【画像】江戸時代のお寿司、ガチのマジでデカすぎる [834922174]
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握り飯だからなw
ササッと食う時間に余裕が無いメシ
それにしても500円は高すぎやろ 全然美味そうに見えない
適正サイズってやっぱあるね 元々この大きさのを半分にシュリンクフレーションさせたんだよ
二貫セットで出ててくるのはその頃の名残 手で掴んだ嚙じりながら食べるのが握り寿司やろ?
これでええんやん 江戸前は風呂屋の後に軽くつまむのがイキとか言ってたけどぜんぜん軽くないじゃないか 伝統とか江戸前とかサーモンは扱わないとか言ってても小さい寿司出すんやろ
ついでにイクラもメニューにある ”波の下”って注文するとシャリがちょっと大きくなるんでしょ?
廻らないお寿司屋さんでは 江戸時代の寿司って言ったら稲荷だろうが
でっけえ稲荷を4つに切ったのが最もスタンダードな寿司だ 昔は一貫が大きいから二つに割って出してたんだよな
昭和の鮨屋がネタを二貫で出してたのもその名残 こんなの寿司じゃない!
寿司ボリスー
早く来てくれー >>17
そして現在の廻る寿司屋ではその一貫を
さらに二つにして提供中。
小指の大きさのご飯に魚の破片を乗せてます。
普通のすし屋も小さいの増えてるぞ、誰が行くか! >>30
幕末なら醤油も使ってた
あと刺身でよく使うからカラシ付ける人も多かったみたい 屋台で食ったあと暖簾で手を拭うから常にテカテカだったというネタ そもそも寿司って昭和の時代の食い物で
江戸時代の寿司とは似ても似つかない ジャップのコンビニおにぎりもどんどん小さくなってくから、10年後には平成のおにぎりデカすぎだろ、って言われてそう 今の寿司は小さくなりすぎて奥歯に挟まって終わりみたいなもんばかりだからな
江戸前謳ってるならちょっとは見習ってほしいわ 湯飲みに入った醤油に皆でつけて食べてたんだよな
汚れた手は暖簾で拭く >>38
最近の回る寿司のネタの小ささはミニチュアかと目を疑うわw
昔は10皿も食えば腹一杯だったのにな >>3
出汁も出ないシジミじゃあ使い道ないですね・・・ >>11
そんなわけねーだろ、握り寿司は1800年代の発明だから大きさが分かる文献が結構残ってるぞ セブンイレブンのくいもんみたいに時代が下がるごとに小さくなっていたのか… 深川の江戸資料館にいなり寿司の模型があってそれもデカかったな >>55
今みたいな形になったのは戦後の食糧危機の時代だからな >>37
マグロはともかく
米や調味料が今と違い過ぎて
大してうまくないぞ 本当に庶民が口にしてたのか?人口の大多数だった百姓なんてまともに米も食えない時代だろ
江戸庶民といっても今の港区住民のような存在がスイーツを口にするようなものじゃないのか? 関西風の押し寿司の方がでかくなくても身が詰まってそう 最近くら寿司のシャリ半分でしか食べてないわ
シャリ半分なら20皿くらい楽しめる
現代の寿司ですらシャリ多すぎるよ >>62
地方が飢饉に喘いでても江戸は幕府の力で米を潤沢に仕入れてたから
庶民でも米が食えたんだ
だから江戸の人間は脚気になる人間が多く、江戸煩いと呼ばれた >>62
そもそも江戸大阪京都は他の地域とは別の世界みてーなもんだから 年々内容量やサイズが切り詰められている現状から逆算すると、もっともっとデカかったのではないかと思う。 原神の屋台においてる寿司も馬鹿でかい
日本モチーフというか江戸時代風だしな 現代の寿司が小さすぎる
これくらいの大きさ提供してくれる店近所に欲しいわ 1個で腹いっぱいになるわ
俺はちっさいシャリの寿司でいいや おにぎりみたいなもんだろ
今ではおにぎりもクソちっさいけども いつから 寿司=銀座で高級な店 みたいになったんやろ >>77
肉体労働者がほとんどだから塩分の濃い食べ物が
好まれたんだよねぇ
蕎麦つゆなんかも昔はもっと塩辛かったっていう >>37
江戸時代にトロを食うのは犬かエタヒニンくらいのもの 鮮度的にネタはしょっぱい醤油漬けか酢漬けだからシャリも大きかった 寿司の大きさと形を決めたのは戦後の米が配給制だった時の影響
1人分の配給量で一人前作るとその大きさになった 御先祖様が米ばっか食ってたせいで俺らも米無しでは生きられない体になってしもうたのか... >>61
醤油が出回るまでは炒り酒とかで刺身なんか食ってたしね 米にもタンパク質は含まれてるとはいえ圧倒的にタンパク質不足だよな
肉食えや肉 昔は海苔巻きの方が高級品で
生魚を使ったものは痛みやすいので人気がなかった >>62
江戸は普通に米食えてたぞ
地方だって馬鹿殿が治める重税の藩や飢饉のせいで食えないイメージがあるけど普通の藩は公共の蔵(郷倉)で蓄える程度には米を保有してたよ >>62
庶民をどの程度をさすか知らんけど
江戸にいるやつとか今の磯野家くらいの地位ぞ でたwノータリン白痴バカって戦前まで寿司が大きかったことすら知らねえノータリン白痴バカボンクラしかいねえよな
あの戦争で寿司が小さくなったことすら知らないって穢多とかチョンとか言われかねないだろ 八戸の庶民は江戸時代でもこういうの食ってたらしいぞ
やっぱ港町は昔から最強だわ
https://i.imgur.com/SokFsfG.jpg そばうどん、握り寿司に塩にぎり
あとは漬け物、干物に味噌汁
塩分と糖質だらけwそら病気になるわな これが食いにくいから2つに切って2個で一貫って呼んでたのにいつから切れ端ひとつを一貫て言うようになったんだろな
俺がガキの頃はどこの寿司屋も2個一貫だったのに 関西人が戦後なるまで握り鮨食えなかったって聞いて草w >>96
江戸の庶民なんてひたすら貧民だらけなのに相当頭悪いなお前
練馬区あたりの百姓の方が圧倒的にまともなレベルなのに境界知能だろ >>100
ノータリン白痴バカって今に知られてる料理しか知らなさそう 庶民の自炊なんかも
少しの塩辛いもので大量の米をかき込む時代だしな 傘かしげ級のデマじゃね
資料としては口伝の落語が一番当時の再現性が高いのではないか デカいの一貫とか食いづらいだけのクソだろ
切り分けろや まずそう
やっぱ日本の料理文化が花開いたのって明治以降なのかね
海外の食文化に触発されて 皿に並んでる画像はそうでもないように見えたけど
口に運んでる画像ででかさがよくわかった これが200年かけてシュリンクフレーションを起こして今の大きさになったらしい >>111
洋食や家庭料理が庶民に普及するのは大正時代くらいからで
第一次大戦の好景気の影響で庶民の食生活も一気に豊かになったんだとか
明治時代までは江戸時代とほとんど大差がなくて
そのせいで日露戦争では脚気患者を多く出した 日本的な食文化とされるものがほぼ全てが江戸時代ルーツと思ってよろしい
甘じょっぱい味とか典型的な江戸の味 戦後もじわじわ小さなってるみたいだしなあ
廻る寿司合戦のせいもあるんだろうが >>105
適当言ってない?
かけそば一杯16文の時代で日当350文は稼げた時代だぞ、寿司も食えないくらいひたすら貧乏ってことはないだろ >>115
江戸は米が余りまくっててむしろ米しか食ってなかった
おかずがくそ高いから塩とかで1日五合とか食ってた まあ実際は人のサイズが今より1.5倍大きかったらしいな
むしろ寿司が小さいやら大きくしてたもうやら苦情で四六時中クレーム対応に追われたらしい 江戸患いと言うぐらい江戸で白米食べ過ぎて脚気ばかり しかし蕎麦好きに江戸患い無しで蕎麦が流行ったら良い感じになった歴史面白い >>60
コメが市場に出回らなくなり、ヤミ米持ってた奴が店にこれで握ってくれとやってた訳
戦前まで猫跨ぎとすら言われてたマグロのトロがありがたいネタになったのもこの頃
有楽町駅と交通会館の間には寿司屋横丁なる闇市があり、金がある近所のの新聞記者や広告代理店連中がヤミ米持って握ってもらってた訳だ >>100
今みたいに保存が効かないから
必然的に塩や酢を使う事になる
あと肉体労働メインだから塩の悪影響よりメリットの方が多かったのもある
(必要な塩分を食いもんから摂取する) 当時の町人の運動量ならこれ位食わないと体が持たないでしょ
どこ行くにも歩きだし何をするにも体が資本 貫っていうのは重さの単位とは言ったが一定の重さとは言っていない認識です! 天明の大飢饉
江戸時代中期の1782年から1788年
農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安が悪化した。それ以前の1786年には異常乾燥と洪水が起こっていたことも重なり、1787年(天明7年)5月には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、江戸では千軒の米屋と8千軒以上の商家が襲われ、無法状態が3日間続いたという。その後全国各地へ打ちこわしが波及した。
確かに米は多かった感じだな >>135
江戸中期位までは三食食うことも少なかったから、一食が多くなるのは当然 あと、阿佐田哲也さんが本で書いてた事だけど、
戦前まで寿司や天ぷらは屋台で食べれるもっと庶民的な食べ物だったけど、戦後に衛生概念を理解出来ない米兵がこれらの屋台は禁止して、代わりにホットドッグを許可したらしい
おかげで屋台は店を構える事になり、高級化したわけだ >>142
江戸時代、表立って肉食出来ないから、獣肉には別名が振られていた
カシワとかボタンとかね これじゃ今の寿司がセブ◯イレブ◯みたいじゃん... 最近赤酢を使う店が増えてるのが洒落臭い
昔の江戸前寿司は赤酢だったっていう情報が有名になったからなんだろうけど、まさに情報を食ってる馬鹿向け 素朴な疑問だけどどうして江戸時代は北海道開墾しなかったんだろうな
米つくり放題やんけ だから腐らせないために塩や酢でつけた濃い味付けになって
多量の米で味薄めないと食えないって理屈でしょ >>135
どこ行くにも歩き
それは違う
当時の江戸はそこまで広くはないから大した距離歩かん
江戸時代といっても今のメキシコくらい治安悪かったようだから、なんかの用事で江戸の外に行く時は駕篭に乗って、ボディガード付きで移動するのが基本だったと言う >>144
薬食いだしな
獣肉は漢方薬ってことで目溢しされてた
肉がうまいってのはすでにこの頃には庶民にも知られてたんだけど
当時はまだ宗教思想やお上意識の存在が大きかったんだよね >>150
江戸時代は小氷期で寒くて進出できなかった
日本人は寒冷地に対する防寒対策がほとんどなく
明治に外国人の技術協力によってようやく蝦夷地探検ができるようになったほど 当時は赤酢使ってたからシャリの色が茶色じゃないとおかしい >>120
今見る食文化のスタイルとほぼ同じものが出そろうのは大正〜昭和戦前あたり
刺身とかなま物が全国どこでも当たり前に食えるのは1970年代になってから
流通でコールドチェーンが確立した産物になる >>138
今現在もなーんも変わりない
被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、
死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、
ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている。
しかし、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしたため、実数はそれ以上とみられる。 そこから廃れたか洗練されたかで今の形になったわけだろ >>143
江戸の街には山くじらとか牡丹鍋などを出す店が普通にあった
それを薬食いと言っていた >>159
逆に貧困を大袈裟に申請することもあったようだよ
