「あたらない牡蠣」を追求したオッサンの話 [339298721]
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「いくら食べても『あたらない牡蠣』」はいかにして誕生したのか…
ノロウィルス騒動で「どん底」を味わった社長が這い上がるまで
(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/8cfbdce7d7abaee8af50759e9773a0ca4e898bed
牡蠣であたったことのある人、牡蠣好きだけどあたるのが怖いと思いつつ食べている人にとって、嬉しいニュースが飛び込んできた。
ついに、いくら食べても、あたらない牡蠣が世界で初めて誕生したのだ。
我々が生牡蠣を食べてあたるのは、菌やウィルスを保有している牡蠣に身体が反応し、ノロウィルスをはじめとする食中毒になってしまうから。
体調にも左右されるが、一度あたってしまうと、多くの人は2度とあの苦しみを味わいたくないとばかりに、牡蠣に手を出しにくくなる。
生牡蠣のあの美味しさを知ってしまった人にとって、これほど辛いことはない。
「ゼネラル・オイスター」の代表取締役吉田琇則さんは、そんな欠点を克服したあたらない牡蠣をつくれないかと長年研究開発を続け、ついにあたらない牡蠣を完全陸上養殖(沖縄県久米島)によってつくることに成功した。
あたらない牡蠣「8th SEA OYSTER2.0」は、いかにして誕生し、これからどんなスタイルで日本や世界で食べられていくこととなるのかーー。吉田社長に訊いた。
■ある日を境にどん底に
ーー吉田さんは、そもそもなぜ「あたらない牡蠣」を開発したいと思われたのでしょう。
私が牡蠣のレストランを始めたのは、2001年のことでした。
赤坂に1号店をつくったんですが、まだ日本には本格的なオイスターバーはあまりなかったこともあって、海外に行き慣れているビジネスマンの方や年配の方などに支持されて、結構話題になったんです。
ただ、客単価が8千円ぐらいだったのに、まったく儲からなかった。
鮮度を重視して、その日に仕入れたものはその日に使うとやっていたので、途中で売り切れちゃったり、逆に余ってロスしたりとか、原価率が全然合わなかったんですね。
お客さんは来ているのに儲からないという状態でした。
これじゃいかんな、というときに、たまたま新宿ルミネに日本一のレストラン街をつくりたいから、オイスターバーとして入ってくれないか、という話が舞い込んできたんです。やったーと思ったけど、お金は一号店で全部使い切ってて、まったくなくてね。
ところが、マイシティーさんが、初期投資はこちらでやります、あとは家賃で返してくれればいいからという条件で受け入れてくれたんです。
それで、客単価3800円ぐらいの店を出したんですが、これがバカ当たりした。17坪20席の店だったんですが、回転率がすごくて、もう休むひまがないぐらいの繁盛店になったんです。
「ガンボ&オイスター」という店だったんですが、ガンボっていうのは、アメリカのニューオリンズとかで流行っていたオクラなどの入った煮込み料理なんですが、それに牡蠣を合わせて出すというコンセプトの店でした。
新宿ルミネが先陣を切ってから、日本中の商業施設がつぎつぎにレストラン街をつくり始めて、私もその動きにのって店の数を一気に増やしていったんですね。
そこから数年で、17、18店舗ぐらい出したと思います。
銀行ももう保証人なしでばんばん貸し付けてくれて、無責任なぐらいに(笑)。ところが、ある日を境に、急ブレーキがかかって、どん底に陥るんです。銀行は掌返したように、今度は容赦なくとりたててきて…。
■ノロウィルス騒動で一転
ーー絶好調だった店が、一転するわけですね。
2006年11月のことでした。
ノロウィルスです。池袋のホテルで廊下で嘔吐した人がいて、その廊下を通った人が次々とノロウィルスにかかって、亡くなった人も出たんですね。
それが口火となって、一気にお客さんが減りだして、銀行に借りていたお金が返せなくなってしまった。
そのとき30人以上いた社員や200名近いアルバイトの給料の支払いは遅れるし、店も不採算店はみんなスクラップして、4店舗だけ残すのがやっとでした。
