一変した夜
 50年のある日、ジャニー氏は、カーキ色の軍服姿で現れたことがあった。父良一氏は、彼を見ると「ヒー坊(ジャニー氏の愛称)!!」と喜んだという。ある時、トランプゲームで遅くなるとジャニー氏は「今日は泊まって行こうかな」と言ったら、母親が「よっちゃん(吉次さんの名)の部屋に泊まればいいわ」と言った。
葬儀で服部家の遺族と会食するジャニー喜多川氏(左)と、服部さんの次男・有吉氏(右)=1993年、服部吉次さん提供

葬儀で服部家の遺族と会食するジャニー喜多川氏(左)と、服部さんの次男・有吉氏(右)=1993年、服部吉次さん提供
 ワシントンハイツからチョコレートやお菓子をたくさん持ってきてくれるジャニー氏は、吉次さんにとって「楽しく優しいお兄さん」だったのが、その夜、一変した。
 パジャマに着替えるとジャニー氏は「肩をもんであげるよ」と言いはじめ、肩のマッサージから全身、手足と伸び、陰部を触ってきた。
 翌朝、ジャニー氏が出かけた後、五つ上の姉が「楽しかった?」と尋ねるので「マッサージは気持ち良かったが、その後、体中を触ってきて陰部も触ってきた」と正直に言うと、姉が「やめなさい。そんな気持ち悪い話をしないで」と怒った。そこで「悪いことなんだ」と思考が止まり、結局、両親をはじめ、家族には一切話せなくなってしまった。
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