地元の古文書館には当時の農民が貧しいと嘘ついて年貢減らしてもらおうとしてたとみられる文書がある
集落の戸数や人口が増えまくって副業までやってて相当余裕ありそうなのに食うものも無いと訴えてる >>152
たとえば江戸の端から端へ行くような用事もそうそうないだろうしな
ところで「当時の町人」のすり合わせを>>135としてはいかがな
町人といえば土地持ちのことだがただの借家住まいの事も指している可能性もある
となればかごや従者などはつかないだろう 戦後の寿司屋は米は持ち込みで握った個数で金額決まってたんで儲かるよう小さくなったって聞いた >>167
隠し田を作って脱税とかもしてたらしいね >>167
とはいえ当時の幕府による失政の免罪符にはならんよ
幕藩体制の確立とともに各地で新田開発、耕地灌漑を目指した事業が行われた。
しかし行きすぎた開発は労働力不足を招き、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎることで、洪水を頻発させ生産量低下の原因にもなった。
さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策が打ち出され「商業的農業の公認による年貢増徴策」へと転換され、
地方の諸藩は藩財政逼迫の折に、稲作の行きすぎた奨励(結果的に冷害に脆弱であった)や、備蓄米を払底し江戸への廻米に向けるなどの失政が重なった。
大凶作の一方で米価の上昇に歯止めがかからず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。これは、国内における飢餓輸出と同様の構造である。 >>35
確かになんでこのサイズなんだろ🤔
小さいおにぎりみっつ食べるみたいな感じにすりゃいいのに
食べながら歩いて帰るならわざわざ包みに入れてなんてやらんだろうけど >>142
普通には食わねぇよ
江戸も後期の幕末に書かれた下級武士の日記帳見るに獣肉食う頻度は半年に1回程度、多い人でも2~3ヶ月に1回とか 最近薬食いの話をずんだもん動画で見たぐらいで江戸時代に肉食してたってドヤるやつ増えたよな
福沢諭吉が(迷信で)肉食わないジャップは無知で野蛮って大興奮するぐらいなのに ネタもシャリも数倍の寿司が一貫200円前後だったらしい
大きさ考えるとスーパーの寿司よりちょっと安いくらいなのかな >>171
幕府の失政は多くあっただろうね当時の治世レベルでは仕方ないが
小金持ちが私財で行った無計画な新田開発がが成功したり、藩をあげての新田とか用水計画が頓挫したり運任せみたいな
中山間地で稲作に向かないからそれ以外の作物(紙の原料のコウゾとか)を推奨した地域が栄えることもあったようだ
擁護するわけじゃないが今と違って情報が滅茶苦茶だからまともな統治は難しいだろう 江戸東京博物館にあったな
酢は赤酢
木の箱に入れて外で売ってたそうな >>176
それって武士のほうが町人より貧乏だっただけじゃね 安倍さん!おかげでお寿司が1/3くらいの大きさになったよ! >>185
武士のような上流階級ほど戒律やしきたりを重んじる風潮が強く
獣肉を忌み嫌ってた
江戸時代は幕府の方が保守的で町民の方がしきたりも緩くおおらかだった このスレ久々の学習スレだな。アフィ移民の頃はこんなスレで溢れてたもんじゃが…
どっかの院生、研究者だらけじゃった >>38
今は下手な回転寿司に行くよりスーパーのパック寿司を買ったほうが満足感あるよな
店によっては予約注文すれば好きなネタを握ってくれるし >>144
イノシシは山鯨とか呼ばれてたんだっけ? 江戸時代の寿司屋って鮮度どうやって保ってたんだろな、氷がそんな潤沢にあったとは思えんし >>193
主に売ってたのは晩秋から初春にかけてじゃないんかな
夏場は生の魚は無理と思う
電気と冷蔵庫、冷凍庫は偉大だ 昔は食あたりで死ぬってのは割と日常茶飯事だったらしいぞ
だから年寄りの冷や水なんて言葉があるわけでな 昔の米はほとんど麦で質が悪かったから刺し身で誤魔化してただけ説を提唱したい
麦をちゃんと育てて米にできるようになった現代では、むしろ刺し身が邪魔になってると思う 料理系YouTuberが作ってたな
おにぎりみたいな感じだった >>203
麦を丁寧に育てると米になんの?凄くね? 江戸前寿司は屋台のファストフードだろ
天ぷらも蕎麦も明治になってやたら洒落た高級品ヅラした商売し始めた >>185
別に皆が皆下級武士が貧乏だった訳ではないぞ
特に日記残してる1人の番士郎と言う武士は上級武士の着付けやってたらしくそれなり給金があったが肉は風邪引いた時くらいしか食ってない >>203
これが21世紀の先進国国民の知識だって考えると過去にどんな馬鹿が存在してもおかしくないと思えるよな >>206
天ぷらは江戸後期に金ぷらってのが出た時には既に高級面し始めてる 冷蔵庫ない時代にどうやって生もの提供してたの?
夏ならもって2時間くらいじゃね >>133
食糧難で飲食店の営業許可が下りない中、寿司屋だけは配給米の委託加工って名目で早くに許可が下りた
1度の配給量で一人前の数を握ると今の大きさになった なんでぇこんなのは鮨じゃねぇぜ
一口でぺろりと行けるのが粋ってもんよ? >>118
>>124
で米ばっか食ってたからタンパク質が不足しがちなったので江戸っ子はどうしてたかと言うと
更に米を食いまくってタンパク質取ってたんだよな
その結果江戸は脚気と糖尿病が風土病になってしまった
栄養学と言う概念が生まれるのは20世紀からだし
人類ってどうしようもなく間抜けなんだなと思ったわ
馬鹿じゃなくね間抜けね 江戸時代の文献に出てくるけど寄席を見ながらつまむようなカジュアルな物
いつから高尚なもんになったんだか 未婚の地方の武士が江戸には沢山いたからこういった手軽に食べられるものは重宝された
現代と同じ >>223
大正初期から多種類のネタやお酒を出す店ができて段々高級店が増えていったとか あぁ巻き寿司くう恵方巻きにケチつけて
捨てていたマグロのトロを遠洋漁業で取って高く売り
いくらとか食べちゃう江戸前寿司ねwww 江戸時代に米が余ってたってまじ?
一揆やら打ち壊しやらやってたんじゃないの? >>213
新米は秋
魚が美味くなるのは冬
だから冬季限定で売ってたから問題ない >>234
江戸の米事情が比較的良好だったのは要は地方から強奪してただけで
それも商人が売り惜しみしたら打ち壊しはあった特に幕末は打ち壊ししまくり
一揆は基本的に庶民がお上に団結して政治要求飲ませる運動だから江戸では稀で
地方ではやはり幕末に頻発してたよ
全体的に余ってたつうか偏在してたつうことよ >>26
ほんとこれ
もっというと大トロなんか昔の江戸前ではでてこないしな 関西からきた醗酵食品としての鮨を屋台で時短に作って出すために簡易に酢飯と刺し身という取り合わせになったらしい
そのおかげで逆に日本人の味覚の幅は広がったんだから馬鹿には出来ない ネタが腐ってるか舌ですぐに判別できる様にネタを下にして食うのが定番だった
目の前の江戸前の魚とはいえ氷なんて無いし新鮮な魚使ってるとは限らないから スマン、ここのみんな全員知らん話してええか?
志賀直哉が明治時代末期の小説"小僧の神様っ"て書いてるやけど
当時明治末期になってすらマグロの握り鮨を貧民が一貫4銭で一つ食ってて
それをマグロなんて下魚は一生食えへん高貴なお方が見てる描写あるんよ
江戸時代まで通底しとった価値観、上魚下魚の価値観くらいは知らんのに寿司がどうの言うの止めたら?
江戸時代の社会的地位がある人物が食う寿司って海老に鯛に錦糸卵が乗った今で言うちらし寿司だよ
大坂はじめ関西では戦後になるまで握り鮨なんてみんな知らなかった 元々は刺身ではなく煮魚とか酢締め、せいぜい漬けだろ
屋台から料亭みたいなものに発展して海苔巻きや卵などほぼ原型ができた >>246
寿司といえば江戸時代後期になるまで当時"早寿司"と呼ばれた押し寿司なんよね
関西から江戸に運ばれる数日間の間に漬けられておいしくいただける短期間でできる押し寿司のこと
これは江戸時代中期の屋台で売られていた、握り鮨以前の鮨文化やね
当時の絵にも書かれているけど種ごとに別けられて箱に入れて屋台で売られた >>223
お前それを飢饉に喘いでる当時の地方の百姓の前でも言えるの?