業者さんにも月末の支払いを15日延ばしてもらったり、まさに自転車操業でした。
ただ、あのノロウィルスの騒動のとき、私も従業員も、本当に大丈夫な牡蠣を出しているのか、本当に安全なものを提供しているのか、という不安がずっと消えなかったんですね。
でも、もし、自分たちで牡蠣を管理できるんであれば、安心して安全な牡蠣を出せるじゃないですか。そんな思いがどうしても心に残ったんです。
ーーでも、すでに、お金は尽きていたわけですよね。
お金はもう全然ないんです。でも、我々が最後に生きる道は、川上にあがること、つまり、自分たちで牡蠣を管理することだと思った。
畳むのは簡単だけど、まだやり残したことがある、いま死ぬのは簡単だけど、安心して出せる牡蠣をつくってみたいという思いが私の中からは消えなかった。
それで、もう全員の反対を押し切って、2007年に広島県呉市に牡蠣の浄化施設「日本かきセンター」を約3千万円かけてつくったんです。
全国およそ50カ所の産地から、一度かきセンターに集めて海水に紫外線をあてて浄化して出荷するというスタイルにしたんです。手間も金もかかるけれど、これなら安心して出せるな、と。
でも、そりゃみんな反対しますよね、博打みたいなもんじゃないですか。銀行からも「やめろ、ふざけるな、そんな金があるなら早く金を返せ」とつつかれて。
でも返さないで、ちょっと待ってくださいといいつつ、その金を使ったりしながら、センターをつくっちゃったんです。それぐらい、安全な牡蠣を自分でつくってみたかった。
店のスタッフが安心して笑顔で出せる牡蠣を。もし、それが受け入れられないのなら、もう、ビジネスモデル自体がダメなのだから、諦めよう、これまで誰もやったことのないことだし、やってみよう、と思ったんです。
それで、その安全性を高めた牡蠣によって、お客さんがまた徐々に戻り始めて、その後は8年連続増収増益となって、2015年に上場する、というところまでつながっていくわけです。
ーーただ、吉田さんの中では、それでもなお、牡蠣の安全性に対しては、不安が消えなかったんですよね。
ほぼ安全ではあるけれど、やっぱりまだ、本当にごくごくまれにあたったりする事故は起きていた。
それはもう牡蠣の宿命みたいなものでもあるのですが、でも、もっと綺麗にする方法を創案して、完全にあたらない牡蠣はつくれないかという思いは消えなかったんですね。
【「絶対にあたらない牡蠣」を実現するために…「牡蠣に憑かれた男」が社運を賭けた「海洋深層水」の可能性】に続く
続きは↓
「絶対にあたらない牡蠣」を実現するために…「牡蠣に憑かれた男」が社運を賭けた「海洋深層水」の可能性
https://gendai.media/articles/-/123431?page=1&imp=0
「あたらない牡蠣」を完全陸上養殖で実現…! 業界の常識を覆した気鋭の社長が語る「ビジネスの原点」(一志 治夫) | マネー現代 | 講談社
https://gendai.media/articles/-/123432?page=1&imp=0
「この技術なら砂漠の上でも牡蠣が作れる」…「あたらない牡蠣」を実現した社長が見据えている「この先」(一志 治夫) | マネー現代 | 講談社
https://gendai.media/articles/-/123433?page=1&imp=0 そもそもノロウイルスは人の糞便にしか存在しないので…… >>9
すまん、蒸し牡蠣の美味さに辿り着けてないようなレベルのクソガキが牡蠣の一番美味い食い方とか語るのやめて貰っていいかな 牡蠣なんて牡蠣フライが何度か食えるレベル
茹でても焼いても不味くて食えん >>9
カキフライもあれちゃんと火が通ってるか怪しいからなあ
完全に安心できるもんでもない 牡蠣にあたるのは
ノロウイルスの人のウンチ食べた牡蠣を人間が食べてノロウイルスになるんだよ 確かにノロはヒトでしか増殖できない
むしろ牡蠣が被害者であることは指摘しておきたい!🦪💢
人間はウンコを海に流すのをやめろ!💩 一度だけ生牡蠣食べ放題して大丈夫だったけど
それからは加熱したやつしか食べてない。
カキフライで十分だよ。
あとは牡蠣鍋 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています