能登半島地震当日に指示を受け被災地に向かった11府県の「緊急消防援助隊」約1900人のうち、発生72時間以内の1月4日までに石川県珠洲市や輪島市の被害集中地域に入り活動できた隊員が約半数にとどまったことが28日、各消防への取材で分かった。道路損壊や土砂崩れの多発で大型消防車などの走行が阻まれたのが要因で、ルートが限られている半島特有の災害対応への課題が改めて明らかになった。

災害発生から72時間を経過すると、救出、救助の際の生存率は大幅に下がるとされている。

総務省消防庁によると、発生初日の1日夜、消防庁長官が近隣の11府県に緊急消防援助隊の出動を指示し、各消防は消火・救急・支援などの隊からなる「大隊」を基本単位として計約1900人を派遣。ヘリコプターや、自衛隊と海上保安庁の船で空と海からも入ったが、主に車両による陸路で被災地を目指した。

しかし、被災地では道路の損壊が多発し、輪島市や珠洲市につながる穴水町を越えるとさらに激しく損傷しており、多くの隊が足止めされた。

2日に陸路で珠洲や輪島入りした大隊は、大阪府と福井県の一部にとどまり、計約60人と全体の3%程度だった。大阪の担当者は「道路の損壊や土砂崩れがあった都度、隊員が歩いて安全確認した上で、重機やマンパワーで岩石などを除去していった」。福井の担当者は「大型車両が進入できず、ハイエースで珠洲に入り、救助を始めた」と当時の状況を話す。

つづき
https://www.nikkansports.com/general/news/202401280001533.html