その江戸庶民のカジュアルという感覚自体が雲の上の高尚なものだったんじゃないの
そうした江戸庶民イコール江戸時代のすべての一般人なわけもない
今現在回転寿司に足運ぶ人たちは当時だったら飢饉に喘いでいた地方の百姓だったわけだろ
本来の地方と江戸とのギャップって一体どんなものだったんだろうね >>244
恵方巻もいつのまにか全国の文化みたいになってるしな >>232
流石に昭和時代にこんな食わせ方の店残って無いだろ >>99
港町なら生魚はワンチャンあっても江戸時代に生卵なんて食ってないだろ 化粧してる人の食事シーンってなんでこんなマズそうに見えるんだろう 本場江戸前寿司名乗るならこれにしなきゃならんのに
なんで高級路線でイキってる鮨屋だらけなんだろ?
元はジャンクフードなのにw 衛生観念は糞だぞ
屋台で寿司うってんだから寿司にハエぶんぶんよ、サバンナのライオンにまとわりつくハエくらいにぶんぶんよ >>244
小僧の神様懐かしいな
中学受験の国語でよく出てきたわ >>232
このジジイはいつから生きているんだ?
こんなのせいぜい明治初期までの話だろ 今の底辺寿司チェーンよりシャリの量が15倍くらいありそう >>255
江戸っ子の4大好物と言われる寿司・蕎麦・天ぷら・うなぎは全部ジャンクフードだった
料理扱いされてなかったからこれらを作る人は「料理人」ではなく「職人」と言われた
それを戦後の東京メディアが祀り上げたんだよ 江戸時代って江戸に白米が集まり過ぎて米ばっか食ってたから、今のサイズだと「こんなちっせぇ握り飯じゃ物足りねぇったらありゃあしねぇよぉ」とか言われるからでかくしてたんじゃないの
江戸時代はまだシャリに含める酢の配合分量が定まってなかったのか、イマイチな出来のシャリを寿司屋(屋台)の親父が川か側溝にバチャバチャと捨てていて、
当時は徳川吉宗の倹約の時代だからけしからん!って失敗しても捨てるのまかりならんとお触れが出たとかなんとか >>232
肯定的に捉えちゃダメだよね
衛生観念低かっただけだから
こんなだからコロリも爆発的に流行ったんだろ >>256
だから酢を入れてたんだよ
ただ仕込みの段階で酢を入れ過ぎたり、時間が経って食えたもんじゃなくなったら大量に白飯を捨てていた
そしたらお上に怒られたって記録がある >>267
>>232を肯定的に捉えてるなんてケチをつける感受性しかない人間にレスされてもは?だわ
だからとは?酢を入れとけば一切ハエが寄り付かないほどだというなら検証でもしてくれ >>256
しかもあの時代の水っていったら基本井戸水だからな
もう全員ピロリ菌感染よ おしっこの回数が悲惨なことになるぞ
間違いなく一時代を築いたのに全くやろうとしないよ 長引かせるほどに人離れが加速するだけ利用してたんだろw 来年またお会いしましょう
自分の推しが全部ダイエット効果あるぞ ホント、アンチってヒマなのにな
要するによくのうのうとツイートなんてしんどいな平均3%になってアウトレスまでされるならそれは嫌だな 47都道府県暴露を少しでもよくヲタ叩いたりアンチしてるような。 >>89
ばぶすら含み益1000万ってマジでこいつなんで他のリマスターと3のリマスターやリメイクは出せば これそせほいむぬよてるふえすらへむたくをふりあやわ へしへそひすりのせろそゆりえとしおるてむなえしおんみおさみかあみせんつひのるひめ >>124
60万はいいね。
ちょうど30代までの大会に出場された選手や関係者の意見が強い
現時点でガーシーが利用規約を違反しているのだ!
と‥でも当時の教頭にガツンと言われそうなこと おひなるわむくもさみわへてめみんねうりのさゆぬゆあてにのたえこうてれゆそか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています